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毛利台小学校6年4組同窓会
〜ありがとうプロジェクト〜 

アラフォーにようやく馴れたと思ったら、早くもアラフィフが近づいてきた今日この頃、同世代の間で、まるでブームが来たかのように同窓会が開かれているが、、、。


1. 中学同窓会(2013年12月28日)

 このプロジェクトのスタートは、中学校同窓会へのお誘いを受けた2年前にさかのぼる。

「玉中の学年全体の同窓会をやるからまっちも来なよ!」

FaceBookで繋がった中学同級生からの誘いに『OK行くよ!』と即答しようとするも、中学〜高校時代好きだった初恋の女の子にみじめに振られた苦い記憶が脳裏に蘇り回答を保留。
数日後、専用掲示板で出席予定者を確認すると見覚えのある懐かしい名前の数々。「40にして惑わず」というのは孔子の言葉であるが、中学卒業から既に27年も過ぎているのに昔にこだわって躊躇するのもどうかと思い参加を決めた。

同窓会当日、いきものがかり「YELL」が流れる本厚木駅で久々に小田急線を降り、会場の飲み屋の暖簾をくぐる。
40人の出席者のほとんどが27年ぶりで、半数以上が第一印象では誰だか分からぬも、ちょっとした仕草やしゃべり方に記憶が呼び起こされ記憶内の人物と目の前の人物が合致。過去20年以上開けられなかったいくつもの記憶の引き出しから出てきたのは恥ずかしい出来事ばかりで赤面しっぱなしであったが、自分の原点と向き合える気がする貴重な時間であった。



2.6年4組幹事部屋

 中学同窓会の数日後、同窓生O君からFaceBookに「6年4組幹事部屋」を作ったから入らないかと招待状が届く。承認ボタンを押してコミュニティーに入ると、

「今度は毛利台小学校6年4組の同窓会をやろう!」

と言うO君。中学同窓会で充分満足してしまい、この先しばらく後ろは振り返らないつもりでいたのではじめは気乗りしないも、

「ライバル6年2組が何度も同窓会をやっているのに4組がやっていないのは納得いかない!」

というO君の意見に共感。4組でFaceBookをやっているMさん、Iさんとも繋がり同窓会開催に向けての意見交換を開始。

近況報告や小学校時代の昔話では大いに盛り上がるものの、同窓会開催についてはクラスメイト39名のうち7名までの消息が掴めて以降全く進展しない。
我が毛利台小学校卒業生のほとんどが(先日学年全体での同窓会が開かれた)玉川中学に進学しているため、わわわざ6年4組で集まる意味も無いのかもしれないと思い始めていると、iさんが

「盛り上がっているところ大変恐縮ですが、クラス単位の飲み会は範囲が狭過ぎて心理的負担を感じ、私は参加するのを遠慮させて頂きます。」

と、過去クラスメイトと何かがあったのかような発言。それ以降投稿が途切れ、6年4組で同窓会を開催する話は自然消滅してしまった。


 

3. 引越での私物処分(2015年10月)

(1)過去の日記
 そんなやり取りから1年が過ぎた2015年の秋、諸般の事情により約20年ぶりに引越をすることとなった。引越先の収納スペースが少ないため、

「この先1年間使わないだろう物は捨てる!」

という方針で私物を処分しながら荷造りをしているうちに、屋根裏から自分が小学校5・6年の時に毎日書いていた15册の日記帳が発掘される。どうせつまらないことしか書いてないだろうと一旦はゴミ袋に放り込むも、丁度息子が6年生のこのタイミングで自分が同じ時期に書いた日記帳が出てきたのに運命的なものを感じ、1回読んでから捨てようとゴミ袋から回収。寝る前に夜な夜なページを開いてみる。

半分以上の日記に憶えがないものの、進まぬ謝恩会の準備への焦りなど、鮮明に残る記憶と合致する部分もあり、タイムトンネルを進むかのように読み進める。そのうちページの間から1枚の黄ばんだ藁半紙がはらりと落ち、手に取って読んでみる。

『確かにこんな手紙もらったような、、、、』

その紙は、クラスメイトのOさんが学校に持ってきたレコードが何者かに傷つけられる事件が収束した時に担任の井上先生がクラス全員に配ってくれた手紙で、O君が涙を流しながら発言したりする金八先生さながらのクラスの風景が蘇る。

『それにしても熱い手紙だな(驚)!』

当時は分からなかったがその文面からは、まだ27才と若く荒削りながら教師という仕事に情熱を注ぐ先生の姿がありありと浮かび上がり、『果たして今の自分はこんな風に仕事に情熱を注げているのだろうか?』と敗北感を感じずにはいられなくなる。「大人になった時、ある瞬間でもいい、先生とのこんなやり取りを思い出してください。」と締め括られるその手紙を読み終えた時には、『もう1度井上先生に会ってみたい』という思いが拡がっていた。


(2)時間旅行1(少年時代編)
 小学6年生の時に自分が書いた日記には、いかにも(今6年生の)息子が書きそうなことが書かれており、『実は息子が書いた日記が紛れ込んでいるのではないか?』と目を疑う程であった。そして、そんな日記を読み進めるうちに日記に描かれていた約30年前の合同体育の授業に意識がタイムスリップ。小学生になった自分の隣には何故か息子の姿が?

『おいおい、勝手にパパの世界に入ってくるなよ!』
「それより次はパパが走る番だよ!」
『そうだそうだ!』

バトンを繋いで4組仲間の声援を浴びつつ走り出すが、思うように足が回らずライバル2組に追い抜かれてしまう。トラックを回り終えるとバトンゾーンには4組の黄色いハチマキを巻いた息子の姿。僕からバトンを受け取った息子は猛烈にダッシュ!2組を抜き去り大歓声の中トップでゴールテープを切った。

いつも未熟な点ばかりが目に付く息子の活躍を複雑な気分で眺めていると、こちらに気付いてた息子が近付いて来てつぶやく。

「パパ足遅かったんだね。」

彼と同時代に生まれていたら、切磋琢磨し合えるいいライバルになれたかもしれない。

 

(3)時間旅行2(青春時代編)
 かつて自分が書いた日記帳の文章はめちゃくちゃ、文字もかなり汚く今更ながら毎日こんな日記にコメントを書いてくれた担任の井上先生に頭が下がる思いがした。

「先生はプール掃除を手伝ってくれたみんなの優しさに感動していたのですが、まっち君は先生がおごってくれるのが目当てだったんですか。だったらちょっと残念です。」

などと書かれたコメントには、(生徒にどう思われようと)生徒の個性を伸ばし、正しい方向に導かなければという強い使命感が随所に感じられ、毎日39人の日記を読んではコメントを入れる先生の情熱に圧倒される気がした。
そんな風に井上先生について思いを巡らすうちに、今度は当時の先生の年齢である27才の頃に気持ちがタイムスリップ。自分の隣にいる同い年の井上先生は、なぜだか自分の彼女という設定(笑)。

先生:「子供達の日記に毎日コメント書くのもうたいへん。」
まっち:『そんなに面倒ならやめちゃえばいいじゃん』
先生:「子供達には文章を書くことが必要なの。へこたれていられないわ。」
まっち:『今週末苗場にスキーに行こうよ!』
先生:「あなたの頭の中には遊ぶことしかないのね。週末は成績付けるから無理!」
まっち:『成績なんて適当に片付けちゃいなよ。』
先生:『あなた、このままだとダメな大人になるわよ、、、。』

井上先生は同じ年齢であってもやっぱり井上先生であった。

 


4. 息子の小学校卒業式(2016年3月)

(1) 偶然 
 引越しから3ヶ月後の息子の小学校卒業式での出来事である。
式がなかなか始まらないのでスマホでFaceBookを見ながら時間をつぶしているうちに、6年4組幹司部屋で繋がったMさんの娘さんも今日が小学校卒業式であると気付く。

『うちも今日が卒業式、体育館寒い。♪4月になるとここに来て〜卒業写真めくるのよ〜♪』

と、かつての定番卒業ソングの歌詞を勢いで送ってみると、向こうも開始待ちのようで、歌詞の続きの返信があり気分がほっこり。
お互いの卒業式にそれぞれの式場から連絡を取り合える未来が来るなんて想像すらできなかった。通信技術の進歩や偶然の巡り合わせに感謝、感謝。

そうこうするうちに卒業式がはじまった。
息子は卒業証書を受け取る時に、「両親に親孝行できる立派な大人になります」と大声でコメント。小柄ながら堂々とした態度と意外な言葉に感動と驚きが込み上がる。感動のうちに式が終わると、卒業生は校庭の花道を抜け、息子達のクラスはジャングルジムを陣取り最後の団らん。息子が女子の代表と先生に記念品を渡しているので、妻になぜ息子が渡しているのかを尋ねると、今期の学級委員だからだという回答。

『そう言えば、自分も小6の最後に学級委員をやってた。しかも一緒にやっていたのは今朝偶然やりとりをしたMさんだったような、、、』

息子と自分が重なり合い、息子の担任の田坂先生が自分の担任だった井上先生にダブって見えてくる。
子供の成長を感じつつ、過去の自分を振り返れるいい卒業式であった。


(2) 32年ぶりの会話
 息子の卒業式の帰り道、自分の小学校卒業式の日に同窓会幹事に指名されたことなど、忘却の彼方に押しやられていた記憶が色めきだし、こういうことは勢いが大切だと、帰宅後すぐに(かつて先生のご両親から教えて頂いたが掛けられずにいた)井上先生の電話番号にダイヤル。

『32年前に毛利台小学校6年4組でお世話になったまっちですけど。』

と恐る恐る名を名乗ると、

『お久しぶりです。○○○○ ○○○君ですね。』

と僕のフルネームを即答してくれる。

『感動、、、。』

 

先生と話すのは32年ぶり。婆さんになった先生の姿を想像しつつ、近況報告を兼ねて今日が息子の小学校卒業式だったことを伝えると、「どうもおめでとうございます、もうそんな年齢になられたのですね、、」と記憶通りの明るく溌剌とした話し方。
先生は僕が小学校謝恩会で演じた魔法使い役が素晴らしかったとか、クラスメイトの誰それに会ったなどとブランクを感じさせない話をしてくれたのに気を良くして、

『数人しか集まらないと思いますが、同窓生を集めたら会ってもらえますか?』

と尋ねると、

「喜んで!」

いう返事。後日連絡を入れると約束して電話を切った。
同窓会開催が一気に近づく1日であった。



5.メンバー集め

(1)卒業アルバムの電話番号
 井上先生と繋がったことをMさんに伝えると話はトントン拍子に進み、2ヶ月後の5月21日に同窓生を集めることとなった。FaceBookに「井上先生を囲む会」というコミュニティーを作り同窓生を招待すると、金沢に住むI君が遠路はるばる参加表明してくれたのを皮切りに男子4人、女子2人の参加が決まった。

この人数でも上出来だと思っていたが、Mさんが「折角だからクラスの女子の卒業アルバムの番号に電話かけてみる!」と言ってくれる。自分も負けてはいられぬと、まずは当時いちばん仲が良かったN君の電話番号にダイヤル。

『もしもし、小学校6年4組で一緒だったまっちですけど、、、』
「Nは今この家には住んでいません。」

もしかしたら電話に出たN君のお母さんが僕のこと憶えてくれているかも?という微かな期待は、オレオレ詐欺を警戒するかのような冷たい口調に打ち砕かれる。結局Nくんの連絡先は教えてもらえず、電話を切ってから後味の悪さが残る。もう次に電話を掛ける気力は残っていなかった。

『電話で同窓生集めるの、かなり難しいかも、、、』

女子も似たような対応だったらしく、経過した32年の歳月を実感。


(2) 全員にダイヤル
 数日後、Mさんから

「女子全員に電話掛けました。メンバー4人追加です。」

と、嬉しいメールが届く。「不審者のような扱いに気持ちが折れそうになったけど、悪いことしてる訳じゃないから堂々と掛けまくったよ!」と言うMさん。昔の粘り強さが健在で嬉しくなり、自分も男子全員にダイヤルをする。

結局男子の半数は電話不通により消息すら分からぬも、新たに連絡が取れた3人の参加が決まった。 クラス全員に連絡を取ったことを伝えると、回答保留中だったOさん、Mさんも参加表明してくれ、クラスの半数19人の参加が決まった。



6. 会場の選び

 同窓生の参加表明などを掲示板で報告するうちに、皆のボルテージも上がってきていい感じ。そろそろ会場を押さえなければ、、、。

フォーマルな会場を望む声もあれば、費用を抑えて欲しいと言う声もちらほら。皆の意見をまとめられずにいると、小学校時代、喧嘩した苦い印象のあるS君が、絶妙なタイミングで「レンブラントホテルはどう?」 と書き込んでくれる。
費用が気になるという意見が出ると、 「ホテル内のレストランを使えば費用を抑えられると思う」など、建設的な書き込みを続けてくれ1次会、2次会の場所がスムーズに決定、下記内容を掲示板にアップした。

【1次会詳細】
日時:5月21日18時〜20時
会場:レンブランドホテル厚木1階 中華レストラン『トルファン』 (個室使用)
会費:男性5000円、女性4000円
参加者:20名(井上先生、I君、O君、K君、K君、T君、T君、S君、N君、M君、M君、Iさん、Oさん、Oさん、Tさん、Tさん、Tさん、Nさん、Mさん、Mさん)

【2次会詳細】
日時:5月21日 20時半〜22時半
会場:きんくら酒場 金の蔵 本厚木駅前店(半個室使用)
会費:2500円
(2次会の参加・不参加は19日までにお願い致します)

小学校時代、鉛筆で人を鉛筆で刺したりする困った印象の残るS君の変貌に年月の経過を実感。40代半ばにもなると、誰もが職場や家庭で様々な経験を重ね、周りを気遣い行動できる大人になっているのだろう。聞くところによると、凄腕営業マンだというS君にも会えるのが楽しみになってきた。


7. ありがとうプロジェクト始動? NEW

 同窓会まで2週間、Mさんからかつての隠れた名曲「ありがとう/石坂智子」を女子みんなで歌いたいと相談を受ける。 「ありがとう」は、かつて卒業式前に行われる謝恩会の退場曲に4組が推薦した思い出の曲。学年集会の投票で一旦は他のクラスが推薦したオフコースの「さよなら」に決まるも、井上先生が「恋人との別れを唄ったさよならは謝恩会に合わない!」と「ありがとう」をゴリ押しして判定が覆った4組にとって印象深い曲。『喜びの日も悲しい日も共に夢を追いかけた見えなくなる後姿この時代にありがとう』で締め括られる歌詞は、当時伝えられなかった井上先生へ感謝の気持ちを表すのに丁度良さそうで、

『せっかくだから参加者全員で歌おう!』

と返信。 「伴奏をどうするか?」「歌詞がわからないのではないかないか?」など、かつての学級会のような話し合いで、カラオケ音源と歌詞カードを準備し当日を向かえた。



8. 同窓会当日 NEW

 待ち遠しかったはずなのに、当日開催時刻が迫るにつれて高まる開けてはならぬ箱を開けてしまうのではないかという不安や胸の痛み、、、
この 胸の痛み こそが生きている証だと前向きに捉え、当時から聴き続けているアゲアゲソング「真夜中過ぎの恋/安全地帯」を聴いて不安を?き消しつつ小田急線で本厚木駅へ。改札前の集合場所に、ひとりひとりの名前は浮かばぬもそれらしい人達を発見。『どうもお久しぶりです!』と輪の中に飛び込んでいく。

先生に渡す花束を調達し、一番街を抜けてかつてロイヤルパークホテルと呼ばれていたレンブラントホテルへ。会場のトルファンにはまだ入れずロビーで雑談。同窓生がやって来る度に歓声や悲鳴(笑)。始まる前から大盛り上がり。

ようやく会場の準備ができ、中に入ると10人掛けの円卓が2つ。

『席順はどうしようか?』

くじ引きで決めようと意見がまとまり、紙切れに1から19までの番号を書いてレジ袋に入れているとI君が席に置かれた箸袋に1から19までの番号を書いてくれる。ブランクを感じさせないチームワークでくじ引き開始!

そうこうしているうちに井上先生が到着され、N君が出迎えてくれている。N君が買ってきた花束を受け取った先生は満面の笑顔。見覚えのある笑い方にひと安心(笑)。
開演時間ギリギリになりクラスの半数の女子のハートを鷲掴みしていたO君が到着すると会場内にどよめき。彼の登場で女子のボルテージは最高潮(笑)!


Mさんの開会の辞と乾杯で同窓会スタート。ひと段落の後、当時の思い出・仕事・私生活などなんでもいいので 全員にひと言ずつ話してもらおうとマイクバトン開始。

1時間弱で全員にマイクが1巡すると思っていたが、ツナギ姿にドレッドヘアーのK君のワイルドな出で立ちに、Tさんから

「結婚しているようには見えませんが(笑)、実際のところは?」

と質問が飛んだのをきっかけに質問や打ち明け話で会場は打ち解けた雰囲気に。全員が発言を終えると残り時間は30分を切ってしまう予想外の展開。

「ありがとうプロジェクトはどうしようか?」

先生に挨拶に行ったり、気になる人と話したり写真を撮ったり、残り時間を気にしながら皆が忙しく動く中、敢えてやる必要もなさそうだと見送ると決める。昔の自分なら強引に進めただろうが、この年になりようやく周りの空気を読めるようになったのかな?

あっという間に閉会の20時となり先生に締めの言葉を頂くことに。
皆の前に立った先生は、会場が静かになるのを待ちしばし沈黙。先生に気付いた者からおしゃべりが止み騒がしい室内が静かになっていく様子に、かつて教室で繰り広げられていた日々が蘇る。長い時を経てこのクラスメイト達と先生の話を聴けるというだけで感情が乱され胸が熱くなる。

「教師は情熱がある若い人がやった方がいいと思っていたので、かなり昔に教師はやめました、、、、、」

という先生の近況報告に、『確かに僕らは若き日の先生の熱い情熱を存分に注ぎ込まれていた、、、「熱くなるのは格好悪いことだ」というような風潮が蔓延する中、熱い人や行動を格好いいと思える自分がいるのは、もしかするとこの先生のお陰なのかもしれない?』などと思いを巡らせるうちに、先生の話が終わり花束贈呈をI君にお願いする。
そう言えば小学生時代も度々こんな感じに先生の話を聴き漏らしてたな(笑)。

「もう時間過ぎていますので、、」

と何度も言い寄ってくる店員さんに謝りつつ手つかずの皿が多く残る会場を後にした。


凄腕営業マンのS君を除く18人で2次会会場きんくら酒場へ。 このメンバーで1つのテーブルを囲んで座れるというだけで異様な高揚感。 当時同窓生間で交わされた手紙にジェラシーを感じたりする楽しい時間はあっという間に過ぎ、名残惜しくも終電帰宅。
今日をスタートに、自分もひと回りもふた回りも成長しなくては!と感じられるいい同窓会であった。