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ママチャリ伊豆旅行

記念すべきこの初プロジェクトは、遥か昔、僕が高校2年生の時に決行された。
このプロジェクトに欠くことのできない男、テル(仮名)との出会いから説明をはじめよう。



1. 出会い
 当時の僕は、勉強にもスポーツにも恋愛にもエネルギーを注げず燻っていたのだが、そんな中で行った修学旅行の夜、自分の数倍エネルギーを溜め込み、不完全燃焼を起こしている男をみつけた。

彼の名前はテル、
180センチを越す長身ながら、60キロを下回る痩せた体、 インテリ(インチキ)風のメガネ。冴えるしもねた、ギラギラとした眼差し。 同じクラスになってからそれまでの半年間、彼とはほとんど話すことはなかったが、 その晩の会話でお互い通じ合うものを感じ、翌日から行動を共にするようになった。
彼との出会いをきっかけに、錆付いてしまっていた僕の時計が時を刻み始めた。



2. 計画
 高校の授業が終ると、テルと一緒によく図書館や青少年会館に自転車で行き勉強をしていた。 (「勉強をしていた」というのは実はほとんど嘘で、卓球に汗を流し、雑談に花を咲かせていた。)
高2最後の定期テスト期間中のその日も、空いたコミュニケーションホールで卓球をしているとテルが言った。
テ:「俺、いい公園知ってるんだけど、そこで一緒に飯喰わない?」
僕:『えー、そこまでどれ位かかるの?』
テ:「自転車でだいたい20分位。」
僕:『そんな遠くまで行かなくても飯ならその辺で喰おうよ。』
テ:「いいから、いいから!」


テルの熱意に押され、弁当を買い彼の自転車を追走する。 約1キロも続く心臓破りの坂を越えてやっと到着したその公園は、何の変哲もない公園だった。

僕:『ここに来るためにわざわざこの坂上ってきたのかよ!』
テ:「えっ、落ち着いててイー公園じゃん(汗)。」
僕:『ハー?何か怪しいゾ!』


彼を問い質すと、実はこの公園に来る通り道に好きな女の子の家があり、その前を通りたいがために わざわざここまで僕を付き合わせたらしい(家の前をただ素通りするだけで、別に何をする訳でもなかったが彼は幸せそうだった)。
まあ、彼の気持ちも分からなくもないので、報酬として弁当のおかずを1品貰って和解した。 (僕の「食べ物に弱い特性」を見抜いたテルに、またこの特性を利用されてしまった。)公園のベンチに座り、報酬のコロッケを食べているとテルが言った。

テ:「最近学校つまんなくない?」
僕:『大学入試が近づいてるから、高校生活はもうつまらなくなるだけだね。』
テ:「なんか面白いことしたくない?」
僕:『じゃあ、一緒に旅行にでも行こうよ?』
テ:「旅行かぁ。でも交通費とか宿泊費の捻出って厳しくない?」
僕:『じゃあ、あれで行こうよ!(とママチャリを指差す)』
テ:「エー、ママチャリじゃあまり遠くには行けないんじゃない。」
僕:『いや、(好きな女の子の家の前を素通りするために)この心臓破りの坂を登る君のパワーがあれば、 どこでも行けるよ。それにママチャリって所に意味があると思わない?』
テ:「じゃあ宿代はどうする?」
僕:『宿なんて1日や2日ならどうにでもなるでしょ。』


全くのちゃらんぽらんで思いつきの理想を話すだけの僕と、几帳面にそれを受け止め、実行計画に落とし込んでくれる テルの相性は最高(最悪?)で、水をさす者のいない2人の会話は落石のように転がり続けた。

テ:「行き先は伊豆半島なんてどう?」
僕:『いいねー。じゃあ目的地は下田にしよう。』
テ:「時速15キロで走ったとすると10時間で150キロだろ。土日で下田まで往復するのはかなりきついと思うよ。」
僕:『まあ、1〜2日位なら学校サボってもいいんじゃない。学校よりずっと勉強になると思うし。』
テ:「俺達の課外授業ってことだね。で、出発はいつにする?」
僕:『善は急げってことで、今週末にしよう。』
テ:「じゃあ土曜の昼1時に相模川のもぐり橋で集合でいいね!」

こうしてママチャリ伊豆1周プロジェクトの采は投げられた。



3. 旅行1日目 その1(厚木〜修善寺編)
 ママチャリのポテンシャル、俺達の体力、その他分からないことだらけなので、細かな計画は立てずにとりあえず下田を目指して出発。厚木→平塚→小田原→湯河原→熱海と順調に距離を伸ばし、伊東に着いた時にはすっかり暗くなっていた。

相模川 吉浜海岸

テ:「さて、これからどうする?」
僕:『せっかく伊豆を旅するんだから、明日天城越えして下田を目指そうよ。』
テ:「それならまず修善寺に行って、そこから天城峠を目指す内陸縦断ルートになるな。」
僕:『まだ眠るには早いから、夜のうちにあの急坂を超えちゃって修善寺でゆっくりしようよ。』

修善寺への急坂(冷川峠)を「低」「中」「高」の3段ギアのママチャリを漕いで登るのはかなりの体力を消耗しそうだ。 まだ先は長いので、潔く自転車を降り、2人で肩を並べてのんびり歩くことにした。

伊東市街を離れるにつれ車の通行が無くなり、聞こえるのは木々のざわめきだけになる。 空には信じられない程多くの星が瞬き、地球上に2人だけ残されたような感じ。

「こんなに静かだとなんか叫びたくならない?」
『じゃあ、お互い溜まってるものぶちまけようか(お前かなり溜まってそうだぞ)!』

非日常的な状況が。お互いを素直にさせるようで、いつになく本音トークができた。 普段は間違っているとしか思えないテルの自己流意見のどれもが正しく感じられた。

冷川峠を越えた辺りで気温がグッと下がる。伊豆は南国だしもう3月だから寒くないだろうという浅はかな読みは完全に外れた。 体が冷えてきたので自転車を漕ぎ出し、人も車も通らない暗い山道を通り、日付が変わる頃修善寺に到着。

『えっ、ココが修善寺?』

24時間営業のファミレスのような所で夜食を食べてゆっくりできれば、、、という楽観的な考えは打ち砕かれた。 ファミレスどころかコンビニも無い。さらには街灯すらほとんど見当たらないような寂しい光景に言葉を失った。



4. 旅行1日目 その2(修善寺〜天城峠編)
  ママチャリのカゴには、あまり荷物が入らないため、食糧、飲料、防寒用品や懐中電灯、詳細地図等は、コンビニで必要な時調達すれば良いと考えていた。鞄の中は、大量のカセットテープやスピーカー、三脚、カメラなど娯楽用品で占められ、空腹や寒さをしのぐための物は持って来ていなかった

伊東 修善寺

『とりあえずコンビニ見つかるまで走ろうか、、、。』

停まってると風に体温を奪われるので、空腹を我慢しつつ天城峠のある南へ向けて走り出す。約1時間程走ると大きな道路標識を発見。暗くて全く文字が読み取れないため、 標識をカメラで撮影し、フラッシュが光った瞬間に文字を読み取ろうとするが失敗。 ママチャリの前照灯を標識に向け、浮かした前輪を思いっきり手で回し、手動発電で明かりを灯灯すと 「↑修善寺」の文字が浮かび上がる。

「あれ、いつのまにか修善寺に戻ってるじゃん。」

鞄から地図を取り出し、また例の如く手動発電の明かりで現在位置を確認する。

「ダメだ、この地図帳全く使えない。」
『やっぱ学校でもらった世界地図張は旅行向きじゃないんだよ。』

「だんだん真剣にやばくなってきたような、、、。」
『うん、遭難の1歩手前って感じだ。』


このまま闇雲に走るより、明るくなるまで体を休める方が得策と考え仮眠する場所を探すことにした。 とにかくこの風を避けて眠れるような場所は???

畑の脇に幅80センチ、深さ50センチ位の蓋の開いた空どぶを発見。

『この中で寝るってどぉ?』
「おお、それはいいアイデアだ!」

2人で縦に並びどぶに収まり、「それじゃあ、おやすみ」。
どぶの中から見える星空は、最高にきれいだった。



5. 旅行2日目 その1(天城峠〜下田)
 30分程ウトウトとするが、寒さと空腹で眠れない。試しに声をかける。

『よぉ、寝てるか?』
「眠れねぇ。」


冬山のようなこの気候の中で、テントも寝袋も使わずに眠るのは無理と判断。 寒さを紛らわすために、またしょうがなくママチャリを漕ぎ出す。
東の空が明るくなり始めた頃、ようやくセブンイレブンを発見。

『やった、助かった。』

セブンイレブン 天城峠

店にある売り物の詳細地図で現在位置を確認。

「もう天城峠の近くまで来てるじゃん。」

石川さゆりの名曲『天城越え』で歌われる浄蓮の滝、わさび沢、天城隧道を横目に 川端康成の『伊豆の踊り子』の主人公気分で早朝の清々しい天城峠(新道)をのんびりと走る。人も車もほとんど通らないので、用意してきたスピーカーでエコーズを流して大声で歌う。

いつか俺達はきっと別々の道を選ぶ、道は違っても絆は消えない
誇りにしてたいあの時の輝きを熱く燃えたTag Of Street
走りたい、走り続けたいあの頃の気持ちのまま今日の自分に勝つため♪

(エコーズ 「Tag Of Street」より)

青春時代ど真ん中の俺達の会話は全く尽きることはなかった。

ループ橋 下田駅

「のり竹」と言うとんかつ屋で早めの昼飯を食べ、昼過ぎに下田に到着。とりあえず旅の目的は達成された。



6. 旅行2日目 その2(下田〜赤沢温泉編)
 下田を軽く観光し、今度は北に進路を取る。

 「帰りは海岸線を走るから、ほとんど坂は無いだろう」

って言ってたの誰だっけ?超えても超えても現れるこの急坂ママチャリで上り続けるのって、(逃げてきた)受験勉強よりよっぽどキツイぞ!

テルは持久力を生かし軽いギアでペダルを高速回転させる走り方で、僕は瞬発力を生かし重いギアで勢いをつける走り方で若いエネルギーを爆発させて急坂に立ち向かう。地道に1つづつ坂を踏破するうちに、この試練が来年本格的に取り組まねばならない受験勉強と同じに思えてきた。

そろそろ気持ちを入れ替えて勉強をやらねばならないかも?
今の僕は人生の坂道を、どの位まで上ってきたのだろう?
大学に入っても上り坂が続くのか?


そんなことを考えて坂から気を紛らわせながらペダルを回し続けた。

白浜海岸 赤沢温泉

日が傾きはじめた頃、赤沢温泉郷民宿一覧の看板を発見。

『今日はこの中で1番安い宿に泊まらない?(野宿はもうやめようぜ)

「俺にまかせろ!」と言わんばかりに公衆電話から電話をかけるテル。

「僕たち高校生でお金持ってないんですけど学割料金は無いんですか?」
「〇〇旅館は△△円なのですが、これより安くなりませんかねぇ?」
「今日泊まれないと、厚木までママチャリで帰らないといけないんですよ。」
「そこをなんとか、、、」


こいつの交渉力ってすごい。
1泊2食付き5500円まで値引いてくれた「松登旅館」に泊まることに決定。 旨い夕食を喰い、温泉に入り、辻仁成のオールナイト日本を聞きながら眠りについた。



7. 旅行最終目 (赤沢温泉〜厚木)
 朝食を食べ、10時頃宿を出発。 今日も朝からきつい坂の連続だが、昨晩ゆっくり休んだお陰で足どりは思いのほか軽い。
伊東を過ぎてからは、往路で走った道をひたすら戻るだけ。
休憩をはさみながら順調に距離を伸ばし、3時頃小田原に到着。
歴史好きなテルの強い希望で、男2人で小田原城内を1時間程観光。

休憩 小田原城


その後、大磯を越え129号線を北上。もうゴールはすぐそこだ。
この盛りだくさんの3日間を思い返すと気持ちが高ぶってきた。マラソンに例えるなら最後の2.195キロにあたるこの先の約10キロを2人で競争しながら全力で走ってこの旅を締め括ることにした。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・

中学時代は勉強も部活もそれなりに頑張っていたが、高校に進学してからは、何だかやる気が出ずに、 他人と競うことや努力から逃げていた。
そんな中で出会ったテルは、何故か 何かと僕に対抗意識を燃やしてきた。

「なんだ、理系のくせに俺より数学の点数低いじゃん。」
「そんなんだから彼女できないんだよ!(お前もダロ)

勝ち気な性格ではない僕だが、こいつにだけは負けたくはないと強く思った(学年最下位レベルのこいつに負け続けるのだけは、人としてやばそうに思えた)。

勉強、卓球、スケート、スキーと、事ある毎に僕らは、どんぐりの背比べを繰り広げていた。

・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


“ 全力疾走、よーいスタート! ”

『英語(学校でもらった英熟語の参考書「ターゲット」の暗記競争)で完敗している借りを返すのは、ここしかないぜ!』

と勢い良く走り出すが、テルに先行を許してしまう。

『奴の細い体のどこにこんな体力が残っていたのだろう?』

何かに取り付かれたようにママチャリを漕ぐ彼の背中から情念の炎が出ているのが見える。まるで、 彼の内面から湧き出る強いエネルギーが、彼の細い体を乗取り、動かしているかのようだ。彼の 闘争心(気持ちでは絶対に負けないという気迫)、精神的な強さ(しぶとさ)には、いつもながら感服する。

だが、僕が得意とし、テルが苦手とする力系のこの戦いで負ける訳にはいかない(負けたら後でチクチク言われそうで嫌だ)。僕もテルに負けじと情熱の炎を燃やして追走する。

テルの言葉はいちいち癪に障り腹立たしいのだが、出会ってからのこの半年間、いつも僕を奮い立たせてくれた。彼のお陰で忘れてしまっていた「熱い心」を取り戻すことができ高校生活が好転した。
(数週間後の高3クラス替えで、文系のテルとは違うクラスになるが、)これからは、闘志の矛先を自分自身に向けて行こう、、、。そんなことを考えるうちにゴールの本厚木駅駅前噴水に到着した。

厚木シャノアール 本厚木駅

お互いの検討を喫茶店で讃え合い、最後に 硬い握手を交わす。
この旅行で俺達の関係は「好敵手」から「お互いを認め合う仲」へと進化したようだった。

(ママャリ伊豆旅行プロジェクト 完)


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