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■ ファミリー香港旅行記

サイパン旅行から2年、新たなる旅立ちの時はきた、、、、



1. 今がチャンス?
 09年6月初旬、職場のパソコンに『今秋開催予定の会社創立50周年記念式典の開催場所が東京ディズニーランド内トゥモローランドホールに決定。従業員と家族に入園パスポートを配布するので参加すること。』とのメールが届いた。

このところ、子供達の「私をディズニーランド連れてって攻撃」をはぐらかすのに限界を感じていたため、これこそ「渡るに船」だと、翌朝家族にこのことを伝える。

「ヤッター!やっとディズニーランドに行けるよ!」

なっち、そうちゃん、そしてゆっち(妻)までもが予想以上に大喜びするのであった。

しかし、その後数日間で事態は急変、「この不景気に大金を投じてディズニーランドで記念式典を行う必要があるのか?」 との意見が社内に溢れ、臨時職場討議の結果、式典は別の会場で行われる運びとなった。

『なっちとそうちゃん、がっかりするだろうな。』

子供達にディズニーランドの中止を伝えるのは心苦しく、『自腹でディズニーランドに行くしかないかな?』なんて考えていた所、『香港旅行緊急値下げ!』のネット広告が目に留まる。そこには、東京ディズニーリゾート宿泊プランとたいして変わらぬ金額で行ける2泊3日の香港旅行プランが載っていた。

HIS 香港ヤフー広告

「確か香港にもディズニーランドがあったはず。本当にこの値段なら香港のディズニーランドに行っちゃう手もあるな。」

この安値のトリックを暴こうとプランの詳細に目を通してみる。 往路の飛行機が午後便、復路が午前便でホテルが郊外だったりと、安い理由はいくつかあるようだがそれにしてもやっぱり安い。どうやら今は下記のようないくつかの理由が重なりお値打ち価格で香港に行けるチャンスのようだ。

・円高還元による安い料金設定
・原油価格下落によるサーチャージ撤廃
・6月〜7月の香港は高温多湿で台風の直撃が多く、年間で最も料金設定が安い期間
・不況、新型インフルエンザで遠のいた客足を呼び戻すための特典やプラン多数

これらを考えるうちに、 夢物語であるはずの海外旅行が現実味を帯びてくる。

『ヤバイ、本気で行きたくなってきたよ。』

一気に熱くなるのは僕の悪い癖、もう1度落ち着いて良く考えるうちに、数週間前そうちゃんに読んだイソップ童話「アリとキリギリス」の『(夏に遊びすぎて冬を越せなくなり)杖をついて死にそうなキリギリスの4人家族の挿絵』が自分の家族と重なり心にブレーキをかける。

先が見えない今の時代は、海外旅行なんて行かずに将来のために蓄える方が利口かもしれないな。



2. 家族旅行で得られるもの
 サイパン旅行から2年が経つが、あの旅行は(一時的な気分転換で終わることなく)我が家の歴史にしっかりと刻み込まれ、未だに時々家族での会話に登場している。

それまで安ホテルにしか泊まったことが無いなっちにとってサイパンの豪華なホテルは衝撃的だったようで、海の見える広い部屋、虹を眺めて食べた朝食バイキング、貸切状態で使えるトロピカルな雰囲気のリゾートプール等を思い出しては「まるで天国のようだった」とウットリと話している。

当時幼稚園年少だったそうちゃんには旅行の記憶が残らないのでは?という懸念もあったが、マニャガハ島の綺麗な海や白い砂浜での貝探し等をしっかりと憶えているようで、目をキラキラ輝やかせながら話してくれる。(きっと家中に飾られたサイパンの写真、何度も開く旅行アルバム、繰り返し再生される家族の話が彼に忘却を許さなかったのであろう)

ゆっちとまっちにとっても、このはじめての4人での海外旅行はとても印象的であった。会社への連休申請、パスポート取得の面倒な手続きにはじまり、子供達の体調管理、飛行機やスーパーで吐いたそうちゃんの対応、魚を怖がり海に入りたがらないなっちの説得等、国内旅行とは比較にならない程の手間や苦労もあったが、真剣に悩み積極的に行動した分、これらは強く心に刻まれた。「小学校に入ったばかりのなっち」、「幼稚園に入ったばかりそうちゃん」がいる「2007年の我家の風景」がサイパン旅行に凝縮される形で一生ものの消えない記憶となった。


かつてのこの旅行を思い返すうちに、「家族で共有する特別な体験」には家族の結び付きを強める効能があると気付く。

特別な体験(自分達家族が特別だと考える体験)に立ち向かい、助け合いながら障害を乗り越え、共に学び共に成長していく積み重ねが家族のパーソナリティーや団結を生むのではないだろうか。

やがて子供は親元を離れていくが、サイパン旅行での体験は家族4人の心を結ぶ家族の絆としていつまでも在り続けることだろう。



3. 思い出の変換レート
 家族で「特別な体験」を分かち合う時期は、子供が少年・少女の時期が最適ではないだろうか。
旅行を『財布の中の財産を心の財産に変換する行為』と捉えるばらば、その変換レート(変換効率)が最も高い時期が感受性豊かな少年・少女時代であり、年齢を重ねるにつれてレートは1/2、1/4へと激減し、印象に残るような家族旅行は難しく(年々大きな金が必要に)なってくるような気がする。

こんな風に考えるうちに、思い出作りの効率の最も高い(最低インプットで最大のアウトプットが期待できる)今のうちに、また海外に行きたい気持ちが大きくなってくる。

そうちゃんはまだ幼稚園、焦って決めなくてもまだまだ長い時間があるような感じもするが、なっちが小学3年生であることを考えると、実はそう沢山の時間が残されている訳ではない。

お金なら後でいくらでも取り返せる(←そうであってほしい(笑))が、小さな子供達との時は戻らない。丁度香港旅行の話が盛り上がったこの機会に、夢の海外旅行を夢で終わらせないための行動に踏み出すことにした。

『楽しく過ごした夏の記憶を胸に、力を合わせて冬を乗り切るキリギリスの家族は、年中退屈な表情のアリの家族よりも、もしかすると幸せなのかもしれない。』

そんな考えが脳裏を駆け抜けていくのであった。



4. 香港調査開始
 ところで、香港ってどこにあるんだ?上海とか台湾とどう違うんだろう?
香港旅行について調べて分かった主な点はこんなところだ。

・日本からのフライト時間は4時間、時差はマイナス1時間。
・総面積は東京都の半分、観光地は九龍と香港島北部に密集。
・1997年にイギリスから中国へ返還され、特別行政区となる。
・特別行政区として資本主義経済が続き、公用語は広東語と英語。
・広東料理の最高峰、北京、四川、上海料理も味わえる食の宝庫。
・かつては治安が悪かった(香港マフィア)が現在の治安は良好。
・香港ディズニーランドは東京ディズニーランドの1/4の大きさ。
 東京ディズニーランド程の人気はなく、待ち時間も少ない。

サイパンで大自然を満喫した僕らが次に目指すべき場所は ココしかないように思えてきたよ♪ そして、さらに調べるうちに、香港の近くにの「マカオ」が 近年アジア屈指の人気観光スポットであると知る。そこで、マカオについても調べてみた。

・香港島から高速船で1時間、面積は世田谷区の約半分。
・1999年にポルトガルから中国へ返還され特別行政区となった。
・東洋と西洋が混在した町並みには30の世界遺産がある。
・2006年にカジノの売上高がラスベガスを抜き世界一になった。
・モータースポーツの地として世界的に有名(マカオグランプリ)。

なんだか(ディズニーランドよりずっと)面白そうじゃないか!イギリスの雰囲気の残る香港に、ポルトガルの雰囲気の残るマカオ観光を加えることで、東洋だけでなく西洋の歴史や文化についても学べ、子供達に良い影響を与えられそうだ。

3泊4日という限られた日程でにディズニーランド観光とマカオ観光を加えると、かなりタイトなスケジュールになり出費も増えるが、イケイケモードのメインストリートを走り出した今の自分に迷いはない。

『せかくだからマカオも行こう!今の我家に必要なのは、かわいい盛りの子供達と思いっきり旅行を楽しみ、まっちファミリーのクライマックスを満喫することなんだぜ!』


5. 新型インフルエンザの脅威
 ツアーパンフレット出発日カレンダーの最安値マークと土曜日の重なる7月11日に出発日を決め旅行の準備を開始。今回はパスポート取得、海水浴、旅行鞄購入の面倒な手間は無く、申し込みの要領も分かっていたため、すんなりと全ての準備が完了した。

しかし7月に入り、「中国(特に香港)で新型インフルエンザ患者が急増」のニュースが流れ、 さらに旅行3日前になっちが小学校から「海外旅行者は帰宅後数日間は自宅待機」という手紙をもらってくる。

『どうして旅行を計画すると、その計画に合わせるかのように障害が立ちはだかるのだろう。』

しかし、そんな心配よりもずっと大きな期待に胸を膨らませるうちに旅行出発日の朝がやってきた。


6. 旅行1日目(2009年7月11日)
 10時10分成田発のANA909便で日本を出発、機内で「おっぱいバレー」を観るうちに、あっという間に香港に到着。香港国際空港に降りしきる雨に肩を落とすが、車で30分程の尖沙咀(チムサーチョイ)にあるルネッサンス・カオルーンホテルに到着する頃にはすっかり雨は止んでいた。
新型インフルエンザの脅威もあり、初日はホテルでゆっくり過ごすつもりあったが、台風接近のため急遽予定を変更、今晩のうちに世界3大夜景の1つ、ヴィクトリアピークの100万ドルの夜景を観に行くことにした。

出発 スターフェリー乗り場

スターフェリーで香港島に渡り、タクシーでワンメーター(180香港ドル=約250円)の中華料理レストラン、美心皇宮(メイサムウォンゴン)で、まずは腹ごしらえ。十数種類の料理から4品を選べる3〜4人前のセットメニューを注文すると、丁度満席ということもありコックが1品づつ筆記と英語で丁寧に説明してくれる。

『オーケー、オーケー、これは、ビックなシュリンプをボイルして、ホットに味付けしたメニューね。アイ アンダースタンド!』

と旨そうな料理を4品選び円卓に着く。始めに大皿に乗った海老調理、次に鶏肉料理が運ばれてきた所で悪い予感が。

『あれ、あと注文したのってスペアリブと魚料理だよね。もしかしてご飯とか麺料理も選ぶべきだったんしゃないの?』

悪い予感的中、肉・魚のオンパレードに、子供達は飽き、まっちはもったいないと大食いして最後は胃がもたれてしまうというなんとも後悔の残る夕食であった。


時間が押しているため、ヴィクトリアピーク山麓駅までまたタクシーで移動(今回もワンメーター、香港の4人での移動はタクシーが安くて便利)。ピークトラム(110年走り続けている登山電車)の往復券と展望券を買いホームに上がろうとしてびっくり。

『なんだよこの長蛇の列!聞いてないよ〜!』

サタデーナイト&台風接近中の天気予報でホームは人であふれている。列の最後尾に並びピークトラムを待っていると、長旅の疲れで今にも眠りそうな子供達。

『おい、寝ちゃだめだなっち!目を開けるんだそうちゃん!』

ピークトラムで急斜面を登り山頂駅に到着。さらにそこからエスカレーターを乗り継ぎ、展望台最上階の扉を開く。目の前にはビクトリアハーバーと高層ビル群の大パノラマ。半分目が閉じていたそうちゃんが意外にもイキイキと歓声を上げる。

「うわぁー、すごーい!」

台風接近のせいで雲が立ち込めてはいるが視界はクリアー、空全体が紫色に輝いた独特な雰囲気が漂う夜景は確かに美しい。ココでしか味わえない最高の夜景を時間を忘れて鑑賞する。

美心皇宮(メイサムウォンゴン) ヴィクトリアピーク夜景


『やっぱ香港来て良かったよ。』と喜んだのも束の間、復路には往路以上の困難が待ち受けていた。ピークトラムが長蛇の列、列の最後尾はショッピングセンターを抜け、屋外にまで達していた。もう焦ってもしょうがないと異国のカップルや家族の人間観察や国籍当てクイズをして時間を潰す。やっとのことでピークトラムに乗り下山すると既に23時(日本時間22時)を回っていた。これから船や電車を乗り継ぎホテルへ戻るのでは深夜になってしまうぞ。

旅行初日から子供達が体調を崩したら大変だと、タクシーで直接ホテルまで帰る方法を模索するが、ホテルにガイドブックを置いてきたため、ビクトリア港の海底トンネルの通行料や尖沙咀の渋滞が全く読めない。丁度通りがかりの タクシーが止まってくれたため運転手に聞いてみる。話は通じたようだが、返事が理解できない。結論を出せずにいると、値段に不満があると勘違いされたようで、どんどん値引いてくれるようだ。そのうち、

「オーケー、ワンハンドレット(100ドル=1200円)オール!アンダーシートンネルインクルード!」

という好条件(?)にようやく言葉を理解し、子供2人を担いでタクシーに乗り込む。猛スピードで裏道を使いまくる若く腕のいい運転手のお陰で渋滞をうまく回避しあっという間にホテルに到着、何とか日付が変わる前に子供達をベッドに寝かし付けひと安心、なんとも慌ただしい旅行1日目であった。


6. 旅行2日目
 ホテル裏ショッピングセンター内のマクドナルドに開店と同時に駆け込み、マカロニのような食材にスープをかけて食べる初めて目にする(香港限定?)朝食メニューを食べ、バスとジェットフォイル(ジェット噴射で船体を持ち上げて走る高速船)を乗り継ぎマカオに向かう。
「ジェットフォイルは滑るように走るので船に弱い人でも安心」とガイドに書いてあったが、台風接近によるうねりの影響があるようで予想外の大きな揺れ。船酔いは万国共通のようで船内の様々な人種の乗客は皆苦しそう。朝からはしゃいでいたなっちとそうちゃんもマカオ到着の頃にはすっかり言葉数が少なくなっていた。
ジェットフォイル セントポール大聖堂 エッグタルト

入国手続き(独立行政区のためパスポートが必要)を済ませ、マカオのシンボル「セントポール大聖堂」、ポルトガルの雰囲気が色濃く残る「聖ドミニコ教会」、石畳が印象的な「セナド広場」、15世紀の中国(明)時代の建造物「嫣閣廟(マコウミュウ)」、マカオが一望できる「マカオタワー」を観光。マカオの複雑な歴史や特異な現状を肌で感じることができた。各々についての説明は長くなるので省略、これら観光地の案内をしてくれた(ハリセンボンの春菜(太った方)似の)ツアーガイドさんのことを書いておこう。

この中国人の現地ガイドさん、お勧めの観光方法、写真を撮るのに最適な場所、集合時間等を臨機応変に分かりやすくガイドしてくれつつ、カジノで潤うマカオ住民の恵まれた暮らしや、中国からの密入国事情、金さえあれば何人でも妻を迎えられるが全ての家事を任されているマカオ男性の暮らし等、現地に住むガイドさんならではの話を面白おかしく聞かせてくれる。決して日本語が上手い訳ではないが、堂々と話す言葉は聞き取りやすく、笑いのツボを押さえたトークについ笑ってしまう。
「せっかくマカオに来たんだからこの国の隅々まで知って楽しんでもらいたい」という気持ちが滲み出た発言や態度で日本人ツアー客の心を鷲掴みにして1つにまとめ、別料金のマカオタワーの展望台にツアー客全員を登らせてしまう中国人の商売上手ぶりも発揮。
異国人とのコミュニケーションには、言葉の上手さも必要ではあるが、滲み出る人間性や、伝えたいと願う思い(スピリット)、堂々と自分の意志を伝えようとすることがそれらと同じ位重要であると気付かせてもらえた。
聖ドミニコ教会 マカオタワー


お昼はランチバイキング(ポルトガル料理はどれもいまいち口に合わなかった)を食べ、ツアーバスはカジノ観光へ。子供のカジノ入店は禁止されているため、子連れの僕らだけでほとんど人がいない海沿いのテーマパークを観光。世界一の生のカジノを見れないのは残念であったが、(今回の旅行で唯一)人ごみから遠ざかり、家族で南国の風に吹かれるこの時間も印象的だった。

お世話になった現地ガイドさんと涙で別れ、香港行きジェットフォイルに乗り4人で爆睡。そうちゃんは香港入国手続き中も目を覚まさず、ホテル到着後のベットでようやく目を覚ました。


子供の体力も回復したようなので、今日も夕暮れの香港の街に繰り出す。
まずは覇王山荘(バッワンサムジョン)で夕食。肉汁があふれる小龍包、イキイキとした野菜類、辛くて旨いマーボー豆腐。さすが本場の中華料理はどれも旨い。子供達にも旨さが判るようで、いつもは好んで食べない野菜等までモリモリと食べてくれた。隣の席の老夫婦が手品を見せてくれたり、店の雰囲気も良く、ここへ来てようやく本物の中華料理を美味しく食べれた。

覇王山荘 オープントップバス

食後はオープントップバス(天井が無い2階建てバス)で、尖沙咀(チムサーチョイ)〜油麻地(ヤウマティ)〜周辺の香港映画に出てきそうなネオンの洪水の町並みを観光。
旺角(モンコック)でオープントップバスを下車、女人街の怪しい町並みを、唯一憶えた広東語『ホーン ホー イー ペーン ディ(負けてくれる?)』を多用して買い物。 100円に負けてもらったFOXのステッカー、300円のSONU(SONYのバッタ物)のヘットホン、ポケモンの時計、動物のおもちゃを買い、サトウキビジュース(まっちの口には合わずにゆっちに飲んでもらった)を飲みホテルへ戻る。明日は香港ディズニーランド観光、どんな1日になるのかな?


7. 旅行3日目
 早起きしてホテル前の香港島の町並みを海越しに見渡せるプロムナードを散策。8時からはじまる太極拳を見ようと会場の香港美術館近くまで行くと、なっちとそうちゃんの所に太極拳マスターのパンドラさん(ウィリアムさんの奥さん?)が駆け寄り「一緒にやりましょう!」と気さくに話し掛けてくれ、用紙に名前を書き太極拳を体験。子供達は15分位で飽きてしまっていたが日本ではできない貴重な体験ができた。


急いでホテルに戻り、昨晩「覇王山荘」でテイクアウトしたチャーハン(プリプリの海老やチャーシュー、パラパラのご飯が旨かった)を食べ、バスで香港ディズニーランドへ。開園15分前に到着するが駐車場もメインゲート前もガラガラ、

「もしかして偽物のディズニーランドに連れて来られちゃったんじゃないの?」

なんて冗談を交わしつつ開園と同時に入場。

香港ディズニーランドは、敷地の狭さや中国人ゲストのマナーの悪さ等、マイナス要因ばかりが話題になるが、そんな感じはなく1日気持ちよく楽しめた(ディズニーランド鉄道で外周を周ると確かに広くはないが、幼児連れで灼熱の暑さの中を1日で回ろうとするには充分過ぎる広さがあった)。

出発 スターフェリー乗り場 スターフェリー乗り場

日本よりも過激でなっちが半べそになった「スペースマウンテン」、待ち時間0分のため4回連続で乗ったそうちゃんお気に入りの「バズ・ライトイヤーのアストロブラスター」、意外にも混んでいたホンダ提供ゴーカート「オートピア」、日本エリアに歓声を上げてしまい、周りに国籍を晒してしまった「スモールワールド」、何も香港まで来て乗らなくても、、、と思えた「マッドハッターのティーカップ」、「注文しすぎて(予想外の量に)食べ切れなかった「ロイヤル・バンケット・ホールのランチ」、間違えて広東語ガイドの船に乗ってしまい、周りに合わせて笑う振りをした「ジャングルリバー・クルーズ」、そうちゃんのトイレがヤバかった「フェスティバル・オブ・ザ・ライオンキング」、水鉄砲の直撃を受けてずぶ抜れになった「ディズニー・オン・パレード」、最前列中央で観た香港ディズニーランド限定の「ゴールデンミッキー」を回る(オススメはゴールデンミッキーとライオンキング)。香港ディズニーランドの約7割のアトラクションを回ったが、日本人観光客は少なく、(9カ国語のガイドがあるアトラクションもあるというのに)日本語のガイドは全く無い。しかしながら、東京で馴染みの施設だけに不便はなく、日本語が通じないのも何かのアトラクションであるかのように夢の世界を楽しめた。

5時でディズニーランドを切り上げ、初日から子供達が入りたがっていたホテルのプールでひと泳ぎ。そして夜7時からアベニュー・オブ・スターズで「シンフォニー・オブ・ライツ」という夜景のショーを鑑賞。朝この辺りを散歩したせいもあり、子供達は、まるで現地の子供のように地面に埋め込まれた点滅するライトを踏んだり追い掛けたりしながら無邪気に遊ぶ。通行人の子供を見る目は温かく、通行人達が気軽に話しかけてくれる。旅行中子供が足手まといに感じることも確かに多いが、気軽に声をかけてもらえコミュニケーションのきっかけを与えてくれるのはありがたい。
美心皇宮(メイサムウォンゴン) ヴィクトリアピーク夜景ヴィクトリアピーク夜景


子供達に疲れの色が見えてきたので食料を買い込みホテルで夕食。食事を終えると子供達はすぐに寝てしまい、片方の部屋のベットに寝かしつける。(ホテルは費用節約のためツインルームを2部屋予約していたが、隣合わせの2室でしかも部屋の間にある扉の鍵を開けてもらえ、1部屋のように使えた)。
子供達とは別の部屋のソファーに座り、珍しくアルコールなんかを飲みながら、香港最後の夜に浸りつつ久々に夫婦の会話を楽しんでいると、隣の部屋からそうちゃんの叫び声。

『ギャー、はなぢー!!!』

どういう訳かそうちゃんがシーツに血を飛び散らせているので、シーツをはがし洗面所で洗っていると、もう1つの洗面所から今度はゆっちの叫び声。

『ギョエー、トイレの水がぁー!!!』

そうちゃんが鼻血を拭いたティッシュをトイレに流そうとして詰まらせ、止まらなくなったトイレの水で洗面所が大洪水。こうして香港最後の夜も慌ただしく過ぎていくのであった。


8. 旅行4日目      NEW
 最終日はホテルから程近い尖東駅周辺を散策。出勤途中のビジネスマンで活気溢れた、迷路のような地下道や至る所で無料新聞が配られる街角を歩き、ガイドブックお勧めの「杏花樓」にて朝食。
日本の某牛丼チェーン店のような店内のボックス席に座り、想像力を精一杯働かせながら漢字だらけのメニューと格闘していると、店員さんが外国人向けの写真入メニューを手渡してくれる。写真の中からお粥の朝食メニュー数品を注文。どれも食べやすくさらりと完食。
子供達はデザートメニューが気になるようで、プリンや杏仁豆腐、ハンペンのようなメニューを追加注文。レシートによると「是日老火粥」「早餐」「齋腸」「味蘿匐?」「湘蓮伴雙皮??」「鮮芒果布甸」「楊枝甘露」「凍湘蓮伴隻皮??」を食べたようだ。どれがどれかは良く分からない(笑)が、どれも美味しくまた食べ過ぎてしまった。

食後は、『もしも(将来日本が崩壊して)香港に移住したら、、、』なんて空想を膨らませつつ観光客向けではない普通の本屋や薬局、文房具屋、コンビニ、CDショップ(HMV)を周り、品揃えや物価を研究。香港写真集やサプリメント、お菓子、お土産、玉置浩二のCD等、買い物を楽しむうちに帰国のANA910便の時間が迫ってきたので泣く泣く空港へ。

飛び立つ飛行機の中で、「またいつか香港に来ようね」と話し掛けてくるそうちゃんに、『今度はママと2人で来ようかな。』なんて大人気なく応えると、「いいもん、内緒でパパ達の後をついて行っちゃうもん。」とそうちゃん。
サングラスで変装した子供達に追い回されながら香港を旅する絵を思い描きつつも、(我家にどんな未来が待ち受けているのか分からないが)「あの頃が最も楽しかった」と老後に縁側でお茶をすすりながら今回の旅を思い返す日が来るのかもしれないなんて考えるうちに、飛行機は日本に向けて飛び立った。

出発 スターフェリー乗り場


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・  

2年前のサイパン旅行では、そうちゃんが3歳、なっちが5歳とまだ小さく何かと行動が制限されたが、今回は2人の体力や知力が大幅に向上し、ほぼ思い通りの満足のいく旅ができた。
これは、ゆっち(妻)と2人で創る「まっちファミリー」が、(僕ら親から見た)クライマックス(=短い春の時期)に突入したことを意味しているのではないだろうか。

「学生」というステージでのクライマックスを無駄に過ごした苦い経験を、「家庭」という今の自分にとって最も重要なステージでは決して繰り返したくない。
そのためには、 「仕事が忙しい」とか「自分の時間がない」とか言い訳を極力控え、家族を引っ張り、もっと、もっと、もっと、もっとスペシャルな体験をしたい。「できることは全てやった」という自分なりの満足感を持ち、この時期を乗り切りたい。

『一生を終えて後に残るのは、われわれが集めたものではなくて、与えたものである』

とは、ジェラール・シャンドリの言葉であるが、子供が親の与えるものを素直に受け入れてくれる(まだ手の内にある小学生の)うちに、あと2〜3回は、海外に行きたいのだが、、、。

ファミリー香港旅行記 完〕