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■ スピーカー作成プロジェクト


1. 手作りスピーカーとの出会い

 スピーカー作成編のスタートは、1980年代、僕が高校1年の時までさかのぼる。
洋楽好きの同級生江口君(仮名)の家に遊びに行った時、部屋の片隅に彼が作ったという一辺15センチ位のお世辞にもきれいとは言えない手作りスピーカーを見つけたのが全てのはじまりだ。
当時店頭に並ぶスピーカーは、低音・中音・高音用の3つのユニットを用いた3WAYが主流で、スピーカーユニットの数が多ければ多い程、ウーファーの口径が大きければ大きい程良しとされていた時代であり、その貧弱な1WAYスピーカーはご自慢の単品コンポとは明らかに不釣り合いに見えた。


(イメージ写真〔こんな感じ〕)

『この、スティーブウィンウッドのアルバムなかなかいいから聴いてみるかい?』

彼がCDのPLAYボタンを押した瞬間、今まで聞いた事の無い立体的で躍動感あふれる音が響きはじめた。このアルバムの優れた録音のせいでもあるようだが、決して自分のコンポでは聞けない、スピーカー以外の所からも聞こえてくるような音に耳を疑った。 わずか10センチ程の小さなコーン紙が、一生懸命振動しながら弾むような低音を出す姿に完全に心を奪われた。

「ちょっとこれ触っていい?」


そのスピーカーを手に取ると、ずっしりとした重さがあった。

『手作りスピーカーのユニットは、そこら辺の完成品スピーカーとは磁石の大きさが違うんだよ。ボックスも廃材利用だから見た目は悪いけど、すげー厚い木を使ってるんだぜ。』

こんなちっぽけな手作りスピーカーからこんないい音が出るなら、少しお金をかけて手作りすればものすごいスピーカーが作れるに違いない。
決めた!僕もスピーカーを作ってみよう!

帰り道、どんなスピーカーを作るかを考える。電車・バスを乗り継ぎ家に着く頃には、ものすごくいい音の出るスピーカーを手に入れたも同然、勝ったも同然の気分であった。



2. 手作りスピーカー1号機の作成

 秋葉原へ足を運んだり、本を読んだりして手作りスピーカーについて研究する。寝ても起きても頭の中はスピーカー一色になり、高校の授業中、スピーカーの本を隠し読んで先生に注意されたりもした。
約ひと月色々考え、長岡鉄男スピーカー教室という本に載っている、バスレフ式、2WAYスピーカーの製作に着手した。

スピーカーユニット(フォステクス製20センチウーファーFW200、ドーム型ツィータFT55D)は、秋葉原の小泉無線で購入。
スピーカーボックスに使う木材は、(スピーカーに適したシナ材は高校生の経済力では手が届かず)ラワン材べニアを市内のホームセンター「ビーバートザン」で購入。木材カット担当のお兄さんも手作りスピーカーに関心があるらしく意気投合。いいスピーカーを作ろうとする情熱(と厳しい財布事情)が伝わったようで、カット代金を半額にしてくれたうえ、料金設定のない円カットまでしてくれた。帰りがけ、ママチャリに木材を積むのに四苦八苦していると、店から出てきたお兄さんが(転んだら大変だと)店で木材を預かると言ってくれた。とても感じのいいお兄さんで、「将来はビーバートザンに勤めようか?」と本気で考えたりしながら田んぼの中の田舎道を走り家路についた。

その後、約ひと月かけて、夜な夜な少しづつスピーカーを作成。ベニアの安っぽい素材感が気に入らないので、トノコで木目をつぶし不透明塗料を塗るなど外観には特に気を使った。最後は完成したボックス内にマジックで日付けと一言なんかを書きスピーカーユニットで封印し、手作りスピーカー1号機は完成した。

1号機写真
(1号機写真)

完成したスピーカーは、家にあるYAMAHA製ミニコンポの3WAYスピーカーの倍近くの重さになり、すごくいい音がするに違いないと思いドキドキしながらオーディオのPLAYボタンを押す。


『あれっ?』


ミニコンポのスピーカーと比べて高音の繊細さにも、低温の豊かさにも欠けた全くの期待外れの音に愕然とした。
音量を上げれば低音が出るが、(コーン紙が紙のせいか)その音はなんとなく紙っぽく、自分が求めているものとは違う音だった。多くの開発費用を投じて作られたメーカーの完成品スピーカーはうまく作られていると実感する苦い結果を突き付けられた。

『がっかりである。世の中、なかなかうまくいかないものだと様々な分野で感じ始めたのも丁度この頃である。』


3. 敗北の原因

 ではなぜ、満足のいくスピーカーができなかったのだろう?
自作用スピーカーユニットのカタログの宣伝文句を鵜呑みにし、自作用スピーカーユニットは、完成品に内蔵されるスピーカーユニットよりユニット自体が優れていると思い込み、メーカー完成品が最も得意とする土俵(ブックシェルフ、バスレフタイプ(四角形の箱の正面に穴が空いているタイプのスピーカー)で真向勝負を挑んでしまったのが敗北の原因だったと言えそうだ。

組み立てが難しく、工場での大量生産に向かない「バックロードホーンスピーカー」や、サイズが大きく売りづらい「左右一体型スピーカー」、実際のポテンシャルに比べ見た目がしょぼくて売りづらい「フルレンジスピーカー」など、自分の好みや味の追求に重点を置き、メーカーが作らない独創的なスピーカーを作るべきだったようだ。

そう気付いたものの高校生には次のスピーカーを作る財力は残っていなかった。 




4. 手作りスピーカーで聴こうとしていた音楽

 少し話が反れるが、手作りスピーカーで聴こうとしていた音楽について書いてみる。
スピーカーを作る位だからクラッシック等崇高な音楽が好きだったかというと、そうではなく、聞いていたのはもっぱらミーハーな洋楽、邦楽だった。

「当時流行りはじめていたデッド オア アライブやバナナラマ等のユーロービート系の重低音サウンドや、 当時全盛だったボンジョビ、ホワイトスネイク等のハードロック系の高密度サウンド、 ボビーコールドウェル、デビッドフォースター等の深みのある壮大なサウンド、その他様々なジャンルの曲を良い音で聞きたいと思った。


その中で最も聴きたかったのは、当時全盛期を過ぎつつあった「安全地帯(邦楽ニューミュージックバンド)」の曲だった。 ボーカル玉置浩二の艶っぽい(吐息交じりのような)声、武沢豊、矢萩渉の繊細なギター、六土開正の唸るベースやダイナミックなピアノ、 田中裕二のリズミカルなドラムを思いっきり味わいたかった。

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安全地帯が好きになったのは小学校高学年の頃、日曜午前中のAMラジオ番組「不二家歌謡ベストテン」から流れるシングル「ワインレッドの心」を偶然録音したのがきっかけで、そのテープを何度も聞くうちに洗練されたメロディーに魅了され、その後のシングル「恋の予感」がJALのTVコマーシャルで流れる頃には、完全に玉置浩二の作るメロディーの虜となっていた。

中学になると、それまで全く理解しようともしなかった歌詞に関心が湧き、今度は詞の魅力に引き摺り込まれた。
洒落た都会的な日常生活やダークな男と女のかけひきに大人の世界を感じ、やさしさや情熱、あこがれ、切なさ、寂しさ、等様々な感情の端的で見事な表現に舌を巻いた。


当時、活字嫌いで他人の言葉に耳を貸さなかった自分にとって、安全地帯の歌詞は唯一素直に考えを受け入れられる教科書のようで、 かっこ良さから理想の女性のタイプに至るまで大きな影響を受けた。

「いや、もう影響を受けたという域を越え、定義付けられていた!」

(今になって振り返ると、このことは、自分をノスタルジックで内向的な生き方にさせたり、心の奥深くに寂しさを持った女性を好むようにさせたりと、あまり良い恩恵は受けていなかった気がする。)
その後、安全地帯の作詞の多くを玉置浩二が手がけるようになると、何かが違うと感じるようになり、このことに気付く。

僕が好きなのは、松井五郎(安全地帯のほとんどの曲を作詞していた作詞家)の詞なんだと。

30代になり、彼らの曲を熱狂的に聞くことはなくなったが、先日チャンスがあり、久々にコンサートに行ってきた。 玉置浩二の歌声には、以前のような艶っぽさはなくなり、最近の曲には精彩に欠けるものが多く残念に思ったが、久しぶりに聞く初期の楽曲は(多感な青春時代毎日のように聞いていたせいもあり)、今聞いてもどの曲も素晴らしかった。

未だに一瞬であの頃の情景が瞼の裏に蘇り、当時の気持ちを感じられる(しかし、浸り過ぎると空想の世界に引き込まれてしまう)彼らの名曲達は、自分にとって麻薬、または栄養ドリンクのようなものであると思った。




5. 手作りスピーカー2号機の作成
 スピーカー作りには懲り、満足はいかずとも手作りスピーカー1号機を使い続けた。家に来る友人には、密かにアンプのスーパーバスボタンを押したり、音量を上げたり、録音の優れたCDばかりを流したりして「いいスピーカーできたよ!」なんて言っていたがそれは大ウソだった。

こんな不満足な日々が1年程続いたが、失恋をきっかけに2号機の作成を決意した。当時、自室にいる時はほとんど音楽を流し続けていたので、スピーカーを変えれば部屋の(淀んだような気がする)空気を変え、気持ちの切り替えができる気がした。

しかしながら、高校生の財布に余裕はない。
何かいい方法はないかと調査を続けるうちに、「ダブルバスレフ」という、バスレフ型スピーカー(一般的な穴空きスピーカー)を、2つ直列に繋いだようなスピーカーの存在を知る。 ダブルバスレフは、大型化と引き換えに、市販完成品スピーカーでは聞けない超低周波数域の音が出るという。

『1号機を壊し、スピーカーユニットのみを再利用すれば、ベニア板等の最小限の投資でダブルバスレフスピーカーが作れるのでは?』

高音の不満についてはミニコンポのYAMAHA製3WAYスピーカーのスーパーツイーターを使用することで補おうと考え、 長岡鉄男設計に自分の設計を織り交ぜ、2つのスピーカーを壊してまさに背水の陣で2号機の制作を開始した。

スピーカー作成中


今回は木の素材感を活かそうと、濃い目のニス仕上げとし、最後に1号機から外したウーファーを取り付け2号機の完成である。
祈るような気持ちでオーディオのPLAYボタンを押す。

「これはいい!」

1号機とは全く別物の、超低音に驚いた。どちらかというとシャープさに欠けるおだやかな音だが、 超低音域が曲に深みを与え、今まで味わえなかった曲の雰囲気が味わえる。 予想以上の出来に大満足だった。

スピーカー完成




6. 気に入った2号機

 スピーカーには、「エイジング」という月日の経過と共にユニット、ボックスが馴染みスピーカーの音が良くなる現象があるらしい。その影響がどれほどなのかは不明だが、使い続ける程に2号機の音が良く感じられるようになった。レコード→CD、テープ→MD→デジタルオーディオと再生機器が変わろうと、このスピーカーだけは使い続けた。

毎日数時間使用という酷使に耐え切れず約7年程でウーファーの縁が破れはじめ、約10年後には全周にわたり破れて色あせてしまった。

破れたウーファー

同じウーファー(FW200)を買いに行くと、FW200はすでに廃盤となり、後継機種のFW227が売られていた。 この後継機は、スピーカー径が22センチと2センチ大きくなり、コーン紙にも新素材が用いられ、FW200よりもシャープな低音が鳴るそうだ。 結婚を決めたばかりの自分は、迷わずこれを買い、2号機に取り付けた。
スピーカーと同じように自分もシャープに生まれ変わりたいと願いながら。

旧スピーカー 新スピーカー


7.荒波を乗り越えて その1

 結婚後、生まれ変わった2号機は新居リビングルームのテレビ横に居座り、音楽ソースに加え、映画音声にもお得意の重低音を響かせ ホームシアタースピーカーとして使用された。 数年が過ぎ、なっち(娘)が2歳の時事件が起こった。

ふと、スピーカを見ると、ウーファーの淵に指を突っ込んだような穴が開いているではないか!

『コラッ、なっち!お前ここに指入れただろ!』

「うん、入れちゃった!」

『かわいい悪魔め!あれ程スピーカーには触るなって言ったのに!』

『もしや、、、』

慌ててもう1本のスピーカーに目をやると、こちらにも穴が開いてるではないか!しかもこちらは入れた指を動かしたであろう大きな穴が。

『ゲゲゲ!こっちもだよー!!』

新品に交換して間もないウーファーの破損に、つい感情的になりなっちを叱りつけていると、ゆっち(妻)のお言葉。

「壊れやすい物をなっちの手の届く所に置くあなたの方が悪いんじゃない?」

『ハイ、ハイ、悪いのは私です。』

修理についてネットで調べると、約8000円×2=16000円で直せるらしい。万一の事故再発を考え、修理は子供の物心がつくまで先延ばしとし、 とりあえずウーファーカバーを作りかぶせておいた。(これ↓)

スピーカー

ちょっと格好悪いけど、これで安心だ。


8.荒波を乗り越えて その2
 ウーファーカバーをつけた数日後、会社から帰宅しリビングのドアを開けると、世にも恐ろしい光景が目の前で繰り広げられていた。
(ゆっち入浴中に、)なっちがウーファーカバーの網の目からウーファーに鉛筆を突っ込んでいるではないか!

『なっち、何やってるんだ!』

突然のパパの出現に『ビクッ』としたなっちは慌てて寝室に逃走した。

「いたずらっ娘めが!」


触ってはダメと言うのが余計に興味をそそらせるのか、まっちのスピーカ好きの遺伝なのか、なっちはスピーカーが大好きなようだ。 しばらくは、子供の手の届かない所にスピーカーを移動するしかなさそうだ。

こうして2号機は魔の手から逃れるために書斎に対面する2つの本棚の上へと移動し、パソコンにも接続されるようになり今日に至る。

本棚の上(左) 本棚の上(右)



9. 大きなのっぽの古スピーカー
 気付けばこのスピーカーを使い始めてもうすぐ20年になる。

学生時代は、ほぼ毎日このスピーカーで音楽を聞いて過ごしていた。
まだ若く純粋だったかつての自分は、様々なシーンでこのスピーカー(から流れる曲達)からエネルギーを受け取った。
安全地帯と共に泣き、岡村孝子に慰められ、エコーズに勇気をもらい、浜省と拳を突き上げながら、人生のいくつかの重要な 局面を乗り越えてきた。
その結果、このスピーカーには人生の激動の時期を共にしたという価値が加わった。

新年会
(大学入試直前徹夜勉強会)

社会人となってからは、じっくり音楽を聴くことは少なくなったが、特別なことがあった日や、自分に活を入れたい時、 集中して何かに取り組みたい時にはこのスピーカーで音楽を聞いている。

いつしかこのスピーカーから出る音波を、シャワーのように全身に浴びることが、枯れて、しぼみつつある自分の感性に 水を注ぎ再生させる行為に思えてきた。

コーン紙の振動から発せられるメッセージを持った音波エネルギーを全身の毛穴から(?)吸収することで、今の自分に昔の魂を埋め込み、 自分の能力を最大限に引き出しながら新たな壁に立ち向かえる気がした。

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そして現在、ふと家の中を見回すと高校時代から継続的に使い続けている物は、このスピーカー位しかないことに気付く。 (容赦なく物を捨てる習慣のある)我家の厳しい生存競争をこの美しいとは言えないスピーカーがよく勝ち抜いてこれたものだ。
こいつ(2号機)は、スピーカー壁面に画鋲を刺して紙を止めたりするひどい主人の仕打ちをものともせず、 皮ジャンや、ジーパンのように、傷の1つ1つを自分の魅力としてしまう。

(SMAPの代表曲「世界にひとつだけの花」の『ナンバーワンでなくともオンリーワン』という有名な歌詞にあるような、)『オンリーワン』の価値を目指して作られた こいつにとって、老朽化は怖いことではなさそうだ。
金を積めば何でも手に入る今の時代に、いくら金を積んでも手に入れられない世界で唯一の音を奏でられるという『オンリーワン』の価値を備えたこいつは、 老朽化を「オンリーワンの価値をさらに増大させるもの」としてむしろ歓迎しているようにさえ見える。

(幼少期に自分の個性を追求して(ダブルバスレフに)生まれ変わり、中年期に周りにエネルギーを与え続け、 熟年期にオンリーワンの魅力を存分に醸し出す)こいつは、まるで主人(まっち)へ『男の生き方の見本』を示してくれている ようだ。




10. 理想空間とスピーカー
 脱線ばかりしてきたが、そろそろスピーカーの記事を理想空間追求にこじつけてまとめなきゃ(笑)。

人生の半分以上を共に過ごした戦友のようなこいつは、 至福の時間を満喫するのになくてはならない重要なアイテムとなった。

このスピーカーのように、とことん情熱を注いだ物や、長年使い続けた物(家具、インテリア、機械、等服)は、居心地が良く、落ち着ける空間を演出するアイテムとなるようだ。
そしてそのアイテムの価値は、それを買うのに支払った金額ではなく、その空間を利用する者が自ら流した汗や注いだ創造力、思い入れに比例するということを この体験から学んだ。

本来の「音を鳴らす装置」を超越し、 『オリジナリティーを追求し、精一杯自分らしく生きる象徴としての役割』 を担いつつ、『男の生き方の見本』を示してくれるこいつは、部屋の片隅で益々輝きを放ちながら、僕の生活に潤いを与え続けてくれることだろう。
(スピーカー作成プロジェクト 完)