■ ファミリー山登り奮闘記 1. 自転車レースでの敗北 先日、MTBフェスティバル緑山という自転車競技に出場した。 自分なりにベストを尽くしたものの成績は27台中23位。 楽しめればそれでいいと思っていたが、順位を争う競技で、ほとんどビリというのはやはり悲しいものがある。 自転車競技は手軽に取り組め体力増進に繋がるメリットがある反面、モトクロスやスキーで得られるような「心地良い爽快感や、階段を1段ずつ上る上達の喜び」を感じずらい。体力(と自転車の性能)で、ほぼ順位が決まるような競技中は、自分にはただただキツイばかりで、そこから大きな喜びを感じ取ることはできなかった。 健康維持のために体を動かせる趣味を持ち続けたいが、「自分の限界を試したい」とか「他人に勝ちたい」という欲求を失いつつあるもうすぐ四十路の自分には、他人と順位や得点を争い合うような趣味ではなく、ベクトルを自分の内面に向け、成し遂げる達成感や自己の満足を味わえるような趣味の方が向いているように思えてきた。そして、そんな思いを巡らすうちに、両親が昔から続けている「山登り」という趣味がはじめて理解できるように思え、「家族で山登りをしてみようか?」という考えが膨らんできた。 2. ファミリー山登り計画始動 では、家族で山に登るメリットにはどんなものがあるのだろうか? ・準備いらずで、家族で手軽に取り組める。 なるほど、山登りはこれから我家で始めるのにぴったりな趣味と言えそうだ。 3. 富士登山の計画 小2の時に山好きの両親に連れられ家族4人で富士山に登ったことがある。 「登山のために買ってもらった靴」「山小屋での雑魚寝」「暗闇に響く杖に付けた鈴の音」「夜空に浮かぶ北斗七星」「眼下に広がる雲」「滑り降りる一面の砂利の斜面」、、、あれから30年が経つが、あの時目に映った非日常的な幾つかのシーンは、夢とも現実とも解らぬ形で記憶の片隅に今でも残っている。見知らぬ大人達に励まされつつ何とか登頂できた体験は大きな自信を与えてくれた。 気付けば今の自分はあの時見上げていた父親と似たような年齢になり、似たような家庭を持っている。 子から親へとライフステージを上った今、かつての自分を我が子に、かつての両親を今の自分に投影させて富士山に登ることが、とても意味のあることに思え、ぜひとも実現したくなってきた。 漠然とした目標を実現させるには具体的な計画を立ててしまうに限る。 富士山登頂の条件が最も整う(なっち小6、そうちゃん小4になる)2012年の7月末に富士登山の日程を決め、決定事項として家族に発表。 このXデーまでに残された時間は約2年半。富士登山のトレーニングとして、この期間に最低でも10の山に登ろうと思う。 4. ファミリー登山1回目: 大山(ヤビツ峠ルート)(2009年11月下旬) 『そうそう、ここにこんな小屋があったんだよ。』 子供の頃見た景色がほとんど変わらずに残っていること(それら景色が記憶としても残っていたこと)にいちいち感動しつつ足を進めていると、10分も経たぬうちにそうちゃんが「つかれた〜」を連発し、早速の休憩。 『かつての自分は根気良く山に登っていた気がするが、親から見たらこんな感じだったのだろうか?』 等と考えつつ、そうちゃんをその気にさせて再スタート。しかし、また10分程で泣き言がはじまり2回目の休憩。 最近ポケモンカード遊びに夢中のそうちゃんには、「頂上まで登れたらポケモンカード買ってあげる!」と声を掛ければやる気を取り戻すだろうことは容易に想像がつくが、できることなら物で釣らずに登らせたい。そんな葛藤から 『確か頂上にはポケモンセンターがあったような、、、』 と、口から出任せを言うと、そうちゃんの表情がパッと明るくなる。しかしながら空かさずなっちの横槍、 「パパの言う事信じちゃダメだよ。ポケモンセンターなんて絶対無いから!」 そんな子供達とのやり取りを聞いていたゆっちが痺れを切らせ、 「ハイハイ、頂上まで頑張ったらママがポケモンカード買ってあげるから、頑張って!」と登山再開。 山頂からの景色を眺めつつおにぎりを食べていると、「やっぱりポケモンランドなかった」と寂しそうにつぶやくそうちゃん。意外にもまっちの言葉を信じてくれていたようだ。ごめんねそうちゃん。 そして下山。木の実や木の葉にいちいち興味を抱くなっちと、 向こう見ずにバタバタと走るそうちゃんの距離が開き過ぎないように声をかけつつ30分程でヤビツ峠に到着。 駐車場脇のトイレで用を足していると、 驚いたことにまっちの膝がカタカタと震えだす。 『なんだこりゃぁ!!!』 子供達の遅いペースに文句を言っていた割に、運動不足の自分の足も悲鳴を上げてたようだ。実は子供達とのゆっくりペースが今の自分にも丁度良かったのかもしれない。 4. ファミリー登山2回目: 高尾山登山(2011年10月9日) 『こんなはずでは無かったのだが、、、』 何度か山登りの計画を立てはしたものの子供達は山に魅力を感じないようで、いつの間にかに山登りはモトクロス等他の予定に置き換えられていき、全く山に登らぬうちになっちは5年生、そうちゃんは2年生となってしまった。2人が小学生のうちに富士山に登れるのは来年の夏が最後のチャンス、それまでにたくさんの山に登りたいと子供達を誘うとこんな返事。 「え〜山登り〜、私はパス〜。」「じゃあ僕もパス〜。」 今の息子にかつての自分を、今の自分にかつての父親を照らし合わせて再び富士山に登るというささやかな夢は叶わずに終わってしまうのだろうか? 『そうだっ、テルファミリーを誘ってみよう!』 うちの子供達は他の家族と一緒なら何処へでも喜んで出掛けたがるという習性があるため、テルファミリーと一緒ならば山登りが実現できそうだと声を掛ける。すると話はトントン拍子に進み、お互いの家から交通の便の良い高尾山に行く話がまとまった。 「秋の高尾山の混雑は凄ましい!」という話を耳にしてはいたが実際はそれ程でも無いだろうと車で高尾山を目指すが、麓の高尾山口駅周辺の駐車場は何処も満車。しかたなく隣の高尾駅近くに車を停めて、ひと区間だけ電車に乗ろうとするが、高尾山口行きの京王線は通勤ラッシュのような寿司詰め状態。 『自然を見に来てるのにこんなのありえない!』 まるで初詣のような高尾山口駅で テルファミリーと合流し、最も混雑の少なそうな「稲荷山コース(3.1km)」で頂上を目指す。上り口付近はかなりの混雑だがケーブルカーの清滝駅を過ぎると混雑は幾分緩和されて自分のペースで登れるようになる。すぐに音を上げるだろうと思われたそうちゃんが、テル家のコウタ君、タクヤ君とふざけ合うのに夢中で全く疲れた気配を見せないのが唯一うれしい誤算。 2度の休憩を挟み3/4くらいの所まで登ると頂上渋滞にぶつかりその先はノロノロペース。昼過ぎに足の踏み場も無い頂上に到着、敷物広げ弁当を食べる。 下りは最もオーソドックスな「1号路(3.8km)」を選び、途中にある薬王院を参拝。その先のエコーリフト山上駅売店で皆でアイスを食べようとすると、「私はアイスはいらないから宝石の袋詰めやる!」と時間を忘れて石選びに熱中するなっち。 理想とはかなり違う山登りになってしまったが、なっちもそうちゃんも泣き言ひとつ言わずに今日1日歩いたのには驚いた。毎日小学校まで往復2キロの道のりを歩いているのが体力向上に一役買っているようだ。来年夏の富士登山へ向け何とか首の皮が繋がったという感じがする高尾山登山であった。
5. ファミリー登山3回目:高松山(2012年2月26日) 家族で山登りをしたいと思いつつも週休1日が続く多忙な日々に重い腰を上げられぬうちに富士登山予定日まで半年を切ってしまった。そんな中、久々に家族4人の土日の予定が空いたので山登りの計画を練るが、ネットで良さそうな山を探しているうちに忘れていたことを思い出す。 『そうだ、会社の通信教育のレポート提出期限、今月末までだった!(汗)』 普段の精神状態であれば大人しく勉強するところだが、年明け以来ほとんど遊びに出掛けていないことや、なっちが急に大人びてきたことへの焦りもあり、なんとか山登りと勉強を両立させようとこんなプランを練り上げる。 『土曜の朝家族で青春時代を過ごした本厚木に向かい、まっちは高校時代によく利用した中央図書館で夕方まで集中して勉強、ゆっち、なっち、そうちゃんは駅周辺でお買い物。その晩厚木のホテルに宿まり、ホテルに缶詰めで原稿を仕上げる作家気分で朝までにレポートを仕上げ、翌日少年時代愛犬を連れて何度も歩いた高松山ハイキングコースを子供達と散策。』 子供達は「ホテルに泊まれるなら山登るりする!」と大喜びだがゆっちは「なんで厚木なんかのホテルに、、、」と渋い表情。期限切れ間近の旅行補助を使うので出費は僅かであるとか、近場でこそのんびりできるとかそれらしい理由を並べてなんとか説得し、厚木アーバンホテルの「朝飯バイキング・アーバンスパ入場券付き格安プラン(18000円/4人)」をネットで予約、当日を迎えた。 かつて満ち溢れていたはずのハングリー精神を捻り出して夕方までにレポートの半分を仕上げ、たくさんの買い物袋を抱えたゆっち、なっち、そうちゃんと合流。1番街で厚木名物シロコロホルモン丼を食べ、かつてのゆっちの勤め先でスパイ気分を味わった後、厚木アーバンスパでのびのび入浴。ホテルに戻り寝室で寝息を立てる3人を横目に書斎部屋でレポートの残りに取り掛かる。厚木住民ならみんな知っている昔ながらの駄菓子屋「千石屋」で子供達が買ってきたお菓子をつまみながら内容はともあれレポートを仕上げて勉強終了! コーヒーを飲み過ぎたせいか全く眠くないので、少年時代感じたドキドキを求めて夜の街に繰り出してみる。
なんてドラマチックな展開を期待しバラ色の妄想を膨らませるも、そもそも彼女のいなかった自分にそんな再会などあるはずもなく(笑)、昔のように心の高鳴りを感じられなくなっている自分に寂しさを感しつつ足早にホテルに戻り眠りについた。 翌朝、久々に家族4人でのんびり朝食を食べ、小町神社脇に車を停めて20年ぶりに高松山ハイキングコースを散策。途中このコースを選んだ理由のひとつである少年時代を共に過ごした愛犬(シェルティーのジェニー)の墓参りをして、小町神社を経由し高松山を目指す 。「昔見えなかった住宅地が木々の隙間から見えるのは、大人になり視線が高くなったからなのだろうか?それとも木々が少なくなったからなのだろうか?」なんて考えながら子供達を追ううちに30分程で高松山に登頂。 帰り道、子供達が喉が渇いたと言うので、昔住んでいた家の近所にある「伊勢宇酒店」に20年ぶりに入ると見覚えのあるおばさん。思い切って声を掛けると意外にも僕を憶えてくれていた。近所に住む同窓生I・S・M・Oの近況など懐かしい地元ネタにしばし花を咲かせる。 「あれ、昨日のお菓子が減ってる!」『犯人きっとパパだよ!』と騒ぐ子供達の勢いに押されて昨日も行った千石屋で駄菓子を買い(2日連続なのでおまけしてもらった)、厚木の新名所「ぼうさいの丘公園」で遊んで高速を使い1時間程で帰宅。明日からまた前向きに頑張ろう!
6. ファミリー登山4回目: 富士登山 その1(2012年7月7〜8日) (1)登山ルートの検討
ここで目につくのが、富士宮ルート5合目の標高が最も高く、山頂までの距離、所要時間が共に最短である点だ。体力の無い子供達を連れての登山は、最も高くまで車で登れる富士宮ルートが良さそうだ。
(2)山小屋の検討 『山小屋の宿泊料金ってこんなに高いんだ、、、。』 山小屋には子供料金の設定が無く、しかも週末は割高となるため、週末家族4人(朝・夕食付き)の宿泊料金は3〜4万円位が相場となる。 『これならでセレナで泊まった方が良くないか?』 5合目駐車場での車中泊なら周りに気兼ねなく過ごせるし、何より料金がかからず天候や体調、仕事に応じて気軽にプランを変更できるのがいい。 『決めたっ!最も標高の高い富士宮ルート5合目駐車場で車中泊して翌朝山頂を目指すプランでいこう!』
(3)日程の検討 そんな訳で週末休みの自分は規制を避けると日程の自由度はほとんどなくなり、7月の週末で唯一マイカー規制の無い7月7日に車中泊をすることに決定!
(4)家族の説得とその後の顛末 「え〜、富士山まだあきらめてなかったんだ。でもなんで家族でわざわざ辛い思いをしなきゃならないの?」 と明らかに気が進まぬ様子。だが、富士山に登頂できれば子供達に大きな自信を与えられる(例え登頂できなくともこの上ない家族共通の記憶が刻める)という実体験に基づいた確信があり、『登山道具は山好きの両親に借りられるので出費はほとんどない』、『今年を逃すともう家族で登れるチャンスは無くなるかもしれない』、『日本人に生まれたからには1度は富士山に登らなきゃ!』と勧誘を続ける。 少しは共感を得られたのではと思っていると、「でも、大した練習も積まずに富士登山なんて厳しいんじゃないの?」と今度は現実的なご意見、、、。 確かにそうかもしれないが、ここで折れるかどうかが運命の分かれ道、「子供が産まれた時から考えていた僕の夢の実現に協力してくれ!と全身全霊をかけて拝み倒し、「疲れてすぐ登るの止めても絶対文句言わないでね」と念を押されつつもなんとか富士山に登る返事を引き出した。 ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ しかし、人生なかなかうまくいかないもので、登山予定日の7月7日に合わせるかのように仕事の波が来てしまい出勤決定。 夏はまだ始まったばかり、きっとまたチャンスはあるはずだ、、、。
7. ファミリー登山4回目: 富士登山 その2(2012年8月31日〜9月1日) (1)登山計画の再考 『このままでは2012年の夏は終われない!』 富士山全ルートのマイカー規制は8月25日で終了、その翌週末が今年富士山に登るラストチャンスになるであろうと家族を誘うと、「その日までに子供の夏休みの宿題が終わってれば行ってもいいよ」と裏番長。即刻夏休みの宿題を片付けるよう富士登山に興味津々の子供達の尻を叩き、さらに今回は急な仕事や天候の変化に柔軟に対応できるよう金曜日に年休を申請、週末3連休を用意し背水の陣で富士登山に備える。 いよいよ3連休前日となり、天気予報を見ると明日から3日連続間晴れマーク。仕事も順調で、明日からほぼ確実に富士登山に出発できそうだという段となり、まだほとんど準備をしていないと気付く。 「山頂を目指すなら山小屋に泊まった方がいいんじゃない?」 確かに山小屋宿泊は高山病予防だけでなく、登山行程を2日間に分割できたり、荷物を減らせるなど多数メリットがあり登頂できる確率は格段に上がる。シーズンオフ間際の今回の日程であればひょっとすると山小屋に空きがあるかもしれないと翌朝電話を入れる。 このチャンスを逃す手はないと、「最も山小屋が多い吉田ルートを登れる所まで登り山小屋に宿泊し翌日登頂(6合目まで登り登頂が無理そうなら日帰り帰宅)」というプランに練り直し9時過ぎに自宅を出発。
(2)登山1日目(5合目〜8合目蓬莱館) 『えっ、ゆっちお婆ちゃんに借りた登山靴まだ1回も履いてないの!』 まあ今更どうこう言ってもしょうがないので、靴下を重ね履きしたり踵にバンドエイドを貼ったり念入りに対策を施し(念のためそうちゃんの運動靴を鞄に詰め込み)、期待と不安に胸を膨らませてながら13時40分頃富士吉田5合目登山口を出発。 登山口周辺の路肩には客待ちの馬がいっぱい。この吉田ルートは6合目付近まで等高線に沿って山を回りつつ僅かに登るだけなのでタクシー代わりに馬で登れるようだ。馬に乗りたがる子供達に 『せっかく山登りに来たのになぜ馬に乗りたいの?』 と問題提起。人は何故山に登るかという哲学的難題に頭をひねったり、かつて父親(子供達にとってはお爺ちゃん)に連れられて富士登山をした時の昔話を聞かせながら、ゆっくり歩くうちに1時間弱で6合目に到着。「もう6合目着いちゃったんだ」と驚く子供達と広大な景色を眺めながら長めの休憩。思ったよりもみんな元気で靴連れもできておらず、これなら登頂できるかもしれないと山小屋に泊まる覚悟を固めつつ7合目へ向かう火山灰の斜面をジグザグに登る道を歩きだす。
6合目を過ぎると視界を隠す木々はほとんど姿を消し、遠くまで続く傾斜した富士山裾野の全貌が見渡せるようになる。大空の彼方の雲が風に吹かれてこちらに迫ってきたかと思うと頭上を通り過ぎて行く。 丁度この辺りが標準的な雲の高さのようで、霧に包まれ視界がなくなったかと思うと晴れ上がったりとコロコロと天気が変わる。まるで別世界へ足を踏み入れてしまったかのような変化に対応し服を着たり脱いだりしながら足を進め、16時過ぎに7合目に到着。 7合目を過ぎると岩肌を登る道となる。猿系の我家の子供達は火山灰の道を歩くより岩登りの方が好きなようで元気に登っていく。少し登る毎に山小屋があり、『きっとあれが蓬莱館じゃない?』『じゃあ次のあれが蓬莱館だよ』と見上げながら足を進める。次第に空気が薄くなってきているようで子供達に疲れの色が見えてきたが、非日常空間に身を置く新鮮さや山小屋への期待が勝るようで意外にも弱音を吐かずにそれなりのペースで登っていく。
(3)蓬莱館宿泊 夜中、背中合わせで隣で寝ているおじさんがゴソゴソとうるさくて目を覚ますとまだ0時。自分と同じ夜型人間のなっちに「星見に行こうよ!トイレ行こうよ!お腹空かない?」と声を掛けるが目を覚ます気配はなく、iPhoneで撮った写真をFACEBOOKに投稿したり、明日の天候などを調べて時間をつぶす。そのうちなっちが目を覚ましたので一緒に星の観察。残念ながらほとんど星は出ていないが明かりの灯る山頂上空に浮かぶ満月はとても綺麗であった。 「もう8合目、この調子ならきっと明日は楽勝で山頂まで行けるだろう!」と(この先にいくつもの困難が持ち受けているなどとは考えもせず)気分良く眠りについた。 早朝5時頃目を覚ますと雑魚寝部屋には僕ら家族の他は誰もおらず貸し切り状態。外ではみぞれのような冷たい霧雨が降っており、朝から冷たい思いをしたくないと出発を遅らせて貸し切りの暖かい山小屋でのんびり朝食。 やがて雨も止み雲の中からご来光、『僕は5回トイレ行ったから1000円得した。』「私は5回だけどもう1回行くから1200円の得。」「じゃあ僕ももう1回行って1200円得しちゃおう」と儲けた金額(?)を自慢し合いながら全ての防寒着を着込み5時50分蓬莱館を出発!
(4)蓬莱館〜山頂 そうちゃんとは対照的になっちは元気満々、どこまでも拡がる残雪の残る山肌や眼下の雲海など、この世のものとは思えない雄大な景色に感嘆の声を上げつつ先頭を闊歩している。そんななっちに『そうちゃんが登れなくなった時点で下山するからね。』と小声で伝えると渋い表情。どうすればそうちゃんのやる気を引き出せるかを一緒に考えてもらう。 【1】 後ろから褒めまくり作戦 【2】 携帯酸素暗示作戦 蓬莱館があったのが「元祖8合目」で、こちらは「本8合目」と8合目が2つ続くため周りからは「なんだ〜、9合目じゃないのか〜」という落胆の声が聞こえてくる。果たしてこんなペースで山頂まで辿り着けるのだろうか? 本八合目は登山道と下山道が交わる最後のポイントであり、8時過ぎということもあり、下山道には山頂で御来光を見て下山する人の行列が見える。ゆっちが山頂まで往復する間荷物を預かってもらえないかを山小屋のおじさんに相談すると、「荷物1つにつき300円で預かりますよ」という回答。そうちゃんがどうしても歩けなくなったら背負って登れるよう、山頂の往復に必要なさそうな荷物を1つのリュックに纏めて預けようとするが、『果たしてそうちゃんを背負って登る意味があるのだろうか?(もしかしてそうちゃんを背負うのは、自分の登頂欲を満たすエゴイズムではないか?)』という疑問が次第に大きくなってくる。家族4人が自力で登ってこそ家族登山の意味があるように思え荷物を預ける方針を撤回。 『12時まで頑張ってみて、それでダメなら諦めてまた来年挑戦しよう!』 と家族に説明、荷物を預ける代わりに携帯酸素をもう1本購入し、強い日差しが照り付ける中9合目への道を歩き出した。 吉田ルートは本八合目で須走ルートと合流するため、この先山頂(久須志神社)までは32年前に1度歩いているはずだ(左上写真右端が32年前のまっち)。記憶の世界に片足を突っ込みつつ足を進めるうちに、周りの大人達の励ましを独り占めしながら短い足で懸命に歩くそうちゃんがかつての自分のイメージと重なった。『やはりコイツは自分と似ているな。頑張れミニまっち、あともう少しの辛抱だ!』 やがて頂上渋滞がはじまるが、これまでもスローペースで抜かれ続けながら歩いていた僕らにはかえってこのペースが丁度良い。周りの登山者と一緒に1歩ずつ足を進める。 2012年9月1日10時40分、家族4人で富士山を登頂する目標達成!
(5)山頂〜下山 『いやぁ〜、そうちゃんもなっちもゆっちも良く頑張ったねぇ〜!』 互いの健闘をたたえ合いながら日本で最も高い場所で食べるカップヌードルは(いつもの味ではあるが)どんな有名店のラーメンよりも温かく心に染みわたった。 火山灰をザクザクと踏み締めながら所々に残雪の残る下山道を下ること約30分、雲に包まれたかと思うとまたもや本格的な雨が降り出した。両親に借りてきたゴアテックス製高級レインコートのゆっちと自分はさほど不快ではないが、安物レインコートの子供達は服の中まで水が侵入するらしく「寒くてもう歩けない!」と辛そうにつぶやく。だが、雨を避けられる場所は何処にもなく、ここで足を止めれば余計に体が冷え、体力の無いそうちゃんには遭難の危険すらありそうだと、『登りに比べると下りは楽で自然に足が前に出るねぇ。』『旨いチョコレート持ってきたけど食べる?』『降りたらどんな温泉に入りたい?』など寒さや疲れから気を反らせつつ下山続行(笑顔でおしゃべりしつつも内心は雨が止むよう天に祈るばかりの真剣モード)。 須走ルートとの分岐まで下るとようやく雨が弱まり、濡れてはいるが火山灰のため水の溜まらない道端に腰を下ろし、巨大ソーセージ休憩(昨日から休憩の度に家族に勧めては「それはいらない」と断られ続けた魚肉ソーセージの消費にようやく成功)。だが、すぐにまた雨が激しくなってしまい巨大ソーセージ片手に8合目と7合目の中間にある緊急避難所まで頑張ろうと歩き出す。無事コンクリートの壁で囲まれた緊急避難所に到着し「足の親指が痛い!」と言うそうちゃんの靴を脱がそうとすると、驚いたことに左右逆に履いているではないか。「これじゃあ痛い訳だ。」 雨はほとんど上がり、ここまで自分の荷物は自分で背負う言いつけを守ってきたなっちに、『そうちゃんだいぶ疲れてるみたいだねぇ』と話し掛けると、 「そうちゃんは本当はすごく元気なのに、荷物をパパに持って欲しいから疲れている振りをしているだけなんだよ」 とそうちゃん演技論を発表。『そんなことないんじゃないの?』と言ってはみるが、前を歩くそうちゃんは、わざわざ変な道を選んだり、サッカーのフェイントの練習をしたりを繰り返す。空気濃度や気圧が戻るに連れて元気を取り戻したようなので、呼び止めて自分の荷物は自分で持つよう伝えるとまた疲れた表情や歩き方が復活 。「やっぱり演技だったでしょ。」と勝ち誇るような表情のなっち。
7号目の公衆トイレを過ぎると雲の隙間から久々に日が差し、遥か地平線まで拡がる原生林に光の筋を突き刺した。その後も大きな虹が出るなど光と影の生み出す美しく幻想的な景色の中足を進める。 レストランで夕食を食べ温泉でのんびりするつもりだったが、2学期を前に子供達が体調を崩したら大変だとセブンイレブンでおでんを買ってそのまま中央道に乗る。まっちファミリーにピークがあるとすれば、それはきっと今日の富士山頂だったのではないだろうか?などとぼんやり考えながら帰宅。家族共通のこの上ない最高の想い出ができた富士登山であった。 【富士登山データ】
8. ファミリー登山5回目: 親子3代山登り(2014年3月31日) では、どの山に登ろうか? 午前4時に自宅を出発、東名高速を大井松田ICで下り、北進宇津茂集落の寄管理センター駐車場に車を停める。5時半を過ぎ、そろそろ歩き始めようと車内で熟睡していたそうちゃんを起こすと、「眠いから行きたくない!」と不機嫌モード。戦中、戦後を逞しく生き抜いてきたおじいちゃん、おばあちゃんにそんな我がままが通る訳も無く、泣き叫ぶそうちゃんは車から強引に引き摺り下ろされ、警官に護送される容疑者の如くおじいちゃん、おばあちゃんに両脇を固められて県道710号の舗装路を歩き始める。 15分程歩くとそうちゃんは「早く家に帰りたいからみんなもっと速く歩いて!」とおじいちゃん、おばあちゃんの手を振り解き観念して先頭を歩き出した。 道端に作業用経路・ボランティア林A(作業用経路行き止まり)の標識を見付けたおじいちゃんは、登山用GPS(高度計、ナビ)でルートを照合、ここから山に入って行く。 「じいじ達いつもこんな道歩いてるの?」 驚くそうちゃんとしばらく後に続くも、予定ルートを左に外れてしまったようで、途中から強引に右側の山肌に切り込んで行く。しかしながら傾斜がキツく足場も悪いので、 「今日は初心者がいるからこれ以上のトラバースは止めておこう」 と引き返し別ルートを選択。 おばあちゃんの楓(カエデ)と檜(ヒノキ)の違いについての講義を受けつつ九十九折で急斜面を登り、標高1000mの地点で鍋割山への正規登山道に合流(登山用GPSの高度計の精度はかなり高いようで、道端の木に書かれた1000mの標高表示と寸分の狂いもなかった)。 これまでの作業用林道では誰1人として登山者に会わなかったが、正規登山道には多くの登山者がおり、登山人気を再確認。栗ノ木洞(908m)を超え、遠くに富士山を見ながら櫟山(くぬぎやま810m)まで歩き、早目の昼食。 茶畑や満開の桜を見ながら下山道を歩いていると、予想した車到着時間(10時45分)に合わせようとそうちゃんが走り出す。そうちゃんを追い掛け自分も小走りで林道を駆け下りていると、自転車ロングライド時にも時々悩まされる膝の痛み(腸脛靭帯炎)が出てしまう。おじいちゃん、おばあちゃん、そうちゃんは何ともないらしいのに、自分の体だけが悲鳴を上げる現状に、悲しさ半分、嬉しさ半分の複雑な心境。桜や茶畑を横目にロウバイ園を過ぎ、11時に車に到着。 おじいちゃんの過去歩いた同じルートは歩かないという山歩きのポリシーは、輪行サイクリングでの自分のポリシーに通じ、共感できるものであった。あと20年もしたら自分も山歩きにのめり込んでいるかもしれないな。
9. ファミリー登山6回目: 親子3代 金時山登山(2015年2月28日) 5時前に自宅を出発、東名高速を大井松田ICで下り、県道78号で夕日の滝駐車場へ。6時23分、酒匂川の支流沿いの静かな山道を歩きはじめる。1年前の山登りでは寝起きで不機嫌だったそうちゃんは今回は機嫌良く先頭を闊歩。行く手を小川に阻まれると、「こんなの簡単!」と先陣を切り飛び石で渡り始めたかと思うと、足を滑らせ片足を水中にドボン(笑)! 「あと頂上までどれ位?」とそうちゃんが尋ねたのをきっかけにおじいちゃんの山歩き講座がはじまる。地図と高度計を手に楽しそうに会話を続ける2人の後をおばあちゃんと息を切らせながら追うこと約1時間半、太い山道に突き当たり、いきなり視界が開けた。 『富士山でかっ!』「ココ、富士山の近くだったんだ。」 御殿場側から見た形が猪の鼻の先端部に見える「猪鼻砦」と名付けられたこの場所から富士山の間に遮る物はなく、美しい裾野の拡がりまで一望できる素晴らしい見晴らし。 すぐ先に見える山頂を目指して先頭を走るそうちゃんを追い掛けて太い山道を進むと急斜面にへばりつく丸太階段や梯子のような鉄階段が続く最後の難関。冷たい風に吹かれつつ山頂まで高度差250mの急坂を休み休み登り、標高1212mの金時山山頂に8時52分到着。 箱根カルデラ内の芦ノ湖が見えたのは予想外。スマホで調べるとそれもそのはず、この金時山は、湖尻側に位置する箱根外輪山の一部(最も高い外輪山)であるようだ。しばし素晴らしい景観を堪能して下山開始。 鉄階段は踏み板の奥行きが狭く愛犬マロンは自力で下れず、おじいちゃんの肩の上で無念そうな表情。復路は猪鼻砦跡を通り過ぎるルートを選ぶと駐車場が現れ、「ここまで車で登れるなら、わざわざ下から歩いてこなくても良かったんじゃん」とそうちゃん。 200m程先に落差23mの「夕日の滝」があるらしく、せっかくなので行ってみると、丁度白装束の団体が滝行(入水前のお参り)をしていた。 |