【心に残る言葉】
心に残る言葉 26.
『私1人でもやるつもりだから』
昔の話だが、結婚式を挙げにオーストラリアに行く数日前のこと、 当時の上司Kさんが結婚の祝賀会(飲み会)をやろうと言ってくださった。 しかしその当時、職場では深夜残業や徹夜勤務が続き、皆が疲弊していた。 この状況下での祝賀会は皆の負担になると思い、Kさんに祝賀会を (開いてくれるという気持ちだけで充分なので)中止にして欲しいと伝えた。すると、
『(参加者が)私1人てもやるつもりだからお前はそんな心配しないでいい。』
と、予想外の応えを頂き、少数精鋭?で祝賀会は開催された。 その祝賀会の席上で、Kさんにこの会を催して頂いたお礼を言うと、こんな話を聞かせてくれた。
『昔、私が結婚する時、上司が祝賀会を開いてくれてとても嬉しかったから、私も自分の部下が結婚する時は必ず結婚祝賀会をやるって決めてるんだよ。』
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Kさんは、この祝賀会後、数ヶ月で親会社に帰社してしまったが、 自分の中に明確な考えを持ち、自分が正しいと思ったことは、周りとの衝突を恐れずに主張し、(時には納得がいくまで議論し)実行していくタイプの人だった。 Kさんのこの姿勢は、何かと逃げ腰になっている最近の自分に最も必要な 見習うべきものだと感じ、今更ながら懐かしく思い出した。
この祝賀会でKさんに貰った造花は、今でも我家の片隅に飾ってある。
心に残る言葉 25.
『イメージが伝わるページを入れてみなよ!』
(1)教育方針 先日、今春から小学校に通い始めたなっちの初めて授業参観に行ってきた。 クラスでのなっちは、控え目で目立たず、家での威勢の良さは影を潜めていた。 授業参観終了後なっちに聞いてみた。
「なっちはいつも手を挙げてないの?」 『今日はたまたま挙げなかっただけだよ。』 「よそ見ばかりして先生の話ちゃんと聞いてなかったでしょ。」 『それもたまたまだよ。』
なっちの教育について、今まであまり真剣に考えてこなかったが、そろそろ真剣に 考えねば取り返しがつかなくなる気がしてきた。
しかし、勉強のことをほとんど何も言わなかった自分が突然『勉強しろ』と言い出しても良い結果には繋がらなそうだ。(勉強は「しろ!」と言われるとしたくなくなることは、かつての自分が体感済みだ。)
父親の自分は毎日勉強を見てはやれないので(細かな勉強は母親に任せるとして)、勉強をやりたいと思う気持ちを植え付けることに力を注ぐのが良さそうだ。
(2)イメージ戦略 では、『勉強をやりたいと思う気持ち』は、どのようにすれば育てられるのだろうか? ここで頭に浮かんだのが、会社でプレゼン資料を作成した時に上司に言われた
『人々を説得するには、人間の感情に直接作用するイメージで攻めなきゃダメなんだよ。(理論で攻める)詳細説明のページを少し削ってイメージが伝わるページを入れてみなよ!』 という言葉だった。 子供を説得する(勉強をやりたいと思う気持ちを植え付ける)のにもこの言葉が当て嵌まりそうだぞ!
勉強した場合の将来のイメージ(面白い仕事をして、いっぱいお金をもらって、大きな家で、おいしい御飯をたべて、、、)と、 勉強をしなかった場合の将来のイメージ(早朝から夜中まで面白くない(例えば肉体を酷使した)仕事をしつつ、、、)をなっちに生生しく話してみた。
勉強の大切さは伝わったように見えたが、果たして本気の行動を引き出すことはできるだろうか?
心に残る言葉 24.
『自分のアイデンティティーを忘れないこと』
20年も昔の出来事、『ママチャリ伊豆旅行プロジェクト』の記事を今更ながらこのHPに書いているのは、色々な事柄が重なり合い、書くのに丁度良い追い風が吹いていると感じたからだ。 色々な事柄とは、「mixiによる旧友との関係復活と今後への期待」、「富士スピードウェイ、ママチャリGPエントリーへの流れ作り」、「高校時代が無駄ではなかったと証明したくなった」、「老後に伊豆を舞台にした自己満足小説を作成するためのエッセンス抽出」等だが、記事を書く直接の引き金となったことを書いてみよう。
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今春、入社13年目にして初の部署移動があり、新しい人間関係の中で、自分の能力の無さに落ち込んだり、本来の自分とは違う(例えば社交的な)人間像を無理矢理演じたりしながら仕事をしている。そんな中で、先日ミスユニバースとなった森理世さんが美しさの秘訣を問われて答えた言葉が心に響いた。
『自分のアイデンティティーを忘れないことです。』
別にミスユニバースを目指すつもりはないが、何だか彼女のこの言葉が、今の自分に向けられているように思えてきた。周りに自分を合わせるばかりでなく、自分のアイデンティティー(自分独自の特性)に磨きをかけ、これを武器に自分らしく生きたいと思った。
では、僕のアイデンティティーって一体何だろう?
昔はすぐに答えられたであろうこの問いの答えが浮かばない。 社会に揉まれ、地味なサラリーマン生活を送るうちに、自分のアイデンティティーを失い、無色透明な人間になりつつある気がしてきた。
丁度そんな時、会社の「10年後の開発商品を検討する会議」で、会社のアイデンティティーを考える機会に恵まれた。
「10年後の開発商品を考える第1段階として、まずは会社が創業以来やってきたことを調査分析し、その結果を元に会社のアイデンティティーを明確にしよう」
という方針に基づき会社の過去の調査、分析を進めるうちに、ふと、自分のアイデンティティーのことに意識が向き、ある考えが脳裏をよぎった。
『自分のやってきたことを調査、分析すれば、自分のアイデンティティーを明確にすることができるかもしれない。』
果たして、過去(周りのしがらみに捕らわれずに最も自由に生きていた時代)を思い返し、調査分析(再定義)することで、後付けでない本来の自分の特性、光る何かを見つけることはできるのだろうか?
心に残る言葉 23.
『あなたの能力が低いってことなんじゃないの?』
学生時代からの友達と話すと、
「上司が頭悪くて困るんだよね。」とか、
「うちの会社バカばっかなんだよね。」 という類の発言を良く耳にするのだが、 自分は会社でこの手のことをあまり感じたことがない。
皆を思いやり、チームをまとめ上げる武田信玄のような上司、 他社や他部署の出方を見極め、こちらのペースに持ち込み仕事をする者、 専門分野に関して鬼のような知識を持ち、質の高い仕事のために 月100時間以上の残業を平然とこなす者、 自分には到底真似できない周りの人の能力を上げればきりがない。 このことをゆっちに話し、
『うちの会社って、能力が高い人が多いみたいなんだよね。』
と言うと、こんな応えが返ってきた。
「それはぁ、、、あなたの能力が低いってことなんじゃないの?」
核心を突かれて何も言えなくなるまっちであった(笑)。
友達、みんな頑張ってるんだろうな。
心に残る言葉 22.
『時は流れない、積み重なる』
1.ROCKY THE FINAL観賞 映画館でROCKY THE FINAL(ROCKY 6)を観てきた。映画館へ足を運ぶことはあまり無いのだが、最近息切れ気味なので(昔、ロッキーにパワーをもらった事を思い出し)夜、レイトショーに駆け込んだ。
中学の頃、親友5人組でロッキーシリーズのビデオを観まくっていた時期があった。 ロッキーのスマートとは言えない生き様は自分に通じる所が多く、自分にロッキー(当時好きだった女の子にエイドリアン)を重ね合わせながら、映画を観ては5人で熱くなり、腕立てやマラソンをしたものだった(笑)。
あれから約20年が経ち、「老い」や「自分の限界」が理解できる年齢(疲れた中年)となった今の自分に、ROCKY THE FINALはグッとくるものがあった。 現役を引退し20年が経ち、昔以上に目が垂れ、しわが増え、筋肉の張りを失ったロッキーが現役チャンピオンに対戦するストーリーがいかにも嘘臭くはあるが、今まで感じていた肉体的な強さとは別の次元にある人間的な強さや、燻し銀の格好良さを感じることができた。 還暦を迎えつつも体を張るロッキー(というかスタローン)への「よくやるよ」という冷めた苦笑は「やっぱりすげぇ」という尊敬の念へと変わっていった。
2.『時は流れない、積み重なる』 ROCKY THE FINALは、大学時代の友人(このホームページの管理人)が好きだと語っていた忘れかけていた言葉『時は流れない、積み重なる』を思い出させた。
過去の栄光にしがみついて生きる映画前半のロッキーは何とも格好悪いのだが、再びリングに上がると決意し前向きになった途端、彼の中に生き続けるアポロ、ミッキー、エイドリアンのかつての一言ひと言がキラキラと輝き出した。今まで積み重ねてきた過去の経験が、彼の中で底無しのエネルギーを発しているように見えた。
自分はノスタルジックになりやすいため「過去を振り返ること=悪」と考え、振り返らないように心掛けてきたが、未来に目を向けた上での振り返りは、決して悪いことではないと思えてきた。 過去の出会い(今まで出会ってきた人々がら学んだこと)を生かしながら前向きに生きていくことは、人間らしく素晴らしいことに思えてきた。 (おまけ:ロッキー4のビデオを見たなっち、そうちゃんは、パンツ1枚になり2人で家の中をジョギングしはじめた。 やはりロッキーにはやる気を起こさせる力があるようだ、)
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心に残る言葉 21.
『論理的な思考と熱いトークは切り離せないんじゃないの?』
半年程前に、会社の取締役の方々に自分が考えたある提案のプレゼンテーションを行った。 ヒラメキを熟成させて練り上げたこの提案(詳細をココに書けないのが残念)はおおむね好評だったが、 もう1歩のところで社長のGOサインを頂く(実行する)には至らなかった。
この提案には思い入れと自信があり、このまま引き下がれない気持ちを引き摺っていると、社内の交流会で再度プレゼンの機会を与えて頂けることとなった。 今度こそは社長のGOサインを頂こうと、提案内容をブラッシュアップし、説得のための客観的データを収集したりするが、どうも(100%の力を出し切った前回のプレゼンで口説き落とせなかっただけに)今回も口説き落とせる気がしない。
『どうすれば敵(取締役の方々)の牙城を切り崩せるのだろうか?』
「どうしてその案をやりたいのか・会社にどのような効果をもたらすのか・失敗した時はどうなるのか・費用対効果・技術的困難事項、、、」等細部まで検討したデータを論理的に破綻の無いよう熟考し、発表台本まで用意したプレゼンでも動かせなかった社長の気持を動かすには、提案の詳細データをさらに盛り込むよりも、この案をやりたいという思いの強さや、自分が会社のために肝を据えて提案していることを感情に訴えることが最も効果的だと考え、今回は「お願いだからやらせて作戦」で挑むことにした。
プレゼンでは、「今日は社長の首を縦に振って頂くために来ました。」と、冒頭からぜひやりたいという気持ちを前面に出し、「お前の熱苦しい話は聞き飽きたからもう勝手にやっちゃってくれ!」 とでも言わせる位のつもりで自分の言葉で熱意に満ちたプレゼンをしてみた。
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しかし、、、 現実はなかなか厳しく、今回も社長のGOサインは頂けなかった。 そして、プレゼンの帰り道、先輩にこんなことを言われた。
『前回は論理的に綺麗にやり過ぎって感じだったけど、今度は熱意でもって行こうとし過ぎたって感じだったな。論理的な思考と熱いトークは切り離せないんじゃないの?』
論理的な思考による説明は前回のプレゼンで散々示していたので、今回はその多くを割愛したのだが、どうもそれが良くなかったようだ。 熱意で押すことは、(子供が「やりたい、やりたい」と訴えるように)深く検討せずに思いつきだけで提案していると思われやすく、この誤解を避けるには論理的な説明で相手を納得させ(こちらの本気度が完全に相手に伝わった上での2段ロケットとして)、はじめて情熱的な押し(熱いトーク)が威力を発揮するような焦がした。
心に残る言葉 20.
『牙をなくした獣にだけはなりたくないと思ってた』
これは岡村孝子の1stアルバム『夢の樹』に収められている「砕ける波に」という曲のお気に入りのフレーズだ。 高校時代、この曲を歌う彼女の(意思の強さが表れた)歌声に痺れたものだった。 せっかくなので、この隠れた名曲の歌詞をもう少し紹介しよう。
逆らう度に打ちのめされて傷口ばかり増えたけど
牙をなくした獣にだけはなりたくないと思ってた。 〜中略〜 このまま何処に行き着くのだろう。それとも何処に逃げるの? 自分らしく生きたいほんの少し強くなりたい。
久々にこの曲を聴いてあることに気が付いた。
『今の俺って、まさしく牙をなくした獣じゃん』
特に牙をなくして逃げ続けているように思えた仕事のことを少し書いてみよう。
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今の会社に就職し、この春でまる12年働いたことになる。入社後数年間は求めずとも創造的な面白い仕事が自然に与えられていたが、業務提携等を理由に仕事内容が年々つまらないものへと変わっていった。
以前、食い切れぬ程与えられていた肉(おいしい仕事)の配給はほとんどストップし、上司は自分の食べる肉を確保するのが精一杯、そして多くの仲間が枯れたこの土地を離れていった。 自分は雑草を食べ、なんとか生き延びてきたが、さすがに雑草は喰い飽きた。あの肉の味が忘れられない。
『そうだ、自分で狩をして肉を取ってくればいいんだ。』
そう気付き、獲物を捕まえようと走り出したものの、長年の草食生活で 牙が抜け落ち、野生の勘の鈍った自分に捕まえられるような間抜けな獲物など居やしない。それどころか獲物の影すら見つけられない。
『基礎から鍛え直さなきゃダメだな。』
1年以上を費やし、仲間と共に足腰からじっくりと鍛え直した成果が最近になりやっと表れはじめ、なんとかそれなりに走れるようになってきた。獲物の背中にだんだんと近づいてきた。
果たして牙をなくした獣は、獲物を仕留め、うまい肉を口にすることができるのだろうか?(それとも、逃げる獲物の後ろ足で蹴り飛ばされ、再起不能になってしまうのだろうか?)
この1年が勝負の年となりそうだぞ。
心に残る言葉 19.
『こういうものはやった者勝ちでしょ!』
先日、SNS(ソーシャルネットワークサイト)で出会った高校の同窓生と、SNS上にトピックを立ち上げる賛否を議論していると、彼がこんなことを言った。
『こういうものはやった者勝ちでしょ!』
SNSとは、インターネット上で新たな人間関係を築くことを目的に開設されたコミュニティ型のWebサイトのことだ(代表的なSNSが最近話題のミクシィだ)。 自分もいくつかのSNSに登録しているが、顔の見えない(傷の舐め合いになりがちな)言葉の掛け合いや、時間を浪費してしまいがちな特性が好きになれず、積極的に使ってはいなかった。(SNS上の出身高校等、過去の自分に関わるコミュニティにコメントを書くことが、なんとなく後ろ向きな行為に思えることも使わない理由のひとつだった。)
しかし、『こういうものはやった者勝ちでしょ!』と軽く言い切り、これを賢く利用し、幅広い人間関係を築く彼を見るうちに考え方が変わってきた。
「SNSでどういう関係を築くかは、自分の考え方次第。現実の(身の周りの)人間関係も充実させつつ、SNSの(趣味や昔からの)人間関係もできる範囲で充実させればいいじゃないか!」と考えられるようになった。今後、人との交流に威力を発揮するこの便利なツールを有効利用していこうと思う。
学生時代、図書館や青少年会館等様々な公的機関のサービスを積極的に利用して(幅広い人間関係や有意義な時間を手に入れて)きたが、SNS等インターネットでの様々なサービスを積極的に利用することって、これとちょっと似ている気がする。
心に残る言葉 18.
『走り続けることだけが生きることだと迷わずに答えて』
1. トップページ更新 約1年ぶりに、トップページの文章を更新した。 今回の文章は、最近久々によく聴いている浜田省吾の「ミッドナイトブルートレイン」の歌詞 『走り続けることだけが生きることだと迷わずに答えて』にもろに影響されている。
「子育て=子供が最優先で、大人の犠牲はやむ負えない」って考え方が一般的だが うまく立ち回れば、『自分の生活を楽しみつつ、子供との生活も同時に相乗効果をもたらしつつ楽しむことができるはず』 と考えこの文を書いてみた。 このことについて、上記歌詞中『走り続ける』をキーワードに掘り下げて書いてみよう。
2. 走り続けることを学んだ学生時代 浜田省吾の歌詞には、上記以外にも、走り続けることを勧め 立ち止まることを戒める教訓めいたものが多い。思いつくままに挙げると、
「走ることの他にこの街何ができる。踊ることの他に今夜何ができる」 「この道の彼方、約束されたはずの場所があると信じて行きたい」 「どんなに遠くても辿り着いてみせる」 「もう走れない俺の胸を打ち抜いてくれ」
等がそうだが、学生時代はこれらの歌詞から、
『走り続けるような生き方(とにかく次の1歩を踏み出すこと)』 を学んだ。
「お前、走る方向間違えてないか?」とか、 「お前、前を向きつつ後ろに進んでるぞ!」 とか、色々言われつつも、自分なりに走り続けた(=夢中になれるものを探して取り組んできた)つもりだった。
3. 『走り続ける子育て』と『裏方に回る子育て』 では、親が走り続けながら子育てをすることは、子供にどんな影響を与えるのだろうか? 『(親が)走り続ける子育て』と、対極の『(親が)裏方に回る子育て』について自分の考えをまとめてみた。
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■『走り続ける子育て』について 子供を持つ親が自分を優先するかのごとく走り続ける(夢中になれることに取り組む)ことに対しては、おそらく否定的な意見が多いことだろう。確かに親が子供を忘れて毎日のように何かに夢中になってしまうのはまずいと思う。しかしながら、親の走り続ける姿(豊富な経験と知恵を駆使して子供には到底真似できないことを成し遂げる姿)を見せるのと、見せないのとでは、子供の成長に対する意識が違ってくる気がする。 親が走り続ける(大人の楽しみを満喫する)姿は、子供に夢や希望を与え、立派な大人になろうと頑張る気持ちを育てられる気がする。 疲れ切った顔ばかりを子供に見せがちの自分は、時には活き活きとした顔を見せたいと思っている。
■『裏方に回る子育て』について 世間では、「子供をいつでも最優先に考え自分は裏方に回るような親」が理想的な親の姿と考えられ、親が子供のために自分を犠牲にすることは美徳(もしくはあたりまえ)とされているようだが、自分をどれだけ殺せるかで子供への愛情が測られるような風潮にはちょっと疑問がある。僕は子供への愛情はたっぷりあるつもりだが、いつでも子供を優先しようとは思わない。僕がこう考える説明のために『親が裏方に回る子育て』で起こりりそうな弊害を書き出してみる。
親への弊害 ・自分の意思で走ることを止めたにも係わらず、『あなたを育てるために、、』 という被害者意識を持ってしまう。 ・走ることを止めた親は次第に退化し、自分で走れなくなってしまう。 (自分の老後が楽しめなくなる) ・走れなくなった親は、夢や理想を子供に背負わせがちになる。 (子離れできなくなる)
子供への弊害 ・親の理想を背負わせられた子供は、その重圧でうまく走れなくなる。 ・周りが自分に合わせてくれることを期待する、自己中心的な人間になる。 ・お膳立てされないと行動が起こせない受け身的な人間になる。 (親離れできなくなる) ・(子供のためだけに生きる親を見た記憶により)親になりたがらなくなる。
子供を最優先にすることによるメリットもたくさんあるのだろうが、僕にはデメリットばかりが見えてしまう。 よく、『親がいい加減だと子供がしっかり育つ』という言葉を耳にするが、本当に親がいい加減では子供はしっかりとは育たない。 この言葉の「いい加減な親」というのは、「自分も走り続ける親」のことを指し、この言葉は、 『走り続ける親を見て育った子供は、(走り方を学べるので)しっかりと育つ』という事実を表している気がする。
4. 『走り続ける子育て』のために 以上のことから、我家では親だけが走ったり子供だけが走ったりするのではなく、親も子供も共に走り続け、お互いが楽しみ、影響し合い、学び合えるような子育てをしていこうと思う。 『大人が楽しい』と『子供が楽しい』の公約数、『家族みんなが楽しい』を狙ったレジャーを積極的に取り入れ、子供と共に走り続ける自分流の子育てを実現したい。
5. 最後に(走り続けることだけが生きることだ!)
「『走り続ける子育て』ができるかどうかは、「親が子供と同じように物事に興味や関心を持ち続けられるかどうか。」 つまり、 「「親が走り続けられるかどうか」に懸かっているような気がする。 学生時代に浜省から学んだ『走り続ける生き方』は、子供が生まれた今でも独身時代と同様、またはそれ以上に重要なのかもしれない。
心に残る言葉 17.
『自分の中にそれなりの信念や願望がなければ人の縁とて無意味なのですが…。』
1. 僕の信念って? 先日、最近話題のミクシー(ソーシャル・ネットワーキング サービス)で、高校の同期生Kさんと知り合った。現在北海道に住む彼は、自然を被写体とした写真撮影、雑誌連載、著書の他、映画撮影、講演、ハイキングガイド等幅広い活動で生計を立てている。 今春発売された彼の著書『森のいのち』(写真絵本)が、Amazonの学習絵本売上げランキング1位になる等、(高校時代までは身近な存在であった)彼の活躍は、僕に大きな刺激と活力を与えてくれた。(彼への応援の気持ちを込めてこの本を購入、拝見させて頂いたが、なるほど森の命という難しいテーマを彼撮影の優れた写真で分かりやすく説いた力作だった。)
そんな彼からのメールの返事に、用件に添え、「東京近辺にお越しの際は、ぜひ一緒に飯でも食いましょう。」と書き、送信ボタンを押そうとした時、彼のWEBサイト(http://www.ne.jp/asahi/photo/kodera/index.htm)不定期日記内の言葉、
『でもつくづく実感するのは、縁こそが仕事、いや、人生の原動力だということ。 もちろん自分の中にそれなりの信念や願望がなければ人の縁とて無意味なのですが…。』
が脳裏に浮かんだ。 そして、「それなりの信念も願望もない自分は、今まで人との縁(出会い)を生かし切れていなかったのかもしれない。」という気持ちと、「それなりの信念も願望もない自分が志の高い彼と会うことは、彼の限られた時間を無駄にしてしまうだけかもしれない。」という気持ちが生まれた。 ひとこと16の言葉を借りれば、『本当の自分を投げかけた所で、あなたの輝きに応えられそうもない♪』となるであろう空っぽの自分に悲しくなった。大切な縁を見過ごさぬためにも、しっかりとした信念や願望を持ち、自分らしく生きたいと思った。
2. 40歳の地図 「それなり」ではなくとも、何か自分に信念や願望と呼べるようなものはないのだろうか? 思いを巡らすうちに頭に浮かんだのが『楽しく生きる』という言葉だった。 しかし、35才になった今、改ためてこの言葉を口にすると、何か違和感を感じる。 20代の頃のように、スパッと言い切れない。
『中年おやじが、楽しく生きることを目指すだけでいいのだろうか?』 『中年おやじが(例えば)1輪車に熱中する姿は美しいと言えるのだろうか?』
そろそろ自分はどんな40代を送るかの理想像を描き、それに自分を近づける努力を始める時期である気がした。
心に残る言葉 16.
『本当の自分を投げかけることしか、あなたの輝きに応えるものがない♪』
僕は中学時代かなりの秘密主義者で、本心を隠すことが多かった。 例えば一生懸命テスト勉強をした時程、『えー、全然勉強してないよ。』と心と反対のことを言う、今考えると典型的な嫌な奴だった。 好きな女の子のことなど、相手どころか友達にも誰1人として一切打ち明けない徹底ぶりだった。 そんな自分の性質を変えたのが安全地帯が歌う「ありふれないで」という曲のこの部分だった。
『本当の自分を投げかけることしか、あなたの輝きに応えるものがない♪』
高校に入り久々にこの曲を聴いたら、それまで何も感じなかったこの歌詞が心に響いた。 別々の高校に進学した好きな女の子に対する行き場なく溜まったエネルギーが心の内側で爆発を起こし、僕の心を覆っていた厚い皮を吹き飛ばした。 「本当の自分を投げかけてみよう。」 この厚い皮がなくなることで、本音で友達と付き合えるよぅになるなど、人として少し成長したように思う。
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それから十数年後、インターネットでバンザイダートの熱い掲示板を見つけた(当時は今より熱い投稿が多かった)。 『この人達、ネットで赤の他人にまでこんな深い事語ってるよ。』 初めは大きな衝撃を受けたが、気付けは自分もこの集団に属し、WEBサイト等で自分のことを世間に晒すようになった。 そのうち感覚が麻痺し、丁度みかんの薄皮のような心のもう1枚の皮がはがれた。 仲の良い友人でなくとも本音ベースで語り合えるようになり、生活がより楽しく充実したものへと変わっていった。
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しかし最近、いい年になったおやじが果たして本当にこれでいいのか?と考えるようになってきた。 一人前の大人として生きていくには、皮を被せておかないといけない部分もあると考えるようになった。
そして今、僕はハロウィンのかぼちゃのような、皮を被せた部分と、皮を持たない部分を併せ持った人間を目指している。
心に残る言葉 15.
『あと1年だから、、、』
週末、子供達を寝かし付けてから自分のことをやるつもりが、子供と一緒に眠りに落ちてしまうことが多い。 こんな生活を送っているため、ひと月程前に始めた「パソコンパワーアップ計画」が暗礁に乗り上げたままなかなか進まない。 ここ数週間メールの送受信すらできずにいることをゆっちに愚痴るとこんな応えが返ってきた。
『子育てが本当にたいへんなのは、そうちゃん(下の子)が幼稚園に入るまでのあと1年だからもうちょっと頑張りなさいよ!』
アレ?この言葉、今まで何度か聞いたことがあるぞ。 『なっち(上の子)の離乳食が終わるまでだからもうちょっと頑張りなさいよ!』、『おむつが外れるまでだから、、、!』、『幼稚園に入るまでだから、、、!』 そしてそうちゃんが生まれ、同じことを繰り返して今日に至る。 果たしてあと1年で本当に忙しさから開放され、自分の時間が持てるようになるのだろうか?
答えはおそらくNOだ。
「いつになったら」の『いつ』とは、馬の前に吊るしたにんじんのようなもので、ただ走り続けているだけではいつまでも手に入れらないだろう。 では、どうすればにんじんを手にできるのだろうか?
そのポイントは、気持ちの持ち方にあるのではないだろうか。
「忙しい」は、相対的で、しかも主観的なものである。そのため、今後今より忙しくなれば今のことを「あの時は暇だった」と振り返るようになり、 逆に暇になれば「あの時は忙しかった」と振り返ることになる類のものだ。そもそもどこからが忙しいという絶対的な判断基準など存在しない。
それなら、自分の比較対象を小泉首相のような超多忙な人に置けば、自分を暇人のように感じることができるのではないだろうか。 (ひとこと13で書いた『多分そんな難しい問題じゃないな』の記事にダブるが、)自分より上の世界を見て生活すれば、今の自分に対する認識が変わり、暮らしを変えられるのではないだろうか?
追伸:子供が嫌いな訳ではないです。念のため。 2人の子供と格闘しつつ、子供のようなまっちの愚痴まで聞いてくれるゆっちに感謝、感謝。
心に残る言葉 14
『私のKLXってHONDA ?』
多摩テックはHONDAが経営しているという話をしているとゆっちが言った。
『私のKLXってHONDA?』
「えっ、、、。(汗)」
まっちは言葉を失った。 結婚前によく2人乗りしたKAWASAKIライムグリーンのKDX220をモトショップKAWASAKIに一緒に売りに行き、同じ色のKAWASAKI KLX110を買ったんじゃないか! KDXを買って以来十数年にわたり、何十回とKAWASAKIの話をしているはずなのに、 今更どうしてこんな超初歩的な質問ができるんだ!
『ふーん。HONDAじゃなくてKAWASAKIなんだ。』
と涼しい顔で言うゆっち。 「こいつ、全くバイクに興味ないな。」 ちょっと悲しくなるまっちであった。
心に残る言葉 13.
『多分そんな難しい問題じゃないな』
仕事で問題に行き詰まっていると、僕の困ったオーラを嗅ぎつけたのか、ある先輩が相談に乗りに来てくれた。
『手が止まってるみたいだけどどうした?』 行き詰まりの状況について話すと、
『ちょっと待て、多分そんな難しい問題じゃないんじゃないか?』 と言いなっがら、鋭い視点で問題解決の糸口を指摘してくれた。 「なるほど!言われてみればそうかもしれない。」 この先輩の鋭い視点(素晴らしい目の付け所、動物的な勘のようなもの)にはいつも感心してしまう。 公私共に度々助けられているが、どうしてこの先輩にこんな鋭い視点が備わったのかを考えてみた。
この鋭い視点が、先輩の多くの経験から培われたものであろうことは容易に想像できるが、自分とそれ程年齢差がないことを考えると、 経験量の違いだけのせいとは考えずらい。経験の蓄積方法とか、物の考え方とかに、何か決定的な違いがあるのではないだろうか?
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数日後、この先輩と同席した会議であることに気が付いた。
『世の中にそんな会社腐る程あるよ!』 『そんな難しくないって!』 先輩が、こんな意味合いの発言を何度もしているのに気が付いた。
この先輩は、いつも自分より優れた人に目を向けている点と、問題を単純に捉えようとする点が自分より大きく優れていると感じ、 これらの点が、先輩に鋭い視点が備わった理由の1つであると感じた。 自分はどちらかというといつも下ばかり見て、問題を複雑に捉えようとしてしまうと気付かされた。これらを直すために『多分そんな難しい問題じゃないな』を口癖にしてみようと思う。
会議終了後、 「先輩の目の付け所ってやっぱり凄いですね。」 と言うと、予想通りこんな答えが返ってきた。 『何言ってんだ。俺なんてぜんぜん凄くないって。お前もっと世の中を良く見てみろよ!』
心に残る言葉 12.
『仕事と家庭の間に線を引きすぎる!』その2
1. 経営者の人物像 ひとこと11で、かつての上司の言葉『仕事と家庭の間に線を引きすぎる!』への考え方の変化を書いたが、「ビジョナリーカンパニー2(飛躍の法則)」 を読んだら、さらにこの言葉が違って感じられるようになったので、これについて書いてみる。
この本の大筋からは反れるが、冴えない平凡企業と株価が伸び続ける偉大な企業の経営者像についての調査結果にこんなことが記されていた。
『平凡企業の経営者のほとんどが「自分の凄さを誇示し、派手で贅沢な生活を好むカリスマタイプで、会社の成功は自分がもたらしたと主張する人物」なのに対し、偉大な企業の経営者のほとんどは「自分の成果よりも会社の実質的な成長のために自ら汗を流し、質素な生活を好む控え目タイプで、会社の成功は自分がもたらしたものではないと主張する人物」だった。』
平凡企業の経営者は自分のことばかり考える故に、先々を見越した対策や会社の仕組み作りに力を注げず、その人がトップにいるうちしか成長が続かないのに対し、偉大な企業の経営者は自分よりも周りを優先するが故に、後継者や自分が去った後も機能する仕組み作りに十分な力を注げ、企業の成長が永続するそうだ。
「えっ?偉大な企業の経営者がカリスマタイプじゃないの?」と素朴な疑問が生まれよく考えてみた。
『自分の銅像を立てるなど自分のことばかりを考え、大理石張りの社長室で贅沢三昧をする経営者から仕事を頼まれたらどう思うか?』 『自分よりも周りを優先し、自ら先頭を切り汗を流す経営者に仕事を頼まれたらどう思うか?』
この本に描かれる事例に自分を当てはめて考えるうちに、この調査結果がとても納得できるものに思えてきた。
2. 人間性の切り分け 日常生活で欠かせない、優しさ、思いやり、周りを尊重する考え方等は、仕事をする上ではあまり必要ではない(他にもっと必要なものがたくさんある)と思っていたが、どうやらそれは間違えだったようだ。
会社も家庭も友人付き合いも、全てが人間関係の上に成り立つため、何をするにもその人の人間性が問われると気付かされた。
そして、この人間性というのは、(デートで、かっこいい姿を見せようとしても普段の姿がにじみ出てしまうように) 生活の一部を切り分けて、そこだけ向上させることなどできないのだ。(全く違ったいくつかの顔を器用に使い分ける人もいるが、そういった表面だけのメッキはやがてはがれるはずだ。)
『仕事と家庭の間に線を引きすぎる!』という言葉は、『仕事と家庭の間に線を引いて、どちらかだけでいい人間になる等というケチ臭く半端な考えは止め、周りなど気にせずいつでも高い人間性でいられるようなシンプルな生き方をすべきじゃないの?』
という意味だったと捉えておくことにした。
心に残る言葉 11.
『仕事と家庭の間に線を引きすぎる!』
昔の話だが、突如湧き出た休日の仕事を私用を理由に断ろうとしたら、時の上司に 『お前は仕事と家庭の間に線を引きすぎる!』と怒られた。
『でも、どこかで線を引こうとしなければ、どこまでも家庭は仕事に追いやられてしまうではないか。』 当時はそうとしか考えられずにダメ社員ぶりを発揮していたが、ビジョナリーカンパニーというビジネス書を読んだら 『違う考え方もできるかも?』と思えてきた。
この本によると、偉大な企業(ビジョナリーカンパニー)では、2つの喫緊な問題に直面した時、それらを別々に解決するのではなく、 視点を変えつつ2つを同時に解消するうまい方法を徹底的に探るらしい。 例えば、競合他社に比べ組織が小さい点がネックで売上げを伸ばせないような場合、組織が小さいという弱みを小回りが効くという強みとして生かして 売上げを伸ばす方法を模索したりするらしい。
そんなビジョナリーカンパニー的な思考で会社と家庭の両立を考えるとこうなる。 (仕事と父親に共通する『人間としての成長』という視点がポイントだ)
『仕事と家庭のどちらかを選ぶという考え方は賢明ではない。 仕事をする上での成長は、父親としての成長に繋がるものであり、この2つは同時に選ぶことができる。』
そして、「お前は仕事と家庭の間に線を引きすぎる!」とのお言葉も、ビジョナリーカンパニー的に視点を変えると、
『一人前の人間になるための試練』と解釈できるようになり、上司の言葉が(僕の人間としての成長を願った)温かい助言であったと感じられるようになるはずだが???
心に残る言葉 10.
『僕も捕まえてください!』
高校時代からの親友「ごっちゃん」が結婚式を挙げる事になり、友人代表のスピーチを頼まれた。 スピーチでどんなエピソードを話そうか考えるうちに、昔彼が言ったこの言葉を思い出した。 以下に、先日行われた彼の結婚式でのスピーチ原稿のエピソード部分をそのまま載せる。(HP用に書き直すのは面倒なんで、、、。)
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ごっちゃんと僕とは、高校3年生のクラスメートでした。放課後、ごっちゃんは青少年会館という施設でよく勉強していまして、僕もそこを利用するようになり自然と仲良くなりました。彼とはとても波長が合うようで、それ以来、特に高校、大学時代は、毎日のように一緒に行動したり、夜通し語り合ったりしていました。本日は、そんな彼に関する数々のエピソードの中から、高校卒業式前日の出来事についてご紹介させて頂こうと思います。
その日も高校の授業が終わるといつものように青少年会館に行きました。大学受験もひと段落し、卒業間近と言う事で、ごっちゃんを核とした僕達約10人の青少年メンバーは受験の報告や、今後の進路相談などに花を咲かせていました。閉館時間になっても語り足りない僕達は、一旦家に帰った後、夜中にまたここに集合して朝まで語り合おうと決めました。夜中、約束の時間の一足前に集合してしまったT君(そこの背が高い彼)と僕の2人でちょっと無茶をしてしまい、青少年会館の夜間警備用の警報器を作動させてしまいました。 当時市内では窃盗団による被害が多発していたらしく、5〜6人の警官が僕達を捕まえに来ました。僕達は訳も分からず逃げ出しました。 警官との格闘の末、なんとか逃げ切ったもののどうして良いか分からず近くのごっちゃんのうちに相談に行きました。彼はすぐに状況を判断し、 『俺も付き合ってやるから一緒に警察に行こう。』と真冬の寒空の下、サンダル、単パン姿のまま、警察まで一緒に来てくれました。 警察には数人の警官が待ち構えており、僕が首根っこを捕まれ署内に連れて行かれそうになった時ごっちゃんが口を開きました。
『彼は僕の友人です。もし彼を捕まえるのなら僕も同罪ですから一緒に捕まえてください。』
捕まえてくれというごっちゃんの発言にびっくりした警官が言いました。 『でもお前は実際にそこにいた訳じゃないんだろ。だったら罪はないからもう帰っていいよ。』 『いや、僕もそこへ行くつもりでしたから、ほとんど同罪なんです。』 ごっちゃんは生徒会副会長で培った優れた話術で、表向きは自分を捕まえろと言いながら、窃盗目的はなく、ただ語り合おうとしていただ けだった事をうまく警官に説明してくれました。友達思いの彼の発言を聞いた警官は、僕達が窃盗団ではないと感じたらしく、 険しかった表情は和らぎ、T君と僕はすぐに解放されました。僕らを解放する時に警官は言いました。 『本当は今日はここの留置所に泊まってもらわなきゃいけないんだけどまあ窃盗目的じゃないのは良く分かったからもう帰っていいよ。 解放してあげられるのは、さっき帰った単パンの少年のお陰だから彼によくお礼言っとくんだぞ。お前はあんないい友達を持って本当に幸せだな。』 その言葉に、ごっちゃんに対する感謝の気持ちとほっとした気持ちで目から涙があふれ出たのを覚えています。
高校を卒業してもう15年になりますが、僕達の関交友係は続き、毎年年末には、彼の得意な、サッカー、テニス、スキー、スノボ等を楽し んでいます。ここ2年程は、ごっちゃんが所属する市役所サッカーチームを連れてきてくれサッカーをやりましした。年末の忙しい 時期にも関わらず、毎年ごっちゃんの元にたくさんの人が集まるのは、僕の心の中と同じように皆の心の中にもごっちゃんに助けてもらっ たり、親身に相談に乗ってもらったり、献身的な対応をしてもらった記憶が深く根付いているからなのでしょう。
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ごっちゃんは、なんとなく誉めにくいキャラで、普段はけなしてばかりだった。 式ではその反省も込めて、誉めて誉めて誉めまくった。 スピーチに登場するT君が機転を効かせて 『僕が前科者にならなかったのは彼のお陰です。学生時代E高のガンジーと呼ばれていた彼にはいつも助けられてばかりです。』 と語ると、S君が、『彼みたいな純粋な人間は珍しい。彼と結婚できるお嫁さんは本当に幸せだと思います。』 と語るなど皆が誉めまくった。 『ちょっと、みんなどうしちゃったのよぉ!』 ごっちゃんは気持ち悪がってやりにくそうだったが、うれしそうでもあった。 (心の奥の気持ちを言え)今までの貸しを返せたようですっきりして家路についた。
心に残る言葉 9
『異変を感じ取る力が足りないんじゃない?』
先日会社帰りに通勤バイクCBR600Fでバンザイダート、テツさんの家に行った。 到着するなりバイクの下を覗き込むテツさん。 『変な金属音がすると思ったら、ダラダラに伸びたチェーンがセンタースタンドに当たってるじゃん。よくこんな状態で高速走ってきたなあ。』 「言われてみれば変な金属音がしてたような?(そういや、前回の車検でチェーンを交換するように言われてたな。)」 丁度そこに来た山派さんが『これはまずい!』と言う所を見ると、これは本当にまずそうだ。チェーン交換を決意し、帰宅後オークションでチェーンを探していると、テツさんからこんなメールが届いた。
『昔、山派にも言ったんだけど、今のまっちには、バイクの異変を感じ取る力が足りないんじゃない? バイクの状態に目を向けながら乗るのは、バイクを楽しむためにも、無駄な出費を抑えるためにもすごく重要なことだよ。』
この言葉を聞いて、自分がバイクの状態に意識を注ぐのは購入時や車検時だけで、乗っている最中は、ほとんど意識を注いでいないと気が付いた。(少なくともバイクに乗り始めた頃は意識を 注いでいた気もするが、10年以上のバイク通勤で「バイク=電車に代わる交通手段」と捉えるようになり意識を注がなくなってしまった。) それまでなぜ自分ばかりがブルカップでリタイヤするのか疑問だったが、理由がなんとなく分かった気がした。 誰かに指摘されたりバイクが動かなくなってはじめてメンテをするという今の状態を改め、 今後はバイクの状態に積極的に目を向け対話を楽しみながら乗っていこうと思った。
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この『異変を感じ取る力』について考えるうちに、これは仕事や家庭、友人付き合い等、バイク以外にも必要で、 これこそ自分に不足している力のように思えてきた。 例えば、家庭生活では(家庭を楽しむためにも、無駄な出費を抑えるためにも)、妻や子供達の状態に常に目を向け、 成長を喜んだり、異変への素早い対策をすることが円満な家庭生活のために必要で、 これを怠り続けると家庭生活にもリタイヤの危機が迫るのかもしれない。 (以前、テツさん夫婦の円満ぶりが話題になったが、その理由のひとつはテツさんが 異変を感じ取る力に長けているからなのかもしれない。)
心に残る言葉 8.
『Walkin’ on the Wildside!』
当ホームページには、「まっちファミリーモトクロス奮闘記」というタイトルの他に、 『Walkin’ on the Wildside!』 という英語のタイトルをつけてある。この英語タイトルに込めた自分の思いを書いてみる。
1.ECHOES(エコーズ)コンサート 高校時代にECHOESというロックバンドのコンサートツアー「Walkin’ on the Wildsideツアー」の渋谷公会堂公演に行った。 そこで、ボーカルの辻仁成がこんな事を言っていた。
『目の前に分かれ道が現れた。 1本はアスファルトの平坦な道、もう1本は鋪装されてない険しそうな荒れた道。 あなたはどちらを選びますか?』
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2.どんな子供に育てたい? 子供が生まれると、誰しもその子をどんな風に育てるかを考えるものである。 我が子に対し自分は、『今後の厳しい社会を生き抜く強さと柔軟性を持ち、さらには今後の双方向社会(自分からアクションを起こせば いくらでも情報や恩恵を享受できる社会)を生き抜くための積極性を持たせたい』と考えた。 遺伝子的に体格に恵まれないであろう自分の子供を、ファミコンだけが得意な軟弱なメガネちゃんにはしたくないと思った。
3.父親の役目 ファミコンや遊園地は安全でそれなりに楽しいが、それは所詮、そのソフト開発者が設定した現実とは違う「限られた枠の中」で、開発者の作ったプログラムをなぞっているだけの気がしてしまう。 突っ込んだ言い方をするならば、「その楽しさは本物ではなく、開発者に踊らされているだけ」と思えてしまうのだ。
子供に「限られた枠の中」での「なぞるだけの体験」をさせるのは決して悪くはないが、そればかりでは良くないと思う。 子供には小さなうちから、筋書きのない現実のステージで、「冒険に満ちた本物の体験」をさせ、その中から等身大の楽しさや、時には厳しさを味わせるべきだと思う。 そして、それこそが父親の役目ではないだろうか。現実のステージには、遊園地のような安全性も、ゲームのような手軽さもないが、机上では得られない、生きていく上で糧となる貴重な体験を与えられる気がする。
4.ホームページ作成 インターネットの大きな可能性を感じ、いつかこの便利な道具で自分のホームページを作ろうと思いつつ、先延ばしにするうちに数年が過ぎた。 自分の実行力のなさを子供のせいにしたりしてきたが、もう今踏み出さなければ一生できない気がし、とりあえずモトクロス奮闘記の文章を書きはじめた。 しかし、バイクに乗る時間さえ取れない状況下で、右も左も分からないモトクロスの情報を発信するのはどう考えても荷が重そうだ。家庭を見失わず、モトクロスにも、ホームページにも取り組めるいい方法はないだろうか? 「そうだ!家族のネタを盛り込んだホームページにすれば、なんとかなるかもしれない。」
あまり身内のことを書くのはどうかとも思ったが、家族でモトクロスに取り組む記事を核にし、モトクロス以外にも、何か新しい体験(できれば上記の「冒険に満ちた本物の体験」) にチャレンジするホームページなら、家庭平和を保ちつつ作れるような気がしてきた。
5.ホームページのタイトル
では、そんなホームページのタイトルはどうしよう。将来、活動の主軸をモトクロス以外にずらす可能性もあるし、ゆっちを納得(?)させるためにもモトクロスに限定しないタイトルが良さそうだ。 そこで浮かんだのがかつて行った上記コンサートツアーのタイトルだった。モトクロスの荒れ地を走るイメージと、家族で挑戦するイメージをだぶらせて、 『Walkin’ on the Wildside!(野生の道を行け!)』という 考えの方針のタイトルを付けることにした。(ホームページタイトルには、ホームページの内容が一目で分かるキーワードを入れるのが(検索性向上のために)重要と公開直前に知り、「まっちファミリーモトクロス奮闘記」 という日本語のタイトルを後付けした。)
6.理想と現実 このような考えでホームページを公開してもうすぐ1年になるが、 子供が小さい事もあり、まだ、ほとんど野性の道は歩けていないのが現状だ。 モトクロスで気力、体力を維持しつつ、スキー、カヌー、パラグライダー、ダイビング、ジェットスキー、、、、と、 野生味あふれる色々な体験を(子供の成長と共に)楽しんでいきたいという理想はあるが、 子供や妻の思想や適正、時間や金銭的な制約を考えると、それこそ「険しい道」となりそうだ。
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7.ECHOESコンサート(続き) 冒頭のコンサートの最中、辻仁成は、何度も『野生の道を歩け!』と言い続けた。 この言葉は、当時、努力を嫌い、後ばかり見ながら低い方へ低い方へと流され続けていた自分がはい上がる きっかけとなった。(それまで受験から逃れる道ばかりを探していたが、それではダメだと気がついた。) 子供達も、『Walkin’ on the Wildside!』の精神で、多くを吸収しながら育っていってほしい。
心に残る言葉 7.
『誰かが喜んでくれるっていうのは気持ちのいいもんだぜ。』
先日、このホームページにCR80Rの冷却水トラブルについて書いたら、昔バイク屋に勤めていたという 埼玉在住のバンザイダートのある方から、「そちらに修理を手伝いに行きましょうか?」 というメールを頂いた。(本当にありがとうございました) その温かさを噛みしめていたら、数年前の友人の言葉を思い出した。 林道に目覚めたばかりの当時を思い出して書いてみる。
DT125Rのオーバーホールをしようと、サスや駆動関係の部品を購入しマニュアルを読んでみた。しかし、それまでほとんどメンテ経験がない自分には分からな事だらけだったため、 バイクに詳しいAさんに相談するとこんな応えが返ってきた。 『説明すんの面倒くせえなぁ。明日暇だからDTで部品持ってうちに来いよ。』 自分で直せる自信を喪失していたので、お言葉に甘え翌朝彼の家に行った。 『おっ、やっぱ来やがったか。それにしてもこのDTボレエなあ。』 彼は前から言っていた自分のバイクのメンテ(KDXの排気バルブ不具合解消)をすると思っていたが、意外にも 今日はやらないと言う。彼の熟練したメンテ技術はまる1日DTに注がれ、腐りかけていたDTは見事復活した。 一緒にファミレスで夕飯を食っていると、ふとある考えが浮かんだ。
「あれ、もしかしてAさんは僕のバイクのメンテに時間がかかると見越して、自分のバイクのメンテやらなかったんじゃない?」 『まあそんなとこだな。でもDT直ってホント良かったよな。』 「、、、ありがとう(感動)。 色々してもらった僕が聞くのも変な話だけど、なんでAさんは貴重な週末を僕みたいなチンピラのために平気で割けるの?」
『うーん、自分がした事で、誰かが本当に喜んでくれるっていうのは気持のいいもんだぜ。』
「、、、、。」
他人のために何かをやり、他人の喜びを自分の喜びのように感じるられる彼の心の大きさに完全にやられた。 こんな彼に時間を割いてもらえる自分は光栄だと感じ、何か自分が役に立てる機会があれば、 ぜひ手助けしようと心の底から思った。
本当の信頼関係や友情はきっとこういう損得感情を抜きにした付き合いから生まれるんだろう。
心に残る言葉 5・6.
『切れたら負け』 『情熱を大切に』
社会生活を送る上で、大人になればなる程込み上げる怒りを押し殺さなければならない瞬間に数多く見舞われるようになる。 自分も今まで仕事中何度か切れそうになったが、昔先輩から聞いた
『切れたら負けだよ。』 という言葉を胸の奥でつぶやき、自分の感情を押し殺してきた。頭が冷えてから考え直すと、大抵があの時は切れなくてよかったという結論になり、 この言葉のお陰で子供じみた対応をせずに済んだと胸を撫で下ろす何度かの経験をした。
しかし、こうして自分の感情のバネを抑え込んで社会生活を続けていくうちに、そのバネは錆びつき 伸ばそうとしても伸びなくなってしまう。感情のバネが塑性変形してしまうと、怒りや、悲しさを抱かないで済む反面、 うれしさや、喜びも感じにくくなってしまう。
何をやっても楽しいと感じられない「不感症」になり、さらには 新しい事にチャレンジする気力さえ失ってしまう。現代の大人の半分以上は少なからずこの病状に陥っているのではなかろうか。 この症状を放置し続けると、最悪の場合、バネが脆くも壊れ、うつ病になってしまったり、バネに蓄積されたエネルギーが巨大爆発を起こし、社会人失格の烙印を押されてしまったりする。
抑え込まれた感情のバネは時々伸ばしてやらなければならない。 人間の心もバイクと同じでメンテが必要なのである。
なかなかバネを伸ばす方法を見付けられないでいた自分は、数年前にバネをノビノビに伸ばす方法を見つけた。 それがモトクロスである。
僕の感情のバネはCRのサスの動きと連動している。 コースを走り、サスが動けば動くほど感情のバネもリフレッシュされ、弾力に満ちた伸縮自在でしなやかなバネになっていく のである。
僕は見た事がないのだが、バンザイダートあきらさんが過去に管理していたホームページのトップには、 『情熱を大切に』という言葉が書かれていたらしい。 多分彼はこうしたバネを伸ばせる瞬間の夢中になれる気持ちをモトクロスを通じて大切に持ち続けようと この言葉を記したような気がする。(違ってたらゴメン。)
心に残る言葉 3・4.
『初めての経験に払う金は惜しまない』 『今でも気持ちはティーン、エイジャーさ!』
(1) 友人の言葉 学生時代、毎日のようにカラオケに行っていった時期があった。いつものように友人Aを誘うと彼はこんな風に応えた。
『またカラオケかぁ。変わり映えしないなぁ。金欠だから今回はやめとくよ。 初めての経験に払う金は惜しまない方針 で金使ってるからまた別の機会に誘ってね。』
この彼の言葉、求めずとも変化に富み、どちらかというと落ち着きを求めていた当時の自分にはあまり響かなかったが、 なんとなく落ち着いてしまった最近になってから大きく響き出した。
(2) 肉体的な若さと精神的な若さ 人間は年を重ねるに従い若さを失っていく。それはしょうがないと思っていたが、やる気の無い若者やパワフルなおやじと出会ううちに、そうとばかりは言い切れないと思うようになった。 確かに年と共に肉体的な若さは失っていくが、精神的な若さ(若さという言葉はよく未熟さの意味で使われるが、ここで言うのは凝り固まっていない溌刺とした様子のこと)はいつまでも持ち 続けられると気が付いた。 この精神的な若さを持ち続けるには、友人が言っていた『初めての経験に払う金は惜しまない方針』を持つのが有効だ。 この指針を胸に秘め、いくら時間や金に余裕がなくとも、新しい経験に対してだけは躊躇せずに財布の紐をゆるめるように心がけ、チャレンジに躊躇しない習慣(体質のようなもの)をつけ、 心に刺激を与え続ける事がいつまでも若くいられる秘訣のような気がする。
(3) 浜田省吾の言葉 高校の頃よく聴いていた浜田省吾のライブアルバムで彼がこんな言葉を叫んでいる。(うる憶えなので違ったらゴメンなさい)
『今でも気持ちはティーン、エイジャーさ!』
自分に刺激を与え続け感性を磨きながら走り続けている彼の精神は本当にティーン、エイジャーなのかもしれない。 (自分も新しい経験を重ね、いつまでも気持ちだけはティーン、エイジャーでいたい。)
心に残る言葉 2.
『自分の子供が好きじゃないみいたいに言うのやめろよ!』
なっちがまだ1才だった頃、会社の給湯室で職場の先輩Oさんに子育てについて尋ねられた。 社内で子持ちの人間は少数派のため、それまでほとんど子供の話をする事はなかったが、 Oさんは2人の子持ちなので自然と口が緩み、昨晩子供が体調不良で夜中何度も起こされた愚痴が口から飛び出した。 『イヤー、子供はうるさくて大変ですよー。昨晩も、、、。』 Oさんからは、『そーなんだよね、、、。』という反応を期待していたのだが、Oさんの顔が笑っていない事に気が付いた。
『お前、自分の子供が好きじゃないみいたいに言うの聞いてて腹立たしいからやめろよ!親の自覚が足りないんじゃない?』
その時はOさんの怒りの理由がよく分からず反感を持ったが、それをきっかけに子育てについて深く考えるようになり、Oさんの怒りが正しくありがたい と思えてきた。子育てに関する自分の考えが180°変わった。
それまでは、良く見かける子育てが趣味というような父親には面白味に欠けるような印象を持ち、自分はそうはなりたくないと思っていた。 できればいつまでも独身者のようでありたいと考え、多くの障害を乗り越えながらも独身時代からの付き合いを優先し、 友達には家庭臭さを出さないようにしていた。
それが、Oさんのひとことで考えが変わった。 自分が好きで作った子供から目を背けるのは、決してかっこ良くはないと思えてきたのだ。 自分が子持ちだという情況をようやく自分自信受け入れられたのかもしれない。 O先輩の言葉を借りると、やっと「親の自覚ができた」のかもしれない。
それから約3年が過ぎ、子供嫌いだったまっちは、こんなHPまで作り親バカぶりを発揮するようになった。 良くも悪くもこんな自分になったのは、あの時のOさんの言葉が原因だった気がする。
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最後に付け加えるが、いつまでも独身者のようでありたいという気持ちは決して捨て去った訳ではない。 今は胸の奥にしまっておくと決めただけだ。 この思いを爆発させるのは、きっと子供に見向きもされなくなった後でも遅くはないはずだ。
心に残る言葉 1.
『お前はいつもピークにしようとし過ぎるんじゃないか?』
この言葉は数年前に友人に頂いた心に残る言葉だ。 この言葉を耳にするまでのできごとを、自分の生活を振り返りながら書いてみる。
(1) これ以上進めない 社会人4年目、当時の自分は未熟さや不甲斐無さを感じながら毎日を送っていた。 学生時代はうまく走れてた気がしたが、ここへきて失速してしまったようだ。 仕事もうまくいかないければ、私生活も何をやっても今ひとつ楽しくない。 自分の成長が止まり、周りのみんなに追い越されるような気がする日々。 自分も必死に追いかけるが、進んでも進んでも自分だけ引き戻されてしまう感じだ。 どうしてこんな状態になってしまったのだろうか。
この状態について約1年間考え続けた結果、これは、「学生気分のまま社会生活を送ってしまっている所に原因がある」という結論に達した。
(2) 学生と社会人 大学入学後初めての定期テストで、真面目に授業に出て勉強するより試験問題の情報を掴むのに力を注いだ方が、ずっと簡単に高得点が取れると実感した。 そのせいもあり、その後の授業にはあまり出なくなり(特に一般教養)、アンテナを張り巡らせ情報の収集ばかりに力を注ぐようになった。 情報を要領良く捕まえるトレーニングが大学での勉強と都合良く解釈し、地道な努力をせずに口先や、小手先のテクニックで適当に大学生活を送ってしまった。
生き詰まりを感じるようになったのは、社会に出ても気持ちを切り換える事なく、自分に蓄積されない小手先の業を繰り返し、楽をして社会生活を送ってしまったせいだろう。
学生時代に適当でも渡り歩けたのは、学生という甘えを許された立場のお陰であり、何も生み出さないそのやり方は、社会では通用しないのだ。 社会に出てから必要なのは、本気でやる事(腰を据えて深く考えたり、真剣にで打ち込んだりする事)だと気が付いた。
(3) マイナス世界からの脱出 どうやら自分は間違った方向に進んできてしまったようだ。 こんな幼稚でだらしない自分の延長線上には、求める未来像はないと感じた。 自分の理想に近づくには、進行方向を換え、逆向きに飛び出さなければならない気がした。 未熟さがにじみ出たような個性や考え方は全て捨て去り、1度0(ゼロ)に戻り、大人としての新しい個性を1から積み上げなければならない気がした。 しかしこれにはかなりの時間と労力がかかる。
果たして自分はこの状況を乗り越えられるだろうか? そこそこの自分に満足し、このままやり過ごしてしまおうか?
(4) アトピーの悪化も原因は同じ? ちょうどこの頃アトピー性皮膚炎の痒みに悩まされた。 約10年前から皮膚の調子が悪くなる度に塗っていた魔法の薬、ステロイド(副腎皮質が分泌するホルモンに似た合成薬品剤)が効かなくなり、顔が赤く腫れ上がった。 アトピー悪化に対して本質的な治療(努力)をせず、ステロイドを塗るだけの対処療法を重ね続けたつけが一気に回ってきた。 この症状を治すには、ステロイドを断ち、退化してしまった自分の自然治癒力を取り戻す方法が1番本質的だが、 脱ステロイドには薬の使用年月と同じ時間がかかると言われており、その間はかなり酷い症状(リバウンド症状)となるらしい。
果たして自分はこの状況を乗り越えられるだろうか? 別の薬に頼る対処療法でやり過ごしてしまおうか?
(5) 友人のひとこと そんな時、友人Iがくれた言葉がこれだ。
『お前はいつもピークにしようとし過ぎるんじゃないか? 俺はピークなんて数年に1回で充分だと思っているよ。』
その言葉は、それまで上を目指していたつもりでいたが、それが日常化し過ぎて、本当に這い上がろうとしていない自分の心に響いた。 山は谷があるからこそ山に成り得ると気付かされた。
背伸びして上を目指している気になっていた自分が本当に這い上がるためには、一旦大きく沈み込む必要があるのような気がしてきた。 (痛みを恐れるあまりに大きく回復できずに低迷する日本の景気と今の自分の状態がだぶって思えた。)
(6) 10年後の新しい自分に向けて 生き詰まりの状況を沈み込むチャンスと捉えられるようになった自分は、脱幼稚人間、脱ステロイドを同時に実行すると決心した。 ステロイドの毒が抜け切る10年間はどんなに惨めな姿になろうと構わないと考え、身体に溜ったステロイドの毒と一緒に心に溜った毒も全て吐き出そうと考えた。 本当に飛び上がるために、伸び切っているバネを縮めてみようと考えた。
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あれから数年が過ぎ、目標の10年後がだんだんと迫ってきた。(アトピーのリバウンドは想像以上に長く苦しいものだった) 果たして自分は少しはいい方向に進めているのだろうか?
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