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5. 愛好会結成ー後悔の払拭編

自転車愛好会結成テーマ『高校時代楽しみ切れなかった後悔を叩き潰す』
について
活動したこと、考えたこと (愛好会結成についてはコチラの5に記載)



1. 江ノ島〜母校文化祭サイクリング
 夏の暑さが和らいできた2008年9月15日、春から延び延びになっていた高校同期自転車愛好会行事、境川・湘南海岸・目久尻川の3つのサイクリングロードに観光を織り交ぜたサイクリングに行ってきた。

(1)境川サイクリングロード〜江ノ島
 6時に自宅を出発、7時半に大和駅前でテル、アベチャンと合流、町田駅を基点に海まで続く境川サイクリングロードで江ノ島を目指す。
この境川サイクリングロードは全体を通してとても走りやすかった。一部川沿いから反れて一般道に出る部分もあるが、それでも車通りは少なく、川の流れのように気持ちよく走ることができた。

先頭を走るテルは高校時代と変わらずの負けん気を発揮。周りのライダーに追い抜かれると、例えそれがレーサージャージに身を包んだいかにも速そうなライダーであろうと必死で追いかけ、無謀にも抜きにかかる。

「オイオイ、そのライダーを抜くのかい!」

結局はマシン+体力の差で抜き返されてしまうのだが、高校時代と変わらない闘志をむき出しにした彼の走りに笑いが止まらなかった。

藤沢市に入った辺りでサイクリングロードを見失い、しょうがなく一般道を走行。大和駅出発から1時間半程で江ノ島脇の海岸に出る。江ノ島をバックに写真(下中央)を撮っているとアベチャンの迷言。

『ところで江ノ島ってどこにあるの?』

「すぐ後に大きく見えてるじゃん、何年神奈川県民やってるの!」と大爆笑。
徒歩だと時間のかかる島内の移動も自転車ならあっという間、 島裏側の灯台や釣り堀、江ノ島神社を白子や紫芋コロッケを食べながらのんびりと散策。 夏が過ぎ、涼しくなった分だけ寂しい感じがする初秋の江ノ島を後にした。

新富士駅再び 三保の松原 清水の海


(2)太平洋岸自転車道〜サザン通り
 まるで過ぎ行く夏を愛しむように波と戯れるサーファー達を横目に、千葉から和歌山県までの海岸線を途切れ途切れに続く日本最長のサイクリングロードを西に走る。

『この辺りの車止め烏帽子岩の形になってるよ!』

テルの発見にすかさず iPodの曲を浜田省吾からサザンの「チャコの海岸物語」に切り替え、海に浮かぶ烏帽子岩と車止めの烏帽子岩を見比べつつ、『エーボーシ−岩が遠くに見える〜♪』と口ずさみながら走る。カセットテープ時代は聴きたい時に聴きたい曲を聴くのがたいへんだったが、iPodなら片手で一発だ。
冬の海は浜省だけど、まだ夏の雰囲気が残る今の季節はサザンの方が合ってるな。

サーフボードを抱えてフラフラと走る自転車や歩行者の多いこの辺りを走るには「ベル」が必需品。僕のロードレーサーに付けた100円ショップのベルはうまく鳴らないため、威勢良くベルを鳴らすテルのすぐ後ろに付いて、心地良い潮風を頬に受け8キロ程走行。東海岸交差点でサイクリングロードを反れ、「雄三通り」で茅ヶ崎駅を目指す。 海を背にしたこのシチュエーションはまさしく「希望の轍」の歌詞と同じだ!と、ipodで「希望の轍」をリバースモードで鳴らし、「遠く〜、遠く〜離れ行くエボシライン♪」と口ずさみ海岸線から遠ざかる。烏帽子ラインというのは、さっきまで走っていた太平洋岸自転車道のことだと勝手に理解。やっぱこの曲いいねぇ。

茅ヶ崎駅付近で「ここがうわさのサザン通り」の看板を発見、にわかサザンファンの僕らは桑田啓祐の出身小学校前にあるエトアール洋菓子店でサザンロールを食べてしばし休憩。

久能山いちごライン脇 大崩海岸 与作鮨


(3)目久尻川サイクリングロード〜神戸屋
 県道46号線を北上し、寒川神社でゴッチャンと合流。

『自転車ボロイって言ってたけどホントにボロイじゃん(笑)。』
『こんなボロイ自転車でここまで来たなんてすごいよ
ゴッチャン(笑)。』

タイヤが小さくボロイ折り畳み自転車に乗る彼の先導で今度は目久尻川サイクリングロードを走る。 このサイクリングロードは河川敷の田舎道といった感じ。所々に未舗装部分が残り、ロードレーサーで走るには全く適さない。しかしながら、「ココってホントに首都圏なの?」と疑いたくなるような田園風景はとても懐かしい感じがして、皆で少年時代に戻り、どこか遠くの田舎町を走っているかのようであった。
海老名市に入りサイクリングロードを離脱、文化祭が開催されている僕らの母校を目指していると、先頭のゴッチャンがいきなり工場らしき敷地に入っていく。

『ここのパン安くてうまいぜ!』

どうやらここは神戸屋のパン工場のようで、ゴッチャン御用達の直売パンを頬張り小休止。


(4)高校文化祭〜えびな藪蕎麦
  約20年ぶりに母校校舎に潜入(詳細は後日記載予定)。その後、同窓生T君が開業した「えびな藪蕎麦」で遅めの昼食。

ゴッチャン仲良かったんだから声かけろよ!』

座敷を陣取り、厨房内に怪しげな視線を送っていると、注文を取りに来た女性が話し掛けてくる。

「皆さん主人の友達の9期生の方ですよね。私も9期生なんですよ!」

意外な展開にびっくり。

「みんな何部だったんだっけ?」という彼女の問いかけにテルが
『僕達みんな自転車部でした』と笑える回答。
「そんな部活あったっけ?」
『ワンゲル部の隣に部室があったんだけど、覚えてませんか?』
「え〜、そんな部活無かったような???」
『僕達の部活は非公認で卒業アルバムに載ってないから、多分忘れちゃったんじゃないかな。』
「えー、そうなのかなぁ(怪)。」
『自転車部は今でも活動が続いてて、今日は江ノ島にトレーニングに行ってきた帰りなんだよ。』

テルお得意の出任せトークで和んだ雰囲気に。
部活もせずになんとなく過ごしてしまった高校時代に、自転車部で楽しんだ偽りの記憶を上書きするかのようなテルの発言は、彼と同じく後悔の残る高校時代を送ってしまった僕ら3人の心に響き、一緒になって記憶を偽装する。

『鰻や牛肉の偽装は罪だが、(誰にも迷惑をかけない)僕らの記憶偽装は罪なのだろうか、、、』

遥か昔の記憶なんて皆の心に頼りなく残るだけのもの。それが事実かどうかなんて今となっては確かめる術も無い。
自分の奥深くに根付く確かな記憶も、それを共有した仲間の記憶から消え去り「そんなことは無かった」と言い切られてしまえば、たちまち空想と同レベルへと格下げとなる。所詮その程度のものでしかない過去の記憶に振り回されるよりも、(おいしい記憶だけをしっかり残して)持っていても重荷になるだけの贅肉のような記憶はとっとと忘れ、適当に楽しい記憶で偽装しちゃう方が、実は健康的なのかもしれない。

蓬莱橋 三保の松原 袋井花火大会

おっと脱線、話を元に戻そう(笑)。
創業明治25年の上野藪蕎麦本店で10年間修行したというT君が挽きたてのそば粉で打った細いそばはなるほど旨い。

『この蕎麦の舌触りの良さは、、、』

切々と蕎麦を褒めるテルのトークが皆に伝染し、ゴッチャンはまだ食べてもいないこの店のうどんの旨さまでもを語り出した。

「まだ食べてないじゃないですか(笑)!」、「いや、俺は見れば味が分かるんだ。」

と和やかで楽しいひとときであった。帰り際、店の前で写真を撮ろうとすると、ゴッチャンの自転車を見たT君がひとこと。

「この(ボロイ)自転車だけは、どうしても自転車部の人の自転車には見えないんだけど誰の?」

皆で大爆笑、また食べにくることを約束し店を後にした。

その後、一時帰国中の子連れの同窓生とファミレスで夕食。 同じ学び屋で学んだ同窓生達がそれぞれの居場所を見付け、それぞれの人生を頑張ってる姿を見るのってとても刺激になっていいもんだ。走行距離も100キロを超える本当に盛りだくさんのサイクリングであった。

【走行データ】
走行時間:6時間43分  走行距離:115キロ   平均スピード:17.1キロ




2.目指すべき大人像 江ノ島〜母校文化祭サイクリングで感じたこと その1)

 久しぶりに共に自転車に乗るテルは、高校時代と変わらぬ情熱に満ち溢れていた。サイクリングロードでは追い抜いていくサイクリストをムキになり抜き返し、海では政治家後援会の催しに飛び込み、寒川神社では巫女さんに一緒に写真に写ってほしいと懇願、母校文化祭では高校生達に「俺9期生なんだけど、、、」と話しかけまくる。昔のフットワークの軽さや勢いはそのままに、大人らしさを付加したようなテルを見るうちに、これまで描いてきた理想の大人像に変化が現れだした。

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年齢が上がり責任ある行動を求められるようになるにつれ、仕事が頭から離れなくなったり、はしゃぎづらくなったり、本音を出せなくなったり、様々な束縛時間が発生したり、仲間との予定をうまく合わせられなくなくなったりと、年々思いっきり遊ぶのが難しくなってきている。「いい年の大人が思いっきり遊ぶのは恥ずかしいこと」という世の中の無言の圧力もあり、「大人の自分を手に入れるにつれて遊び(子供心)が縮小されるのはしょうがないことだ」とあきらめていた。

そんな中出掛けたサイクリングでのイキイキとした(仕事もできる☆☆万プレーヤーの)テルは、まるで「大人らしさと遊び(子供心)の共存は可能である」と書かれた足跡を残すかのように動き回っていた。そして、そんな彼を見るうちに、「立派な大人程遊び心を失わずに持ち続けているのではないか?(大人を目指すために、遊びや子供心を制限するうちはマダマダではないか?)」という疑問が生まれてきた。

この疑問の真偽を解き明かそうと、上司や友人に思いを巡らせてみる。
結果は、「自分が尊敬できるような人物(立派な大人)のほとんどが、自分の遊び(子供心)を爆発させるフィールド(マラソンやトライアスロン、釣り等)を持ち、そうでない人物よりも明らかにイキイキとした若さを保ち続けている」というものであり、無理に大人ぶるのではなく「子供のような好奇心を持った大人像」を自然体で目指せばいいいように思え、肩の荷が下りる気がした。(この見解は僕の偏った志向によるもので「子供心を持たない誠実で立派な大人像」も存在するとは思うが、自分の資質を考えると、上記肩を張らない大人像を目指すのが良さそうだ。)

蛇足:バンザイダートには、すぐにケツを出す人種(?)が多いが、もしかしたら、遊ぶ時はあえて子供のように精一杯イキイキ遊ぼうとするこの姿こそ、本物の立派な大人の証なのかもしれない。←やっぱ違うかな?(笑)




3. 母校文化祭視察江ノ島〜母校文化祭サイクリングで感じたこと その2)

 僕らが高校同期で自転車愛好会を作った目的の1つが『高校時代の仲間と充実した時間を過ごし(部活にも勉強にも打ち込まずになんとなく過ごしてしまった)高校時代の後悔を叩き潰す』であることは以前に詳しく書いたが、今回のサイクリングに高校文化祭視察を盛り込んだのは、20年ぶりに高校文化祭を見ることが、この根深い後悔をぬぐい去る何らかの手掛かりを与えてくれると考えたからだ。(高校時代、文化祭・体育祭の隔年開催化の学校方針を生徒で団結して阻止した経緯があり、僕らにとって文化祭とは高校時代を象徴する思い入れの深いイベントなのである)

境川、湘南海岸、目久尻川の3つのサイクリングロードを走った後、文化祭で賑わう母校校庭の臨時駐輪場に自転車を停める。かつての学び舎を前に、大人になってしまった僕らは足を踏み入れてはいけないかのような気持ちがもたげるが、「この気持ちに負けては幸せな未来は無い!」「アクションを起こすことこそが道を切り開く!」と(帰りたがるアベチャンを説得しつつ)自分自身を奮い立たせて20年ぶりに昇降口をくぐる。

「ねえ良明!」『なんだよ良子!』

お互いをファーストネームで呼び合うヘアースタイルも制服の着こなしも僕らの時代とはまるで異なる後輩達の声に出鼻を挫かれ、ジャングルに迷い込んだ子猫のように脅えながら校舎内を歩き始める。しかしながらココで3年間過ごした事実は大きく、校舎内の風景と記憶が一瞬のうちに結び付き緊張感はすぐに消える。当時を共に過ごした4人で、教室、視聴覚室、図書室、職員室、体育館、、、と見て回るうちにすっかりリラックスして、過去の記憶と同化したかのようにトイレを使ったり廊下を走ったりしながら展示やイベントを視察する。

学校内をひと回りすると、ゴッチャンが

「文化祭ってこんなもんだったっけ?」

と僕が思っていたのと同じような感想を述べる。
ゴッチャンは、この盛り上がりに欠けショボく見える理由は「高校時代は中学文化祭しか比べるものが無かったけど、今の僕らは大学祭とか色々経験しちゃってるからでしょ」と分析するが、僕には「高校生活を楽しめなかった後悔が、”逃した魚は大きい”的に理想の高校生活のイメージを現実と隔たりのあるものに押し上げてしまっている」のが1番の理由に思えた。

『僕らの高校生活は決して悪いものではなかったのかも?』(こうして当時を振り返れる仲間が今でもいることがその証拠?)

そんな風に思え、昔の後悔が少し薄れた気がする高校文化祭視察であった。

正門 昇降口 校舎内 校庭


4. 高校同窓会開催 (江ノ島〜母校文化祭サイクリングで感じたこと その3)

 このサイクリングで母校正門前で同窓生夫婦が経営する「えびな藪蕎麦」に寄ったのをきっかけに、この店で高校の同窓会を開催する話が持ち上がる。
『今更高校時代の友達と会っても、、、』という気持ちもあったが、幹事のジョーをはじめ、参加者の半数が自転車愛好会メンバー(=仲の良い友人)になりそうということで、愛好会発足の目的『当時の仲間と充実した時間を過ごし、楽しみ切れなかった高校時代の後悔を叩き潰す』の解にさらに近づけそうだと参加を決めた。

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同窓会開催の情報は思いのほか広く伝わり、当日は何処からともなく三十数名の同窓生が集まった。
高校時代の想い出や、仲間の消息、現在の仕事や私生活等についてを、数週間前に遊んだ友人や、卒業式以来の友人、初めて言葉を交わすこの日からの友人(笑)達と語り合ううちに、後悔の残る高校生活が、何だかとても楽しく充実していたように思えてくる、、、。

嫌でたまらなかった男子クラスは、「どんな環境でも頑張れる忍耐力や楽しむ気力を培うための貴重な経験」だった気もするし、バイクやバイトを禁止し服装や髪型まで規定する画一的な管理教育は「自由や個性を考えるきっかけを与えてくれた」と感じられる。反感を抱いた「何も考えずに勉強だけしていればいい!」という教師の言葉も、今では納得を通り越し「もっとあの時期に真面目に勉強するべきだった」なんて思えるようになっている。

卒業して20年、人生を見渡せるようになった大人の視点であの頃を振り返ると、あの時期にいくつもの挫折を味わい本気で悩み苦しんだ経験は大きな糧となっていると気付く。そして、周りに影響されやすい怠け体質の自分にとって、あの高校を選び通った日々は決して間違いではなかった」と過去への後悔が薄れる気がした。


同窓会の席で、『コイツとは先々週会ったばっかりだし〜』と当時の交友関係が今でも続いてる話をすると、「やっぱり男クラの友情は強いんだね〜」なんて冗談っぽく返されたが、男子クラスに運悪く入れられ、共にモルモットのような扱いを受けた僕らの友情は確かに強い。

始業式の朝に拉致され、まるで敵国の収容所に捕らえられたかのように陽の当たらない世界に閉じ込められ、1人、2人と仲間が息絶える(遊び心を放棄して勉強に打ち込む)のを横目で見つつ、

『俺達は希望だけは失わずに前向きに生きていこう!』

と肩をたたき合い、マクドナルドのトレーの紙の裏に脱獄計画書を書き上げる日々に僕らの心の奥に植え付けられた芯のようなものはそう簡単に消えるものではないはずだ。

今回そんな囚人、いや、戦友のような仲間と共に同窓会を開催し楽しめたことは、とても大きく意味のあることに感じられ、『当時の仲間と充実した時間を過ごし、楽しみ切れなかった高校時代の後悔を叩き潰す』という自転車愛好会設立の目的が達成できたような気がした。

集合写真