信越道サイクリング編 多摩川サイクリングロードの次は荒川サイクリングロードでしょ、、、 1. 東京スカイツリー観光サイクリング (2010年4月18日) 『いやー、気持ちいいねぇ!』 通りがかりの気さくな地元の爺さんとの会話を楽しみつつ、(昨日の季節外れの雪が嘘のような)春らしい陽気の河川敷でしばし休憩。
2年前に買ったシティーサイクルに早くも見切りを付け今回おニューのロードバイク(TREC1.2 サイズ60の輸入モデル)を投入し快調に飛ばすテル、トレーニングとしてケイデンス140(MAX175)で走るアベチャンに続き、河川敷のサイクリングロードをスカイツリーのある川下方向に走る。
『この際 海まで行っちゃおっか!』 天候も良く気持ち良く走れるので急遽予定を変更し、とりあえずこのままサイクリングロードで終点の海を目指すことに。 葛西橋を渡り、次第に海らしくなる景色にワクワクしながら走っていると(なかなか海に辿り着かない多摩川サイクリングロードとは違い)あっけなく海に到着。そしてそこは葛西臨海公園の入口であった。一般道を走ることなく、そのまま自転車で園内へ入れるアクセスの良さに感動しつつ、一部に桜の残る園内を散策、葛西臨海公園駅駅前の芝生で弁当タイム。 「ゴッチャンとの新宿での待ち合わせ時間まで2時間切ってるんですけど、、、」 前半の計画性の無さの埋め合わせを後半しなければならないのがサイクリングの醍醐味。急いで弁当を食べてスカイツリーに向け走り出す。 既に日本一の高さだと頷ける、首を痛くする程に見上げなければ建設中の上部が見えない巨体、街中から突如生えてきた竹の子のような(近くで観ると)無骨な白い鉄骨の塊、この塔をカメラに収めようとする人だかり、、、、。TVでは感じられない多くを肌で感じられ大満足であった。 今回公道サイクリングで初めて自転車用ヘルメットを被ったが、このヘルメットのお陰でいつもより車の幅寄せに会わない気がした。特に交通量の多い都心を走る上でヘルメットは必需品だと感じた。 約束の10分遅れで新宿御苑に到着、中抜けしていたゴッチャンと再会。この新宿御苑は外人観光客が多く、地べたで語り合う様子が珍しいのか外人観光客に写真を撮られる。「日本人は中年になっても地べたに座るんだ」とか言われちゃうのかな? 帰りはひたすら青梅街道を走る。井荻駅のガンダム像前で休憩を挟み、なんとか暗くなる前に西東京市のテル家に到着。ひばりが丘駅前の豚カツ屋で夕食を食べ、アベチャンの車で帰宅。 映画「3丁目の夕日」では、古き良き昭和の象徴として建造中の東京タワーが出てくるが、僕らにとって今日のサイクリングが、迫り来る40代を前に夢中でもがいている今の時代を象徴する出来事だと感じられるようになる日がいつか来るのだろうか? 【走行データ】 2. 軽井沢〜川越観光サイクリング(2011年4月30〜5月1日) (1)旅行の計画 何と言っても荒川サイクリングロードルートには「碓氷峠」が立ちはだかり、日々の仕事に消耗し切り、半年前の伊豆旅行以来1度も自転車に乗っていない弱った体でこの難関を越えられる気がしないのだ。 『いったい今年のGWはどんな自転車旅行プランを立てればいいのだろうか?』 納得のいく旅行プラン作りは困難を極めるかのように見えたが、当初考えていた笹目橋から標高の高い軽井沢へのルートの出発地点と到着地点を入れ替えれば、同じ距離でありながら体への負担を最小限に楽しく走れそうだと気付き、自転車愛好会仲間に声を掛けると話は急展開。 「仕事で体力を消耗し切っているが連休には普段できない記憶に残るようなことをしたい」という気持ちは働き盛りの僕らアラフォー世代共通のようで、姑息ではあるが輪行を効果的に使う方法を用いたサイクリングに行く運びとなった。 (2)碓氷峠ダウンヒル(JR軽井沢駅〜めがね橋区間) 『この先が有名な碓氷峠だね。』 直線距離10kmの高低差667mという急斜面に張り付く182個のコーナーは、こちら(軽井沢)側からだと全てが下り坂、横川まで思う存分ダウンヒル走行を楽しもうとスタートを切るが、アスファルトのひび割れや浮き砂が目立ち走りづらい。 『うーん、これじゃあ飛ばしても楽しくないなぁ。』 気持ち良く飛ばせないので心をのんびりモードに切り替え、黄緑色に輝く新緑やそれら木々の隙間から見える鉄道路線の遺跡(トンネルや陸橋)で立ち止まっては観光を繰り返しながら坂を下る。漫画「イニシャルD」のハチロクvsシルエイティーのダウンヒルバトルで有名な「C121コーナー」を過ぎると、かつて鉄道が通っていた有名なめがね橋(碓氷第3橋梁)が見えてきた。 『うわっ、デカッ!』 近くから見上げるめがね橋は視界に収まらない程巨大で、200万個にも及ぶレンガが独特な存在感を醸し出している。現在は遊歩道になっている橋の欄干に立ち、心地良い春風に吹かれながらしばし休憩。 周囲を見渡すと、このめがね橋から続くレンガ造りの廃線路と併走するコンクリート作りの廃線路が見える。 このような50年、100年という長いスパンでの歴史の経緯に目を向けていると、数日後の締め切りに怯える自分がいかに短いスパンであくせくと働いているかに気付かされる。ドッグイヤーと言われる現代を生き抜くにはこの短スパンに対応しなければならないが、一方で自分の人生を見渡すような長スパンの大らかな視点や心も持ち続けていこうという気にさせられるめがね橋観光であった。 (3)碓氷峠の悲しい歴史(めがね橋〜横川区間) この明治45年に完成した「丸山変電所」は、国の重要文化財でありながら自動車でのアクセスが悪いせいか、僕らが飲み食いをする20分程の間他の観光客はひとりも現れず、聞こえるのは風の音と鳥の歌声だけ。 「碓氷湖」と、星野鉄郎の生まれ変りであるゴッチャン期待の「鉄道文化むら」を軽く観光し、予定より2時間以上遅れて横川駅に到着、定番の「おぎのやの釜飯」を食べる。かつて碓氷峠を登るためのアブト式電化機関車を連結するための時間中に多くの人が買い求めた発祥の背景を知って食べる釜飯は、これまで以上に旨く感じた。 【走行データ】
(4)いつものパターン(横川〜忍城〜さきたま古墳区間) 『このままじゃ、今日中に川越まで辿り着けないよ!』 学生時代の定期テストのように限界まで追い込まれてようやく腰を上げる僕ら。国道18号で高崎を目指していると、いちばん後ろを走っていた今回のサイクリングに合わせて数日前に自転車を買ったゴッチャンからメール。 「荷物背負って走るの辛いから自転車屋で荷台付けてもらう。遅れるけどマイペースで走るから先行ってて。」 待ってあげたいところだが、スケジュールに全く余裕が無くなっているので、心を鬼にして「忍城(水城公園)まで行って観光しながら待っている」と返信。 高崎を過ぎ、国道17号線で熊谷方面に進路を取ると向かい風が気になりだした。テルと風の影響をもろに受ける先頭を交代しながらのランデブー走行でこの局面を切り抜ける。2人で力を合わせて時速25キロペースを維持しながら単調な国道を走り抜け、16時半頃歴史好きなテルお勧めの忍城(水城公園)に到着。 『なんだよ、テルがどうしても行きたいって言うから人気スポットなんだと思ってたけどほとんど観光客いないじゃん。』 「あれ、おかしいなぁ(汗)、この忍城(水城公園)はベストセラー小説「のぼうの城」の舞台で、水攻めが先日の東北関東大震災の津波を連想させるので2012年秋まで公開が延期されてるけど映画が作られたんだよ。この城は石田三成の戦下手を象徴する城でね、、、、、(以下省略)」 歴史マニアのテルの分かり易い説明を聞くうちに、さっきまで何も感じなかった忍城が魅力的に見えてきた。 ゴッチャンの到着にはもう少し時間がかりそうなので、数キロ先の「さいたま」という県名の由来となった「さきたま古墳公園」で落ち合おうと連絡を入れ、この公園内を観光。広大な敷地内に散らばる日本一の円墳と言われる丸墓山古墳をはじめとする9基の古墳を周るのに自転車は丁度良く、風景や草木を眺めながらのんびり散策。4日後に行われる「さきたま火祭り」で燃やされる産屋の脇に寝転びまったりしていると疲れ果てた表情のごっちゃん登場。
(5)暗闇サイクリング(さきたま古墳〜川越三光ホテル宿泊) 「膝が痛くてゆっくりしかペダルを回せないよ〜」 と言うゴッチャンの気持ちは(以前自分も同じ症状を経験したので)分からなくもないが、ここで立ち止まる訳にもいかず、『あきらめたらそこで試合終了だよ!』とどこかで聞いた台詞をつぶやきつつ夕暮れの古墳群を出発。 日没後の荒川サイクリングロードはあまりにも暗いため一般道で川越を目指していると、親切なトラックドライバーが「確かこの先1つ目の交差点を左折すれば川越に出れるはずだよ」と近道を教えてくれる。しかしその河川沿いのさびれた一本道は、やがて自転車走行が困難な未舗装路となり引き返す羽目に。 『長距離サイクリングってペダルを回した分だけ確実にゴールが近づくでしょ。(運や才能に左右される勉強や仕事、他のスポーツと違い)努力が確実に成果に結びついていく所が俺は好きなんだよ。』 いかにもテルらしいこの言葉を噛み締めながらペダルを回すうちに川越市内に入る。暗闇にぼんやりとそびえ立つ川越のシンボル「時の鐘」の脇を通り宿泊場所である川越三光ホテルに到着。心からホッとしたようなゴッチャンの笑顔が印象的だった。 テルが予約してくれた三光ホテル(合宿プラン)は隣接する健康ランド(湯遊ランド)の利用OK、夕食・朝食付、さらには千昌夫コンサートも観れて8000円/1人と格安料金。あまりの安さにちゃんと泊まれるのか不安であったが、風呂は大きく夕飯(かつ定食)も朝飯(バイキング)も腹一杯食べれて不満無し。部屋がカラオケルームなのにはちょっと驚いたが、広さは充分で室内や寝具は清潔、男3人で泊まるには十分な内容であった。 夕飯・入浴の後、(千昌夫チャリティー歌謡ショーは終了していて観れなかったため)テルの上手い交渉で自転車の持ち込みを了承してもらった部屋でお疲れさん会を開催。宿泊を伴う3人での自転車旅行は今回が初だが、長距離サイクリンの尽きない話をきっかけに、3人3様の本音トークが聞けたり、どうしようもなくくだらない話で盛り上がったりと、かつての高校修学旅行を彷彿させるように楽しくワイワイと話せたのが良かった。 【走行データ】 (6)逆風に立ち向かえ(川越三光ホテル〜笹目橋区間) 朝9時にホテルを出発し、時の鐘、お菓子横丁、こいのぼりで飾られた蔵造りの街並みなどを観光。土産物屋で名物の芋羊羹を選んでいるとゴッチャンが「膝の痛みが引かないので大事を取って川越駅から輪行帰宅する」と言う。『軟弱物!』とこれまたどこかで聞いた台詞を返すとゴッチャンは発狂して殴り掛かってきた。かつて「海老高のガンジー」と呼ばれた彼らしからぬまさかの行為に驚きつつクロスカウンターで応酬。 通い慣れたオフロードビレッジ入口脇から荒川サイクリングロードに入ると、これまで自転車で経験したことの無い強い向かい風。昨日のようにテルと先頭を交代しながら立ち向かうが風は一向に止む気配は無く次第に疲れが溜まっていく。全くスピード上がらないだけでなく、気を抜くと自転車もろとも吹き飛ばされそうになり、自転車は風に弱いと再確認。 秋ヶ瀬公園での長めの休憩をはさみ、13時にようやく本日のゴールである笹目橋に到着。(本当はゆっくり飯でも食いたい所だが)帰宅時間の遅れが気になりすき家で軽く腹ごしらえをして成増駅から輪行帰宅。 今回のサイクリングでは碓氷峠、忍城、さきたま古墳などの歴史的価値のある観光地を周ったが、(自転車で土地の空気を肌で感じ自ら汗を流したのが影響したのか)それぞれの観光地の歴史的・地理的な背景を知りたい欲求が自然と湧きあがり、旅行後詳細をネットや書籍で調べまくった。人生の折り返し地点を過ぎた自分は今後こういった楽しみ方ができると、新たな金脈を掘り当てた気がし た。 この「物事の背景を知る」というのは観光地を観る時だけではなく、新たな世界(物・事・人)に踏み出す際にとても重要で、知っているのと知らずにいるのではまるで結果が違ってくる(=背景を知ることはその物の本質を捉えるのに欠かせない)。今後はどんどん下調べをして楽しく知識の幅を広げていきたいと思う。 3. 軽井沢〜直江津 宿坊体験サイクリング(2012年10月12〜13日) (1)軽井沢〜長野区間 サイクリング予定日の数日前に不覚にも風邪をひいてしまった。職場で何度も咳込む様子を見ていた自転車好きの同僚Hさんに「その体調で明日から自転車旅行は無理でしょ!」と笑われるも、風邪の峠は越えたようだし何より職場を離れ大自然に身を置けば一気に快方に向かう気がして風邪薬を飲んで翌日早朝自宅を出発。新宿発6時32分の埼京線で落ち合うはずのゴッチャンがタッチの差で電車に乗り遅れて某然と立ちすくむのを電車内から見送り、大宮発の新幹線あさま503号でテルと合流し、8時10分軽井沢駅に到着。 1年半前の軽井沢〜川越サイクリングの時と同じ場所で自転車を組み立て、朝陽を浴びて高原の冷たく爽やかな風の中を走り出す。 R18を北西へ向けて進路を取ると、しばらくは上り坂。風邪で息が上がり先行きが不安になるが、中軽井沢を過ぎると後は長い下り坂で、あっという間に懐古園に到着。1時間遅れの新幹線で先回りしてきたゴッチャンと合流し、重要文化財である小諸城跡三之門周辺をさらりと観光、ここからは3人で日本海を目指す。 日頃溜め込んだストレスを発散するかのように快調に飛ばすゴッチャンを先頭にR18を進み、昼前に上田駅に到着。通りがかりの地元のお兄さんオススメのそば屋「刀屋」で昼食。太くて堅めのざる蕎麦を味噌ダレで食べるのが上田流。あまりのボリュームに食べ切れません。 腹一杯になり、上田城を目指し市内を自転車で流していると、観光ホテルの玄関傍に、ここ上田市が舞台の映画「サマーウォーズ」の登場人物の人形達を発見。丁度ホテルから出てきた受付のお姉さんにカメラのシャッターを頼むと、「中に別のキャラクターもいるんですよ!」と自動ドアを開けて中を見せてくれる。 『あっ、キングカズマだ!』 お姉さんの粋な計らいと人気キャラの出現に3人で歓声を上げる。 上田城跡に到着してからも(この城がモデルとなっている)サマーウォーズネタで盛り上がっていると何故か元気の無いゴッチャン。理由を尋ねると、実はゴッチャンはこの映画を見ていないことが発覚。 『あれ、さっきゴッチャンもキングカズマに歓声上げていたような、、、(笑)』 地域色が乏しいR18を走るのに飽き、この先は日本最長の千曲川(=信濃川)沿いのサイクリングロードで長野を目指す。周りはまさに大自然、ゆっくりと流れる川や遠くに連なる山脈が望める広々とした景色の中に身を置く極上の時間。 歴史マニアのテルが、武田信玄と上杉謙信が対戦したこの地ががいかに有名であるかを力説してくれるが、約30分が経ってもこの寂れた公園には僕ら以外は2人しか観光客が来ないため、まるで説得力がない。 『また騙されてテルに不人気スポットに連れて来られちゃったよ!』 自転車旅行定番となりつつあるいつもの台詞(笑)を吐きつつ早い日暮れに季節の移り変わりを感じながら川中島を後にした。 すっかり暗くなった頃、灯籠の灯りが並ぶ善光寺傍を抜け、山内39寺院の1つである「常住院」に到着。 【走行データ】
(2)常住院宿坊体験と善光寺観光
「私がこの寺で説明員をするようになって以来自転車でお越し頂いたのはあなた方が初めてです」 と、背筋の伸びた坊さんのような雰囲気の爺さんが出迎えてくれる。整理整頓の行き届いた民宿のような感じの8畳2間の宿泊部屋に通されお茶菓子が運ばれてきたかと思うと爺さんの説明が始まった。 「かつての日本には一生に1度善光寺巡りをするならわしがありまして、その際宿泊施設として山内39の寺院を使いましたのが宿坊のはじまりでございます。善光寺ご本尊“一光三尊阿弥陀如来さま”は仏教伝来の折百済の国から我が国にお渡りになられた日本最古の仏様で、、、、 (中略) 、、、では明朝、日の出とともに山内寺院全住職により行われる「お朝事」に間に合うよう5時半に迎えに参ります。」 30分程で説明が終わり、3人で家族風呂(?)から上がると、修行中の食事がベースだという精進料理が運ばれてきた。いくつかの夕食メニューの中から肉や魚を使わない最も質素と思われる精進料理を選んだゴッチャンに対し、 「体力回復のためにもっとスタミナのつく料理が食べたかった。」「精進料理を選んだ責任として後でコンビニでからあげくん買ってきてもらおう。」 などと言いたい放題。だが、予想に反し次から次へと運ばれてくる料理はどれも美味しくボリュームもあり、やがて不平は感謝の言葉に変わっていった。 『精進料理最高!旅行の時はその土地のその季節のものを食べるのがいいよね。』 芸術作品のようなおかずの半分も手をつけぬうちに満腹となるが、(自転車では後半スピードが落ちたが)箸のスピードは全く衰えを見せないゴッチャンに対抗心を燃やし、なんとか全ての皿をたいらげる。 『腹一杯でもう動けない、、、。体調いまいちだから俺もう寝るわ。』 風邪が移りそうだからと奥の8畳に隔離されて就寝。 翌朝、早起きしてサッカー日本代表フランス戦(衛生生中継)を見ていると爺さんがお朝事の迎えに来てくれて宿坊を出発。凍える寒さの中爺さんを追い5分程歩くと視界が開け 暗闇にそびえる善光寺仁王門が現れた。 (昨晩精進料理を運ぶ宿坊のオカミサンが「あの説明員のお爺さんは勉強熱心で知識豊富なので色々聞いてみるといいですよ」と言っていたのを思い出してか)ゴッチャンが爺さんに 「お参りする時はどのようなことを願えばいいのでしょうか?」「なぜ本田善光は都から遠く離れたこの長野の地にお寺をお作りになられたのでしょうか?」 などと質問攻撃。爺さんは鋭い質問の数々に何だか嬉しそう。1つ1つに丁寧に答えてくれている。 寒空の下いつまで続く2人の問答。宗教とかスピリチュアル分野への関心の高いゴッチャンと善光寺を愛して止まない爺さんの会話は全く終わる気配がなく、テルに困ったねビームを視線で送ると、俺に任せろという表情。 「この三門をバックに僕ら3人で写真を撮ってくれませんか?」 2人の会話を収束させるべく話が途切れた一瞬の隙間にテルが切り込んで行くと、思わぬ爺さんのしっぺ返し。 『今説明してるの!写真は今じゃなくてもいいでしょ!!』 テルごめん、どうやらこれで、爺さんの中に「ごっちゃん=○、テル=×」というキャラ設定が確立したようだ(笑)。 ”仏教の六道を表わす六地蔵”、”ぬれ仏と呼ばれる延命地蔵尊”の説明が終わり、三門手前を左に反れると爺さんの足が止まる。 「先日伊勢神宮に行きましたが、あちらはココよりずっと賑わっている感じでした。善光寺って格の割りには地味なイメージがありますよね。」 善光寺に魅了されているこの爺さんにその発言はどうかなと思いつつ、いつもながらに本音発言で切り込むテルの発言への反応に聞き耳を立てていると、 『善光寺はそこら辺の観光寺のように宣伝はしておりませんが、年間7百万人の観光客が訪れる由緒正しいお寺です!』 と爺さんは顔を少し引きつらせて反論。そしてまたしばし沈黙。 「これから行われるお朝事って途中で抜ける訳にはいかないんですか?」 だが、この発言はタイミングが最悪だったようで、爺さんの怒りは臨界点を超えてしまい、間髪を入れずに僕ら3人にありがたきお説教。 『こういう時くらい最後までしっかりお経を聴きなさい!!!』 僕が咳をするに気付いた爺さんも声のトーンを落とし、 『いつも職場で時間に追い立てられているのでしょうが、せっかく善光寺まで来たのだからこんな時くらいゆっくり仏の世界に身を置くのもいいと思いますよ。』 と笑顔で助言をくれる。善光寺観光で最も印象に残るひとこまであった(笑)。 そうこうするうちに定刻になり、今日のご朝事の導師を勤める天台宗の住職さんがお出ましになる。爺さんに言われるままに参道にひざまずくと、住職さんが通りがかりに手に持った数珠で頭を撫でてくれる。これを「お数珠頂戴」と言い功徳が授けられたらしいが、冷えた頭を直撃する水晶は思いのほか痛かった。 住職さんの後に続いて本堂へ。まさに今出たばかりの朝日を真横から浴びつつ本堂に上がり畳に座るとお朝事(お経)が始まった。 早朝の張りつめた空気に響く鐘やリズムを刻む木魚、天国と地獄を彷徨うかのような抑揚のある主旋律とその裏でムニャムニャと響くお経の荘厳なハーモニーは独特な雰囲気を醸し出している。まるで交響曲を聴いているかのような新しい体験に時間を忘れるお朝事であった。
(3)長野〜直江津区間 部屋に戻ると、机には沢山の皿が並べられていた。お朝事の爽やかな余韻に浸りつつ朝食を済ませ8時35分に宿坊を出発。新潟との県境へと続く県道37号はクネクネとした長い上り坂で、テルを先頭に息を切らせながらのんびり上る。年に数回こうして坂と格闘するのが生活の一部となり、ストレス解消に役立っていると感じつつ坂中峠を制覇。標高800mの坂中トンネルの先にある横手直売所「四季菜」のアップルパイとリンゴ味ソフトクリームで体力を回復させ、11時半頃野尻湖に到着。 野尻湖は(20年前にこの3人で湖畔バス停で夜を明かした)箱根の芦ノ湖と似た雰囲気。だが、店員のいないボート乗り場や落書きの目立つホテル、閉ざされた土産物屋が目に留まり、都心周辺ではそれほど気にならない近年の景気低迷や少子高齢化の影響がこういった地方に色濃く影を落としているのを感じつつ湖畔を後にする。 信越大橋を渡り新潟県に入り、セブンイレブン妙高高原バイパス店で昼食。その後は長い下り坂(国道18号)をオートバイを運転するかのように疾走し、2時半頃越後高田城に到着。 越後高田城を後にして北陸本線の陸橋を超えるとほんのりと海の薫り。葛西臨海公園を出発してからの2年半を思い返しながらペダルをこぎ、15時30分日本海に到着。2度目の日本列島横断達成しガッツポーズ!テルは小説「自転車少年記」の日本横断時のシーンを真似て太平洋で汲んだつもりの水を日本海に流し、ゴッチャンは人生を悟ったかのように荒波の日本海を眺めていた。 近くの銭湯「漢方の湯ホテル元気人」で汗を流し、直江津駅より18時4分発特急はくたか21号で帰宅。テル、ゴッチャンのお陰で今回も楽しい旅となった。 【走行データ】 【信越道サイクリング編 完】
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