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信越道サイクリング編  

多摩川サイクリングロードの次は荒川サイクリングロードでしょ、、、



1. 東京スカイツリー観光サイクリング  (2010年4月18日)
 先月末に墨田区に建造中の東京スカイツリーが東京タワーを抜き日本一の高さになったというニュースが巷を賑わせた。このスカイツリー、近いうちに走りたいと思っていた荒川サイクリングロードに程近く、荒川サイクリングにスカイツリー観光を組み込めば楽しい1日が送れそうだと、母校自転車愛好会仲間とサイクリングに行ってきた。

朝8時に西東京市のテル家に集合し荒川サイクリングロードに向けて走り出す。用事のため中抜けする「海老高の星野鉄郎(TV版)」ことゴッチャンと銀河鉄道999ゆかりの大泉学園駅で別れ、光が丘公園、高島平を経由し、9時半頃笹目橋付近の荒川河川敷に出る。

『いやー、気持ちいいねぇ!』

通りがかりの気さくな地元の爺さんとの会話を楽しみつつ、(昨日の季節外れの雪が嘘のような)春らしい陽気の河川敷でしばし休憩。

集合 大泉駅 戸田
2年前に買ったシティーサイクルに早くも見切りを付け今回おニューのロードバイク(TREC1.2 サイズ60の輸入モデル)を投入し快調に飛ばすテル、トレーニングとしてケイデンス140(MAX175)で走るアベチャンに続き、河川敷のサイクリングロードをスカイツリーのある川下方向に走る。


隅田川との分岐である新岩渕水門を超えると、右手に建造中のスカイツリーを発見。スカイツリーへ向かう丁度良さそうな道を探していると「海まであと15km」の看板。

『この際 海まで行っちゃおっか!』

天候も良く気持ち良く走れるので急遽予定を変更し、とりあえずこのままサイクリングロードで終点の海を目指すことに。

海へ 海に出た 葛西臨海公園

葛西橋を渡り、次第に海らしくなる景色にワクワクしながら走っていると(なかなか海に辿り着かない多摩川サイクリングロードとは違い)あっけなく海に到着。そしてそこは葛西臨海公園の入口であった。一般道を走ることなく、そのまま自転車で園内へ入れるアクセスの良さに感動しつつ、一部に桜の残る園内を散策、葛西臨海公園駅駅前の芝生で弁当タイム。

「ゴッチャンとの新宿での待ち合わせ時間まで2時間切ってるんですけど、、、」

前半の計画性の無さの埋め合わせを後半しなければならないのがサイクリングの醍醐味。急いで弁当を食べてスカイツリーに向け走り出す。

海へ サイクリングロードからのスカイツリー もうすぐスカイツリー
  正直スカイツリーにはあまり期待してなかったが、近づくにつれ次第に大きくなる初めて目にする日本一の塔はとても見応えがあった。

既に日本一の高さだと頷ける、首を痛くする程に見上げなければ建設中の上部が見えない巨体、街中から突如生えてきた竹の子のような(近くで観ると)無骨な白い鉄骨の塊、この塔をカメラに収めようとする人だかり、、、、。TVでは感じられない多くを肌で感じられ大満足であった。

感動の余韻を引き摺りつつ、時間に追われ、浅草、上野、秋葉原を経由し、靖国通りで新宿を目指す。

今回公道サイクリングで初めて自転車用ヘルメットを被ったが、このヘルメットのお陰でいつもより車の幅寄せに会わない気がした。特に交通量の多い都心を走る上でヘルメットは必需品だと感じた。

約束の10分遅れで新宿御苑に到着、中抜けしていたゴッチャンと再会。この新宿御苑は外人観光客が多く、地べたで語り合う様子が珍しいのか外人観光客に写真を撮られる。「日本人は中年になっても地べたに座るんだ」とか言われちゃうのかな?

海へ 新宿御苑 井荻駅ガンダム像

帰りはひたすら青梅街道を走る。井荻駅のガンダム像前で休憩を挟み、なんとか暗くなる前に西東京市のテル家に到着。ひばりが丘駅前の豚カツ屋で夕食を食べ、アベチャンの車で帰宅。

映画「3丁目の夕日」では、古き良き昭和の象徴として建造中の東京タワーが出てくるが、僕らにとって今日のサイクリングが、迫り来る40代を前に夢中でもがいている今の時代を象徴する出来事だと感じられるようになる日がいつか来るのだろうか?

【走行データ】
走行距離:98km、走行時間:5時間50分、平均スピード:約16.8km



2. 軽井沢〜川越観光サイクリング(2011年4月30〜5月1日)

(1)旅行の計画
 荒川サイクリングロードの東京湾から笹目橋(板橋区)までの区間を走ってから1年が過ぎた。今年(2011年)のGWはこの笹目橋をスタートして軽井沢までを走り、次の機会に軽井沢〜直江津区間を走って荒川サイクリングロード(関越道)ルートで日本列島を再横断するつもりでいたが、昨年(2010年)のGWに足を引き摺りながら多摩川サイクリングロード(中央道)ルートで日本横断した時のブザマな自分を思い返すと再び似たような困難に立ち向かう気力が湧き上がらない。

何と言っても荒川サイクリングロードルートには「碓氷峠」が立ちはだかり、日々の仕事に消耗し切り、半年前の伊豆旅行以来1度も自転車に乗っていない弱った体でこの難関を越えられる気がしないのだ。

だが、そんな「峠を越える体力」も「峠越えのために地道なトレーニングを積む気力」も持ち合わせていない残念な現実とは裏腹に、「GWには会社漬けの普段にはできない何かをしたい」という連休が近づくといつも湧き上がる大いなる理想は肥大化の一途。

『いったい今年のGWはどんな自転車旅行プランを立てればいいのだろうか?』

納得のいく旅行プラン作りは困難を極めるかのように見えたが、当初考えていた笹目橋から標高の高い軽井沢へのルートの出発地点と到着地点を入れ替えれば、同じ距離でありながら体への負担を最小限に楽しく走れそうだと気付き、自転車愛好会仲間に声を掛けると話は急展開。

「仕事で体力を消耗し切っているが連休には普段できない記憶に残るようなことをしたい」という気持ちは働き盛りの僕らアラフォー世代共通のようで、姑息ではあるが輪行を効果的に使う方法を用いたサイクリングに行く運びとなった。


(2)碓氷峠ダウンヒル(JR軽井沢駅〜めがね橋区間)
 4月30日7時18分大宮発の長野新幹線「あさま503号」に1時間程ゆられて標高939mのJR軽井沢駅に到着。想定外の寒さに服を着込みつつ、テル、ゴッチャンと駅前の道端で自転車を組み立て本日宿泊予定の川越に向けて走り出す。
遠くに雪が残る山並みを眺めながら緩やかな坂道を10分程走ると長野と群馬の県境の標識が見えてきた。
JR軽井沢駅 自転車組み立て 長野と群馬の県境

『この先が有名な碓氷峠だね。』

直線距離10kmの高低差667mという急斜面に張り付く182個のコーナーは、こちら(軽井沢)側からだと全てが下り坂、横川まで思う存分ダウンヒル走行を楽しもうとスタートを切るが、アスファルトのひび割れや浮き砂が目立ち走りづらい。

『うーん、これじゃあ飛ばしても楽しくないなぁ。』

気持ち良く飛ばせないので心をのんびりモードに切り替え、黄緑色に輝く新緑やそれら木々の隙間から見える鉄道路線の遺跡(トンネルや陸橋)で立ち止まっては観光を繰り返しながら坂を下る。漫画「イニシャルD」のハチロクvsシルエイティーのダウンヒルバトルで有名な「C121コーナー」を過ぎると、かつて鉄道が通っていた有名なめがね橋(碓氷第3橋梁)が見えてきた。
C121コーナー 鉄道路線の遺跡 ダウンヒル走行

『うわっ、デカッ!』

近くから見上げるめがね橋は視界に収まらない程巨大で、200万個にも及ぶレンガが独特な存在感を醸し出している。現在は遊歩道になっている橋の欄干に立ち、心地良い春風に吹かれながらしばし休憩。

黄緑色に輝く新緑 めがね橋 橋の欄干

周囲を見渡すと、このめがね橋から続くレンガ造りの廃線路と併走するコンクリート作りの廃線路が見える。
こちらが明治26年から約70年間鉄道路線として使用されたのに対し、あちらはその役目を継いで昭和38年からの約30年間新路線として使われたそうだ。平成9年の新幹線開通による在来線廃止に伴い新路線も役目を終え、撤去費用もままならず現在建造時期の異なる2本の廃線路が当時の面影を残しているという訳だ。

明治時代を象徴するレンガ作りと、昭和を象徴するコンクリート作りの2本の廃路線、そして今朝新幹線に乗って通った現役路線を眺めていると、長い短いの違いはあれど人間が作る全ての建造物は(永遠にそこにあるような気がするけれど)やがて朽ち果てていくことが分かる。

このような50年、100年という長いスパンでの歴史の経緯に目を向けていると、数日後の締め切りに怯える自分がいかに短いスパンであくせくと働いているかに気付かされる。ドッグイヤーと言われる現代を生き抜くにはこの短スパンに対応しなければならないが、一方で自分の人生を見渡すような長スパンの大らかな視点や心も持ち続けていこうという気にさせられるめがね橋観光であった。


(3)碓氷峠の悲しい歴史(めがね橋〜横川区間)
 めがね橋を渡った先にはレンガ造りのトンネルがぽっかりと口を開けていた。
何とか原型を保ちつつもレンガが剥がれ落ちるなど朽ち始めているトンネルの様子は、加齢により外見や体力を蝕ばまれる自分の肉体とどこか似ているようで、吸い込まれるように中へと足を進める。
かつて多大な労力をかけて作られた形跡が至る所に感じられるトンネル内はまるで異国の古代遺跡のようで、このままこの「アブトの道遊歩道」でJR横川駅を目指そうと3人の意見が一致、そのまま先を急ぐ。

この碓氷峠を越える信越ルートは、かつて明治政府が日本海側への鉄道輸送を実現するために電化機関車やアブト式線路という当時の最先端技術を投入し、国家の威信をかけて作り上げたルートであった。
しかしながら、後に谷川岳を貫通する上越ルートが完成すると状況は一転、他の路線とは異なる専用の機関車への乗り換えを必要とする信越ルートは存在価値が薄れ、上越道に取って代わられる悲しい運命をたどることとなる。
そんなかつての繁栄や衰退を肌で感じつつ足を進めると、日本一の急坂を煙を撒き散らして登る機関車を電化するために建てられた「丸山変電所」へ到着。三流映画に出てきそうな建物の存在感ある佇まいに誘われて、さっき休憩したばかりなのに芝生に腰を下ろしてまた休憩。
まがね橋の先にトンネル レンガ作りのトンネル 丸山変電所

この明治45年に完成した「丸山変電所」は、国の重要文化財でありながら自動車でのアクセスが悪いせいか、僕らが飲み食いをする20分程の間他の観光客はひとりも現れず、聞こえるのは風の音と鳥の歌声だけ。
都心の観光地では有り得ない贅沢な静けさの中、年季の入ったレンガ作りの建物を観ていると明治時代へと気持ちがタイムスリップ。突然頭の中に浮かんだ「変電所職員と旅芸者の禁断のロマンス」の物語を楽しみながら展開させる。大自然の中でロマンスの結末をどうしようかと妄想する作業は、頭から仕事のモヤモヤを完全に忘れさせてくれる。

アブトの道遊歩道 鉄道文化むら おぎの屋の釜飯

「碓氷湖」と、星野鉄郎の生まれ変りであるゴッチャン期待の「鉄道文化むら」を軽く観光し、予定より2時間以上遅れて横川駅に到着、定番の「おぎのやの釜飯」を食べる。かつて碓氷峠を登るためのアブト式電化機関車を連結するための時間中に多くの人が買い求めた発祥の背景を知って食べる釜飯は、これまで以上に旨く感じた。

【走行データ】
おぎのや着時刻:11時20分、走行距離:17.1km、平均スピード:15km


(4)いつものパターン(横川〜忍城〜さきたま古墳区間)

『このままじゃ、今日中に川越まで辿り着けないよ!』

学生時代の定期テストのように限界まで追い込まれてようやく腰を上げる僕ら。国道18号で高崎を目指していると、いちばん後ろを走っていた今回のサイクリングに合わせて数日前に自転車を買ったゴッチャンからメール。

「荷物背負って走るの辛いから自転車屋で荷台付けてもらう。遅れるけどマイペースで走るから先行ってて。」

待ってあげたいところだが、スケジュールに全く余裕が無くなっているので、心を鬼にして「忍城(水城公園)まで行って観光しながら待っている」と返信。
17号線 海上公園 忍城

高崎を過ぎ、国道17号線で熊谷方面に進路を取ると向かい風が気になりだした。テルと風の影響をもろに受ける先頭を交代しながらのランデブー走行でこの局面を切り抜ける。2人で力を合わせて時速25キロペースを維持しながら単調な国道を走り抜け、16時半頃歴史好きなテルお勧めの忍城(水城公園)に到着。

『なんだよ、テルがどうしても行きたいって言うから人気スポットなんだと思ってたけどほとんど観光客いないじゃん。』

「あれ、おかしいなぁ(汗)、この忍城(水城公園)はベストセラー小説「のぼうの城」の舞台で、水攻めが先日の東北関東大震災の津波を連想させるので2012年秋まで公開が延期されてるけど映画が作られたんだよ。この城は石田三成の戦下手を象徴する城でね、、、、、(以下省略)」

歴史マニアのテルの分かり易い説明を聞くうちに、さっきまで何も感じなかった忍城が魅力的に見えてきた。
学生時代、もっと真面目に歴史の勉強しておくべきだったな。
燃やす櫓 古墳の上から 古墳出発

ゴッチャンの到着にはもう少し時間がかりそうなので、数キロ先の「さいたま」という県名の由来となった「さきたま古墳公園」で落ち合おうと連絡を入れ、この公園内を観光。広大な敷地内に散らばる日本一の円墳と言われる丸墓山古墳をはじめとする9基の古墳を周るのに自転車は丁度良く、風景や草木を眺めながらのんびり散策。4日後に行われる「さきたま火祭り」で燃やされる産屋の脇に寝転びまったりしていると疲れ果てた表情のごっちゃん登場。
3人で古墳の上から眺めた夕焼け色に染まった埼玉の風景はとても綺麗だった。

【走行データ】
さきたま古墳着時刻:17時10分、走行距離:98.1?km、平均スピード:19.8km

 


(5)暗闇サイクリング(さきたま古墳〜川越三光ホテル宿泊)

「膝が痛くてゆっくりしかペダルを回せないよ〜」

と言うゴッチャンの気持ちは(以前自分も同じ症状を経験したので)分からなくもないが、ここで立ち止まる訳にもいかず、『あきらめたらそこで試合終了だよ!』とどこかで聞いた台詞をつぶやきつつ夕暮れの古墳群を出発。

日没後の荒川サイクリングロードはあまりにも暗いため一般道で川越を目指していると、親切なトラックドライバーが「確かこの先1つ目の交差点を左折すれば川越に出れるはずだよ」と近道を教えてくれる。しかしその河川沿いのさびれた一本道は、やがて自転車走行が困難な未舗装路となり引き返す羽目に。
気合いで膝の痛みに耐えて走っていたゴッチャンはこのUターンで心の糸が切れてしまったようで全くペースが上がらなくなる。3台で歩くようなスピードで走っていると、テルがゴッチャンを励ましつつ自分の考えを整理するようにこんな発言。

『長距離サイクリングってペダルを回した分だけ確実にゴールが近づくでしょ。(運や才能に左右される勉強や仕事、他のスポーツと違い)努力が確実に成果に結びついていく所が俺は好きなんだよ。』

いかにもテルらしいこの言葉を噛み締めながらペダルを回すうちに川越市内に入る。暗闇にぼんやりとそびえ立つ川越のシンボル「時の鐘」の脇を通り宿泊場所である川越三光ホテルに到着。心からホッとしたようなゴッチャンの笑顔が印象的だった。

荒川川幅日本一 夜の時の鐘 到着

テルが予約してくれた三光ホテル(合宿プラン)は隣接する健康ランド(湯遊ランド)の利用OK、夕食・朝食付、さらには千昌夫コンサートも観れて8000円/1人と格安料金。あまりの安さにちゃんと泊まれるのか不安であったが、風呂は大きく夕飯(かつ定食)も朝飯(バイキング)も腹一杯食べれて不満無し。部屋がカラオケルームなのにはちょっと驚いたが、広さは充分で室内や寝具は清潔、男3人で泊まるには十分な内容であった。

朝食 部屋 三光ホテル出発

夕飯・入浴の後、(千昌夫チャリティー歌謡ショーは終了していて観れなかったため)テルの上手い交渉で自転車の持ち込みを了承してもらった部屋でお疲れさん会を開催。宿泊を伴う3人での自転車旅行は今回が初だが、長距離サイクリンの尽きない話をきっかけに、3人3様の本音トークが聞けたり、どうしようもなくくだらない話で盛り上がったりと、かつての高校修学旅行を彷彿させるように楽しくワイワイと話せたのが良かった。
2人の自転車旅行も楽しいが、3人(大人数)はまた別の楽しさがあると実感。自転車旅行の新しい展開がまたひとつ見えた気がする充実した1日は終わりを告げた。

【走行データ】
ホテル三光着:20時30分、走行距離129.7km、平均スピード:19.1km


(6)逆風に立ち向かえ(川越三光ホテル〜笹目橋区間)

 朝9時にホテルを出発し、時の鐘、お菓子横丁、こいのぼりで飾られた蔵造りの街並みなどを観光。土産物屋で名物の芋羊羹を選んでいるとゴッチャンが「膝の痛みが引かないので大事を取って川越駅から輪行帰宅する」と言う。『軟弱物!』とこれまたどこかで聞いた台詞を返すとゴッチャンは発狂して殴り掛かってきた。かつて「海老高のガンジー」と呼ばれた彼らしからぬまさかの行為に驚きつつクロスカウンターで応酬。

荒川川幅日本一 夜の時の鐘 到着

通い慣れたオフロードビレッジ入口脇から荒川サイクリングロードに入ると、これまで自転車で経験したことの無い強い向かい風。昨日のようにテルと先頭を交代しながら立ち向かうが風は一向に止む気配は無く次第に疲れが溜まっていく。全くスピード上がらないだけでなく、気を抜くと自転車もろとも吹き飛ばされそうになり、自転車は風に弱いと再確認。
朝食 部屋 三光ホテル出発

秋ヶ瀬公園での長めの休憩をはさみ、13時にようやく本日のゴールである笹目橋に到着。(本当はゆっくり飯でも食いたい所だが)帰宅時間の遅れが気になりすき家で軽く腹ごしらえをして成増駅から輪行帰宅。

今回のサイクリングでは碓氷峠、忍城、さきたま古墳などの歴史的価値のある観光地を周ったが、(自転車で土地の空気を肌で感じ自ら汗を流したのが影響したのか)それぞれの観光地の歴史的・地理的な背景を知りたい欲求が自然と湧きあがり、旅行後詳細をネットや書籍で調べまくった。人生の折り返し地点を過ぎた自分は今後こういった楽しみ方ができると、新たな金脈を掘り当てた気がし た。

朝食 部屋 三光ホテル出発

この「物事の背景を知る」というのは観光地を観る時だけではなく、新たな世界(物・事・人)に踏み出す際にとても重要で、知っているのと知らずにいるのではまるで結果が違ってくる(=背景を知ることはその物の本質を捉えるのに欠かせない)。今後はどんどん下調べをして楽しく知識の幅を広げていきたいと思う。

【走行データ】
2日間合計 走行距離:164.0km、走行時間9時間:14分、平均時速:17.7km


3. 軽井沢〜直江津 宿坊体験サイクリング(2012年10月12〜13日)

(1)軽井沢〜長野区間 

 サイクリング予定日の数日前に不覚にも風邪をひいてしまった。職場で何度も咳込む様子を見ていた自転車好きの同僚Hさんに「その体調で明日から自転車旅行は無理でしょ!」と笑われるも、風邪の峠は越えたようだし何より職場を離れ大自然に身を置けば一気に快方に向かう気がして風邪薬を飲んで翌日早朝自宅を出発。新宿発6時32分の埼京線で落ち合うはずのゴッチャンがタッチの差で電車に乗り遅れて某然と立ちすくむのを電車内から見送り、大宮発の新幹線あさま503号でテルと合流し、8時10分軽井沢駅に到着。

1年半前の軽井沢〜川越サイクリングの時と同じ場所で自転車を組み立て、朝陽を浴びて高原の冷たく爽やかな風の中を走り出す。
平日のため軽井沢の街に人影は少なく何だかとても贅沢な気分。せっかく軽井沢に来たのだからと(男2人なのには目を瞑り)聖バウロカトリック教会を礼拝、後で調べてみたら、吉田拓郎らが結婚式を挙げたそれなりに有名な教会だったみたい。

軽井沢駅到着 聖バウロカトリック教会 その1 聖バウロカトリック教会 その2

R18を北西へ向けて進路を取ると、しばらくは上り坂。風邪で息が上がり先行きが不安になるが、中軽井沢を過ぎると後は長い下り坂で、あっという間に懐古園に到着。1時間遅れの新幹線で先回りしてきたゴッチャンと合流し、重要文化財である小諸城跡三之門周辺をさらりと観光、ここからは3人で日本海を目指す。

日頃溜め込んだストレスを発散するかのように快調に飛ばすゴッチャンを先頭にR18を進み、昼前に上田駅に到着。通りがかりの地元のお兄さんオススメのそば屋「刀屋」で昼食。太くて堅めのざる蕎麦を味噌ダレで食べるのが上田流。あまりのボリュームに食べ切れません。
小諸城跡三之門 上田駅前 刀屋

腹一杯になり、上田城を目指し市内を自転車で流していると、観光ホテルの玄関傍に、ここ上田市が舞台の映画「サマーウォーズ」の登場人物の人形達を発見。丁度ホテルから出てきた受付のお姉さんにカメラのシャッターを頼むと、「中に別のキャラクターもいるんですよ!」と自動ドアを開けて中を見せてくれる。

『あっ、キングカズマだ!』

お姉さんの粋な計らいと人気キャラの出現に3人で歓声を上げる。

上田城跡に到着してからも(この城がモデルとなっている)サマーウォーズネタで盛り上がっていると何故か元気の無いゴッチャン。理由を尋ねると、実はゴッチャンはこの映画を見ていないことが発覚。

『あれ、さっきゴッチャンもキングカズマに歓声上げていたような、、、(笑)』

刀屋 その2 サマーウォーズキャラクター 上田城 門

地域色が乏しいR18を走るのに飽き、この先は日本最長の千曲川(=信濃川)沿いのサイクリングロードで長野を目指す。周りはまさに大自然、ゆっくりと流れる川や遠くに連なる山脈が望める広々とした景色の中に身を置く極上の時間。
とは言うものの、いきなりサイクリングロードが途切れたり、強い向かい風にあおられたり思うように距離が伸びず、予定よりだいぶ遅れてテルお勧めの川中島古戦場跡に到着。
上田城 城内 千曲川サイクリングロード その1 千曲川サイクリングロード その2

歴史マニアのテルが、武田信玄と上杉謙信が対戦したこの地ががいかに有名であるかを力説してくれるが、約30分が経ってもこの寂れた公園には僕ら以外は2人しか観光客が来ないため、まるで説得力がない。

『また騙されてテルに不人気スポットに連れて来られちゃったよ!』

自転車旅行定番となりつつあるいつもの台詞(笑)を吐きつつ早い日暮れに季節の移り変わりを感じながら川中島を後にした。
サイクリングロード行き止まり 川中島古戦場跡 常住院到着

すっかり暗くなった頃、灯籠の灯りが並ぶ善光寺傍を抜け、山内39寺院の1つである「常住院」に到着。

【走行データ】
走行距離:88.4.km、走行時間:5時間、平均時速:17.3km

(2)常住院宿坊体験と善光寺観光     NEW
 今回の旅行のメインイベントである宿坊(お寺で泊まる)体験のため、常住院の門をくぐると、

「私がこの寺で説明員をするようになって以来自転車でお越し頂いたのはあなた方が初めてです」

と、背筋の伸びた坊さんのような雰囲気の爺さんが出迎えてくれる。整理整頓の行き届いた民宿のような感じの8畳2間の宿泊部屋に通されお茶菓子が運ばれてきたかと思うと爺さんの説明が始まった。

「かつての日本には一生に1度善光寺巡りをするならわしがありまして、その際宿泊施設として山内39の寺院を使いましたのが宿坊のはじまりでございます。善光寺ご本尊“一光三尊阿弥陀如来さま”は仏教伝来の折百済の国から我が国にお渡りになられた日本最古の仏様で、、、、  (中略)   、、、では明朝、日の出とともに山内寺院全住職により行われる「お朝事」に間に合うよう5時半に迎えに参ります。」

30分程で説明が終わり、3人で家族風呂(?)から上がると、修行中の食事がベースだという精進料理が運ばれてきた。いくつかの夕食メニューの中から肉や魚を使わない最も質素と思われる精進料理を選んだゴッチャンに対し、

「体力回復のためにもっとスタミナのつく料理が食べたかった。」「精進料理を選んだ責任として後でコンビニでからあげくん買ってきてもらおう。」

などと言いたい放題。だが、予想に反し次から次へと運ばれてくる料理はどれも美味しくボリュームもあり、やがて不平は感謝の言葉に変わっていった。

『精進料理最高!旅行の時はその土地のその季節のものを食べるのがいいよね。』

芸術作品のようなおかずの半分も手をつけぬうちに満腹となるが、(自転車では後半スピードが落ちたが)箸のスピードは全く衰えを見せないゴッチャンに対抗心を燃やし、なんとか全ての皿をたいらげる。

『腹一杯でもう動けない、、、。体調いまいちだから俺もう寝るわ。』

風邪が移りそうだからと奥の8畳に隔離されて就寝。

精進料理 日本対フランス戦 善光寺正門

翌朝、早起きしてサッカー日本代表フランス戦(衛生生中継)を見ていると爺さんがお朝事の迎えに来てくれて宿坊を出発。凍える寒さの中爺さんを追い5分程歩くと視界が開け 暗闇にそびえる善光寺仁王門が現れた。

(昨晩精進料理を運ぶ宿坊のオカミサンが「あの説明員のお爺さんは勉強熱心で知識豊富なので色々聞いてみるといいですよ」と言っていたのを思い出してか)ゴッチャンが爺さんに

「お参りする時はどのようなことを願えばいいのでしょうか?」「なぜ本田善光は都から遠く離れたこの長野の地にお寺をお作りになられたのでしょうか?」

などと質問攻撃。爺さんは鋭い質問の数々に何だか嬉しそう。1つ1つに丁寧に答えてくれている。

寒空の下いつまで続く2人の問答。宗教とかスピリチュアル分野への関心の高いゴッチャンと善光寺を愛して止まない爺さんの会話は全く終わる気配がなく、テルに困ったねビームを視線で送ると、俺に任せろという表情。

「この三門をバックに僕ら3人で写真を撮ってくれませんか?」

2人の会話を収束させるべく話が途切れた一瞬の隙間にテルが切り込んで行くと、思わぬ爺さんのしっぺ返し。

『今説明してるの!写真は今じゃなくてもいいでしょ!!』

テルごめん、どうやらこれで、爺さんの中に「ごっちゃん=○、テル=×」というキャラ設定が確立したようだ(笑)。

”仏教の六道を表わす六地蔵”、”ぬれ仏と呼ばれる延命地蔵尊”の説明が終わり、三門手前を左に反れると爺さんの足が止まる。
6時13分にお朝事の導師を勤める住職さんがこの先の大勤進を出発し本堂へ向かうのを他の観光客とこの参道に1列に並んで見送るらしく、「あと5分ここで待ちましょう」と爺さんが告げる。しばらくすると、この無言で居心地の悪い空気感に堪え兼ねたサービス精神旺盛のテルが口を開く。

「先日伊勢神宮に行きましたが、あちらはココよりずっと賑わっている感じでした。善光寺って格の割りには地味なイメージがありますよね。」

善光寺に魅了されているこの爺さんにその発言はどうかなと思いつつ、いつもながらに本音発言で切り込むテルの発言への反応に聞き耳を立てていると、

『善光寺はそこら辺の観光寺のように宣伝はしておりませんが、年間7百万人の観光客が訪れる由緒正しいお寺です!』

と爺さんは顔を少し引きつらせて反論。そしてまたしばし沈黙。
寒さが身にしみるなあと思っていると、この沈黙に堪え切れなくなったテルが風邪の僕を気遣ってくれる発言。

「これから行われるお朝事って途中で抜ける訳にはいかないんですか?」

だが、この発言はタイミングが最悪だったようで、爺さんの怒りは臨界点を超えてしまい、間髪を入れずに僕ら3人にありがたきお説教。

『こういう時くらい最後までしっかりお経を聴きなさい!!!』

僕が咳をするに気付いた爺さんも声のトーンを落とし、

『いつも職場で時間に追い立てられているのでしょうが、せっかく善光寺まで来たのだからこんな時くらいゆっくり仏の世界に身を置くのもいいと思いますよ。』

と笑顔で助言をくれる。善光寺観光で最も印象に残るひとこまであった(笑)。

そうこうするうちに定刻になり、今日のご朝事の導師を勤める天台宗の住職さんがお出ましになる。爺さんに言われるままに参道にひざまずくと、住職さんが通りがかりに手に持った数珠で頭を撫でてくれる。これを「お数珠頂戴」と言い功徳が授けられたらしいが、冷えた頭を直撃する水晶は思いのほか痛かった。

住職さんの後に続いて本堂へ。まさに今出たばかりの朝日を真横から浴びつつ本堂に上がり畳に座るとお朝事(お経)が始まった。

早朝の張りつめた空気に響く鐘やリズムを刻む木魚、天国と地獄を彷徨うかのような抑揚のある主旋律とその裏でムニャムニャと響くお経の荘厳なハーモニーは独特な雰囲気を醸し出している。まるで交響曲を聴いているかのような新しい体験に時間を忘れるお朝事であった。
その後の「暗闇の中、極楽の錠前に触れるお戒壇めぐり」「護摩堂経堂での輪廻塔回し」「厄除不動尊での本厄厄払い」も心に残ったが詳細は省略、爺さん・ゴッチャン・テルのお陰で、より理解が深まる善光寺観光であった。

善光寺本堂 朝食 (2)常住院出発

 

(3)長野〜直江津区間

 部屋に戻ると、机には沢山の皿が並べられていた。お朝事の爽やかな余韻に浸りつつ朝食を済ませ8時35分に宿坊を出発。新潟との県境へと続く県道37号はクネクネとした長い上り坂で、テルを先頭に息を切らせながらのんびり上る。年に数回こうして坂と格闘するのが生活の一部となり、ストレス解消に役立っていると感じつつ坂中峠を制覇。標高800mの坂中トンネルの先にある横手直売所「四季菜」のアップルパイとリンゴ味ソフトクリームで体力を回復させ、11時半頃野尻湖に到着。

善光寺と自転車 善光寺と自転車その2 いなか

野尻湖は(20年前にこの3人で湖畔バス停で夜を明かした)箱根の芦ノ湖と似た雰囲気。だが、店員のいないボート乗り場や落書きの目立つホテル、閉ざされた土産物屋が目に留まり、都心周辺ではそれほど気にならない近年の景気低迷や少子高齢化の影響がこういった地方に色濃く影を落としているのを感じつつ湖畔を後にする。
野尻湖1 野尻湖2 長野新潟県境

信越大橋を渡り新潟県に入り、セブンイレブン妙高高原バイパス店で昼食。その後は長い下り坂(国道18号)をオートバイを運転するかのように疾走し、2時半頃越後高田城に到着。
(徳川家康の策謀により)家康6男松平忠輝と伊達政宗の娘である五郎八姫(いろはひめ)が居城したのがこの越後高田城だそうで、今春の仙台観光を思い出す。自転車に乗るようになってからの4年半で訪れた多くの史跡ポイントを思い返すうちに、(歴史好きのテルの策略で史跡ばかりを周っているのではなく)自転車で走り易い高低差の少ないルートに徒歩や馬での移動が一般的だった時代の史跡ポイントが重なっているのではないかという思いつきが確信に変わる。自ら汗を流しその土地を肌で感じられる自転車は史跡巡りに最も適した乗り物なのかもしれない。
日本海を目指せ まっち日本海到着 テル日本海到着

越後高田城を後にして北陸本線の陸橋を超えるとほんのりと海の薫り。葛西臨海公園を出発してからの2年半を思い返しながらペダルをこぎ、15時30分日本海に到着。2度目の日本列島横断達成しガッツポーズ!テルは小説「自転車少年記」の日本横断時のシーンを真似て太平洋で汲んだつもりの水を日本海に流し、ゴッチャンは人生を悟ったかのように荒波の日本海を眺めていた。

近くの銭湯「漢方の湯ホテル元気人」で汗を流し、直江津駅より18時4分発特急はくたか21号で帰宅。テル、ゴッチャンのお陰で今回も楽しい旅となった。
ゴッチャン日本海到着 直江津駅 三光ホテル出発

【走行データ】
(2日目)走行距離:73.4.km、走行時間:4時間16分、平均時速:17.3km
(信越ルート全行程)走行距離:335km、走行時間:15時間6分

【信越道サイクリング編 完】


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