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9. 伊豆半島サイクリング編  

初のお泊まりサイクリング、その行き先は、、、



1. 旅行まで
 40才の誕生日が近づくにつれ、「このまま人生の折り返し地点を回ってしまっていいのだろうか?」というあせりに似た心のモヤモヤが日増しに大きくなってきた。「このモヤモヤを払拭するには今しかできぬことをやるしかない」と自転車で日本横断という目標を立て(復路輪行だが)今春完走。しばらく平穏な日々を送れたが、30代最後の夏が過ぎると、消し去ったはずのモヤモヤがまたムクムクと頭をもたげてきた。

この不健康に溜め込んだモヤモヤをうまく吐き出す方法を探る僕の心中を知ってか知らずか親友テルがの小説『夜のピクニック(著者:恩田陸)』をプレゼントしてくれた。もうすぐ四半世紀の付き合いになる僕の性格を熟知した彼が薦める本だからきっと今の自分に共感できることが記されているだろうと期待してページをめくる。

海へ
この小説には高校の伝統行事「歩行祭」を舞台に青春の1ページが描かれている。
本の始めから終わりまで全校生徒が一昼夜かけて80キロをひたすら歩くシーンが続き、大きな事件は何も起こらない。 しかし、ただ歩く中での何気ない会話や、それにより内面に湧き上がり伝染する感情、卒業を前に出来上がる仲間との連帯感やそんな仲間と目標を達成する高揚感、好きな異性への強すぎる意識や小さな反応への一喜一憂など、高校時代特有の感受性が見事に描かれ、悩み苦しみ紆余曲折しながらも充実した日々を送っていたこの時代の意味や価値を考えさせられた。

そして、「歩行祭」と似たテルとの共通体験、高校を休んで夜通し自転車を漕ぎ続けた「ママチャリ伊豆旅行」を思い出し「21年ぶりに自転車で同じコースを旅したらどうだろう?」と考えるようになった。

伊豆を再び自転車で走る話はこれまで全く出なかった訳ではないが、「300キロを超える起伏に富んだ厳しい行程」や「旅行に必要な3日間の捻出」がネックとなり実現できずにいた。しかし、今春テルがシティーサイクルをロードレーサーに乗り替えたため、厳しい行程はロードレーサーのポテンシャル(ママチャリとロードレーサーの性能差)を持ってすれば何とかなりそうだ。時間の捻出の方もお互いの子供が小学校に上がり手が離れつつあることを考えれば何とかなるのではないかとテルに声を掛けてみる。すると、彼も「夜のピクニック」から「ママチャリ伊豆旅行」を連想していたそうで話が白熱。「3年前の自転車愛好会設立」「今年に入ってからのテルとの頻度の交友」「夜のピクニックとの出会い」など最近のあらゆる出来事が、僕らを30代のうちに再び自転車で伊豆に向かわせる神の導きであると意見が一致、この旅行に行けばきっと「もう40才になってもいいや」という納得感を得られるだろうと具体的な計画に着手し2010年10月22日旅行初日の朝を迎えた。



2. 厚木〜上多賀区間 〔21年の年月 その1〕
 21年前は相模川にかかる「もぐり橋」に13時半に集合し伊豆を目指した。今回も同場所、同時刻に集合といきたい所だが「もぐり橋」は「あゆみ橋」という立派な橋に架け替えられたので、この「あゆみ橋」を集合場所に選ぶ。また、午前中にどれだけ距離を延ばせるかが勝負の自転車旅行に13時半集合は有り得ないので、朝6時集合に変更。それにしても21年前は何を考えてこんな時間から出掛けたのだろう?

前日までの仕事と家庭の激々な調整による疲れもあり、家からの自走をあきらめ厚木駅まで輪行、5分遅れであゆみ橋に到着。高校2年6組文化祭Tシャツに着替え、差し入れを持ってきてくれたゴッチャンに21年前と同じ構図で写真を撮ってもらい、「さあ出発!」というところでテルが気まずそうに口を開く。

「実は、、、明後日嫁さんが仕事になったので最終日は昼までに家に帰らなきゃならなくなったんだよ。」

もぐり橋前
あゆみ橋前
あゆみ橋前

自分も事情は似たようなもので、2泊3日の日程を空ける難しさを痛感していたので、『30代後半にもなると高校生のように自由に時間空かないわな。』と返し、先のことは今晩考えようと伊豆に向けて出発!

境川、湯河原吉浜海岸バス停で21年前と同じ構図で写真を撮り吉浜海岸を散策、熱海のお宮の松周辺を観光の後、今回の旅行最大の難所「山伏峠」の上り口である上多賀のファミリーマートで休憩。

吉浜海岸 昔
吉浜海岸 今
お宮の松

【走行データ】
上多賀到着時刻:11時12分、 走行距離:66.3km、平均スピード:20.4km




3. 上多賀〜修善寺区間〔ペース配分〕
 21年前は伊東まで海岸沿いを走り、そこから半島の根元に戻るように修善寺へ向かった。しかしこのルートは明らかな遠回りで有り得ないので今回は上多賀から山伏峠を超えるルートを選ぶ。21年前は何を考えてこんなルートを選んだんだろう?

山伏峠は今回の旅行最大の難所。普段何のトレーニングも積んでいない自分の脚(特に膝)は長時間の酷使に耐えられないので急な斜面では無理に自転車を漕がずに歩いて体力を温存。 高校時代は「後のことを考えて、、、」とか「余力を残す」というのが何だか情けなく許せなかったが、今はそんな風には思わない。先を見越して早目に効果的な手を打ち、小さな能力で大きく楽しむのが39歳の今のやり方。

『それにしても、この坂どこまで続くんだろう?』

平日(金曜日)の昼間にこの峠を超える人や車はほとんどおらず、この辺り一帯は僕らの貸切状態。スピーカーから流す21年前の歌からパワーをもらいつつ伊豆スカイラインのガードをくぐるとようやく長い上り坂は終わる。

山伏峠
もうすぐ修善寺
田園風景

膝を冷やさぬようユニクロのヒートテックタイツを履いて坂を下るとのどかな田園風景が広がった。田舎道の脇に停めたリヤカーの上で弁当を食べるまるで絵に描いたような老夫婦に『老後はこういう所でのんびり暮らせたらいいなぁ』なんて老後の理想を思い描きながら走るうちに修善寺に到着。

【走行データ】
修善寺到着時刻:13時55分、 走行距離:86.3km、平均スピード:18.0km



4. 修善寺〜湯ヶ島温泉区間 〔21年の年月 その2〕
 修善寺では21年前の写真を片手に「修善寺と書かれたヤグラ」を探す。このヤグラにはちょっとした思い入れがあるのだ。

21年前にこのヤグラの前で写真を撮ったのは深夜1時、その後勘を頼りに天城峠を目指し、そろそろ湯ヶ島温泉だろうと見回した時、再びこのヤグラが目に飛び込んできた。

『ど、どうしてここが修善寺なんだー!!!』

映画「猿の惑星」の主人公が自由の女神を見つけた時のようなこの悪夢は、「修善寺の怪奇」として僕らの記憶に刻み込まれた。今回の旅では21年越しのこの謎を解明しようと、まずはこのヤグラ探しをはじめた。

修善寺駅前で写真片手に聞き込み調査開始。路線バスの運転手の証言「確か温泉街の入り口にこのヤグラがあったんじゃないかなぁ。」を頼りに温泉街へ向かう。なかなか温泉街に辿り着かず、道端で地図を見ながら確認していると、さっきの運転手がわざわざバスのスピードを落としながら僕らの自転車の脇を通り、ジェスチャーで「もっと先!」と教えてくれる。都会では考えられない親切な対応に田舎の温かさを感じつつつ先に進むと見おぼえのあるヤグラを発見。

「あったよ!!!でもこんな墓所にあったんだっけ?」
『確かに、、、もっと開けた場所じゃなかったっけ、、、』

歓迎塔 旧
歓迎塔 新

近くのガソリンスタンドの老夫婦の話によると、かつてはこのヤグラは2本セットで別の場所にあり、台風で1本が倒壊、その後有料道路建設のため残りの1本のみこの場所に移されて今に至るらしい。

『なるほど、このヤグラにも21年分の歴史があるんだね。』

ヤグラの歴史に(人生の主要な分岐点のほとんどを越えてきた(流され続けてきた))自分の歴史を重ね合わせていると、やぐら横にある観光マップを眺めていたテルがつぶやいた。

「まっち、分かった!21年前はこの外周路を走ったんだよ!!!」

その観光マップには、修善寺温泉入口を基点に温泉街の外周をぐるっと1周する道が描かれていた。



5. 湯ヶ島温泉〔田舎の現状 その1〕
 今でこそ伊豆の至る所に24時間営業のコンビニがあるが、21年前のこの辺り(伊豆半島内陸部)にはほとんど無く、夕食にありつけずに極度の空腹状態でこの道(国道414号線)を南下した。湯ヶ島温泉手前で空腹と早朝の凍える寒さに力尽き、風をしのげる「空どぶ」の中で仮眠したのも今となってはいい思い出だ。

今回の旅でぜひあの時の「空どぶ」をこの目で確かめたかったが残念ながら見つけられなかった。しかしながら仮眠後に夕食兼朝食を食べたセブンイレブンは見つけられ、(21年前命拾いした感謝の気持ちもあり)昼飯の弁当を買う。

セブンイレブン 昔
セブンイレブン 新

遅めの昼食の後、気分新たに国道414号線(下田街道)を走り出す。予約した河津にある素泊まり宿「ゲストハウス桜峰荘」に暗くなる前に到着するために、この辺りはサラリと通り過ぎるつもりでいたが、文学中年のテルが湯ヶ島温泉入口の交差点で停車。川端康成の「伊豆の踊り子」や井上靖の「しろばんば」発祥の地として有名なこの温泉街をぜひ観光したいそうで温泉街への道を折れる。

川端康成が定宿としていた「湯本館」、木陰からおぬい婆さんが飛び出してきそうなしろばんばの舞台となった「公衆浴場」をのんびり散策し、狩野川のほとりに腰を下ろす。

山伏峠
しろばんばミュージアム
田舎の橋


『それにしても人少なくない?』

掃除の行き届いた田舎道には民宿やホテルが軒を連ねているが、住民や観光客が全くいない。子供の頃見たドラえもんに、ひみつ道具「独裁スイッチ」でのび太が町中の人を消してしまうシーンがあったがまさにそんな感じ(笑)。

『こんな寂しい所にひと月もいたら退屈すぎて頭がおかしくなっちゃうかも?』

数時間前に修善寺で思い描いた「田舎でののんびり老後プラン」を早速否定。ゆっくりとした時間を欲する一方で変化や刺激を求めている自分に苦笑、でもこれが若者でも年寄りでもない39才の今の本音なんだろう。

【走行データ】
湯ヶ島温泉到着時刻:15時30分、 走行距離:99km、平均スピード:17.9km



6. 湯ヶ島温泉〜河津(焼肉屋とみ)区間〔もういい大人だから〕
 「チョロチョロチョロチョロ」と路肩のわさび田を流れる清水の心地良い響きに耳を傾けながら天城峠の坂を上る。天城越え(石川さゆり)で歌われる「浄連の滝」、しろばんばの母屋である「井上靖の生家」観光に時間がかかり、旧道(天城隧道)入口の分岐に着いた時にはすっかり日が暮れていた。
浄蓮の滝入口
浄蓮の滝
旧道入口

『旧道どうする?』

とテルに尋ねると、(出発前に『今回こそは(21年前は気付かずに素通りしてしまった)旧道にある天城隧道(重要文化財)をぜひ走りたい』と伝えてあったので)

「どうせ天城隋道行きたいんでしょ。俺は自転車押して歩くかもしれないけど行くなら早く行こうぜ!」

と旧道を選んでくれる。さすが長い付き合いだけのことはあり、僕のこと良く分かってらっしゃる。
しかし、旧道を200mも走らないうちに未舗装路が始まる。かつての僕達なら迷わずこのまま進んだだろうが、この暗闇での数々のリスクや今後のスケジュールへの悪影響を考えると、ここは僕が止めようと言い出すしかなさそうだ。

『やっぱこの道は21年後の次の機会に取っておこうよ!』

大人になった僕の対応にテルは時の流れをしみじみと感じているようだった。

天城トンネル
ループ橋走行
ループ橋バス停

旧道をあきらめ新道に戻り、天城トンネル、ループ橋を超え河津町に出ると19時を回っていた。桜峰荘に「踊り子温泉会館に寄りたいのですが、21時頃のチェックインでも大丈夫ですか?」と電話を入れると、「踊り子温泉会館なら半額券があるので会館駐車場まで持って行きますよ。」と素泊まり2500円の安宿らしからぬ優しい対応。桜峰荘のホームページ(桜峰荘開業に至るまでの記録や釣りやサイクリングを楽しむ様子)に共感し、「ぜひこの宿に泊まりたい!」と予約を入れた僕らの判断に間違いは無かったようだ。

温泉会館駐車場で桜峰荘のオーナーたけしさんから半額チケットを受け取り、腹一杯肉を喰いたいという僕らの希望に合った店「焼肉とみ」を紹介してもらう。夕食後に温泉に入ろうと河津駅近くの「焼肉とみ」に移動する。

【走行データ】
河津(焼肉とみ)到着時刻:19時40分、 走行距離:123.8km、平均スピード:16.8km



7. 河津 焼肉屋とみ〜河津温泉会館区間〔一期一会〕
 庶民価格のお店「焼肉屋とみ」の座敷に座ると、隣のテーブルの地元のお兄さん達3人が話し掛けてきた。「君達どこから来たの?」

『厚木です』と応えると、「すげ〜」と歓声。友好的に質問攻撃を仕掛けてくるお兄さん達に、高校時代にママチャリで旅したルートを回っている今回のいきさつを話すと、丁度僕らと同い年の39才のお兄さんが、「40を目の前にして色々やりたくなる気持ち良く分かるよ」と共感してくれ打ち解ける。

焼肉丼大盛と味噌汁(計800円)を食べながら会話を楽しんでいると、彼らのうちの1人が若い店員さん(よっちゃん)に声を掛ける。

「よっちゃん、隣のテーブルにカルビ2皿ねっ!」

遠慮するも、「明日も一杯走るんだからいっぱい栄養つけなきゃ。」とどうしても奢らせてくれと言うお兄さん。せっかくなので有難く頂くことにした。

おそらく今後このお兄さん達と再会する可能性はほとんど無いだろう。しかしそんな僕らをまるで家族や友人をもてなすかのように温かく接してくれる彼らの優しさは、効率を追求するばかりの都会でのドライな暮らしで失いつつあるものを呼び起こしてくれるようだった。

焼肉とみ
かるび2皿
踊り子温泉会館


有り難くカルビを食べはじめると、テルが僕だけに聞こえるよう小声で呟いた。

「俺もう腹一杯で食えないからこの肉後全部食べてよ。」
『えっ、僕も大盛り食べて腹一杯なんだけど、、、』

しかしながらお兄さん達の優しさの詰まったこの肉を残す訳にはいかない。全身から大汗を噴き出しつつ口に運ぶが、後半は吐き気に襲われてしまう。残りの1枚をどうしても口に入れられずに苦しんでいるとテルが最後の1枚を食べてくれ何とか完食、いやぁ、マジで辛かった(笑)。

時計を見るともう20時30分。温泉会館の閉館時間まで30分となり、お兄さん達にお礼を言い名残り惜しい店を後にする。

疾風のように温泉会館まで自転車を飛ばし、電光石火の勢いで「ホタルの光」が流れる温泉に浸かる。ゆっくり温泉に入るのは21年後(?)の次の機会に取っておこう。



8. 河津 焼肉屋とみ〜河津 桜峰荘区間〔生の話〕

 「いやー、今日はホント盛りだくさんだったねぇ。」

温泉会館を後にし、暗い夜道を桜峰荘に向かう。場所が分からず道端で地図を見ていると、先程のオーナーたけしさんが原付で迎えに来てくれた。「桜峰荘すぐそこですよ。」

ひと通り宿の説明を聞き、共用スペースで宿帳に記入しながら、「今回の旅行が21年ぶりの自転車旅行だということ」や、「たけしさんのブログを読み、伊豆旅行の宿はここにするしかないと決めてたこと」を話すと、たけしさんも話に乗ってくれ、コンビニで買ってきた酒とつまみを並べてプチ宴会のはじまり。 「かつて自分も伊豆でペンションを開きたいと考えていたこと」を話すと、『伊豆の別荘は供給過多のため、提示価格の半値で購入できそう』、『ゲストハウスのような宿に泊まる半数は外国人』など生の話が聞けた。 また、たけしさんがココに宿を構えるきっかけとなった河津川の魅力についての興味深い話も聞け、見聞の広がる充実した時間を過ごせた。

話がひと段落したのは23時半、まだ話し足りない気がしたが明日を考え寝ることにする。こうやって2人で布団並べるのも21年前の伊豆旅行(赤沢温泉)以来、

『お前俺襲ったりしないよな(笑)』

等冗談を交わすうちにすぐ眠くなり就寝。長く楽しい1日が終わった。

桜峰荘1
桜峰荘2
桜峰荘3

【走行データ】
桜峰荘 到着時刻:21時30分、 走行距離:130.3km、平均スピード:16.9km




9. 河津 桜峰荘〜天城隧道〜下田区間〔伊豆満喫〕
 朝5時半、隣のテルがゴソゴソとうるさくて目が覚める。「俺どんなに疲れてても会社に行くこの時間になると目が覚めちゃうんだよ。」さすが模範銀行員は違うな。
10月下旬の伊豆の朝は思いのほか寒く布団の中で1時間程雑談してからようやく出発の準備に取り掛かる。

『ところで今日はどうしようか?』

ママチャリで走ったルートをそのままトレースすれば今日中に厚木まで帰れそうだが、できることなら21年前+αの旅にしようと伊今回の豆旅行に只ならぬ思い入れのある2人の意見が一致。「昨日走れなかった天城隋道を走るルート」と「伊豆半島の本当の先端である石廊崎を目指すルート」のどちらかを走ろうと地図とにらめっこ。丁度そこにオーナーたけしさんが朝のアマゴ釣りから帰ってきたので両ルートの行程を尋ねてみる。

「もし天城隋道に行くなら旧道入口まで僕の車で送りますよ。」

願ってもないお話に天城隋道ルートに決め、たけしさんの軽自動車に自転車2台を詰み込みいざ出発!1人1000円の良心価格で昨晩自転車で下った約15キロの峠道を車で上ってもらい、昨晩と同じ場所で記念撮影をして早朝の全く人のいない林道を走り出す。

旧道入口
旧道
天城隧道入口


路面は未舗装だが引き締まっていて考えていたよりも走り易い。まるで命の洗濯をするかのように500m程坂を上ると分かれ道にぶつかった。標識に従い右の道を選ぶが、昨晩暗い中を走っていたらきっと面倒なことになっていただろう。

さらに1km程走るとひっそりとした森の中に天城隋道が口を開けていた。トンネル壁面のレトロな灯りが幻想的な雰囲気を醸し出している。昨日ここに来ることを諦めていた分だけ喜びが倍増。

『このトンネルを(踊り子を追いかけるロリコン学生とかおぬい婆さんに連れられた耕作とか)歴史上の多くの人々が夢と希望を抱いて通ったんだね』

ここぞとばかりに「石川さゆりの天城超え」を流してトンネルに入ると石川さゆりの歌声が日本最長の石造りトンネル内に反響して響き渡る。 昔は演歌を毛嫌いしていたがやはり今回の旅にはこの曲が最も合っていると実感。曲の終わりとトンネルの終わりを合わせるつもりで走るが曲の方が余ってしまった。

寒天箸
かるび2皿
ループ橋


トンネルを超えるとあとは新道まで下り坂。酸素200%の新鮮な空気を肺の奥まで吸い込み、『いやー、今日ここ来て良かったよ。』を2人して連発しながら寒天橋を超え新道に合流、昨晩下ったループ橋を再び下る。

下田駅 昔
下田駅 今
下田駅

21年前はそのまま河津まで坂を下り海岸側から下田を目指したが、今回は伊豆の踊り子が通った下田街道で山側から下田を目指す。車で来ると何となくヨソヨソしく感じる伊豆の深い山並みが、ひたすら汗を流しながら自力で走って来るととても身近に感じる。昼前に到着した下田駅舎は21年前とは全く変わってしまっていた。

【走行データ】
下田駅 到着時刻:11時52分、 走行距離:32.5(計162.8)km、平均スピード:16.7km




10. 下田〜赤沢温泉区間〔昔の自分と今の自分〕
  南国リゾートの雰囲気漂う下田を後にして海岸沿いの国道135号線を北上、伊豆最大の観光地「白浜海岸」まで走り休憩。

『21年前ココで写真撮った時は、まさかまた一緒に自転車でココに来るなんて想像もできなかったな。』

「しかもこんな年食ってから。」

『正直文系に進むテルとは高3になると同時に縁が切れると思っていたよ(笑)』

「俺にはさらに21年後の60歳の僕らがここで海を見ている絵が目に浮かぶよ。」

『いや、21年前に今日のことが想像できなかったように、21年後にはきっと今は想像もできない事態になっているんじゃないかな。』

「例えばまっちの娘とうちの息子が「おやじ達が走ったコースを走ろう」って一緒に自転車でここまで走って来てるとか、、、(笑)」

『そうそう、そんな感じ(爆笑)』

下田の海岸
白浜1
白浜2

白浜を越えると、上っては下り下っては上るシーサイドのワインディングロードが続く。 右手に広がる真っ青な海や路肩の狭いトンネルに21年前の記憶や感覚を呼び起こす。『そうだよ、この海岸線の帰り道が辛かったんだよ。』

坂の辛さを紛らわそうと、かつて何を考え何を悩みながらこの坂を上ったかを1つづつ思い返す。友達のこと、進路の事、家庭のこと、、、。
時々襲いかかる強い向かい風もあの日と同じ。当時はただがむしゃらに風に立ち向かったが、今回はドロップハンドルの下を掴んだ前傾姿勢で風をやりすごしたり、上り坂と向かい風のタイミングをずらしたりしながら走る。
やがて、21年前に泊まった赤沢温泉が見えてきた。

【走行データ】
赤沢温泉 到着時刻:15時10分、 走行距離:67.0(計197.3)km、平均スピード:15.7km




11. 赤沢温泉〜上多賀区間〔田舎の現状 その2〕
 国道135号線を反れ赤沢温泉民宿街前の広場に自転車を停めると、僕らの到着に合わせるかのようにおみこしを引く100人程の子供達がやって来た。どうやら今日はこの温泉街の秋祭りのようだ。

「ここで休憩!お菓子貰ってね。」

引率する親達の合図で隊列を成していた子供達が散らばり僕らを取り囲むように遊びはじめる。こんな海や山に囲まれた温泉町で少年時代を送れるこの子達は何て幸せなんだろう。
おみこし到着により開店した出店の旨そうな匂いに誘われ、『これ僕達にも売ってもらえますか?』と尋ねてみる。店員も含めこの広場にいるほぼ全員が皆顔見知りのようで、突然の部外者の登場に一瞬嫌な顔をされるが「どれでも100円でいいよ」との返事。数あるメニューからシシ汁を選ぶと、愛想の良いおばさんが「この汁に入ってるのは味噌以外全てこの土地のものなのよ。あの山で捕れた猪の肉美味しいわよ」と説明してくれる。

防波堤を背もたれにして具沢山のシシ汁を『確かにこれ旨い!』と食べつつ、21年前に撮影した数枚の写真と少し寂れた目の前の様子を比べていると、昨日の焼肉屋で聞いたようなテルの言葉。

「この汁捨てにくい雰囲気だからまっち飲まない?」

松登苑 昔
松登苑 今
しし汁

ココに来たからには21年前に泊まった松登苑の前で写真を撮ろうと、暇そうなおばさんを見つけシャッターを頼む。立ち位置やポーズにこだわる僕らに不思議そうな視線を注ぐおばさんに、『21年ぶりの自転車旅行なんですよ。できればこの写真と同じように撮って頂けますか?』と昔の写真を見せると「あっ、そういうことね」と納得した様子。写真を横から覗き込む爺さんの「最近はすっかり景気が悪くなってこの電飾の看板は止めちゃたんだよな。」と言う独り言のようなつぶやきが印象的だった。(今回の旅行に持ち歩いた21年前の写真は、道中のコミュニケーションツールとして予想外に役立った。昔の写真は見る者に「21年ぶりの自転車旅行」という僕らの旅行背景を一瞬で理解・共感させる効果があるようで、土地の人との心の触れ合いに一役買ってくれた。)

旧赤沢温泉看板
新 赤沢温泉看板
日帰り温泉看板

温泉街を後にして数百m程走ると、「日帰り温泉」と書かれた看板を掲げた立派な温泉施設が目に留まり、先程の爺さんの「すっかり景気が悪くなった」とのつぶやきを思い返し妙に納得。直面する不景気や旅行様式の変化に悩み苦しみつつも、人の繋がりや伝統を守り楽しもうとする小さな田舎町の現実を垣間見れた気がする赤沢温泉であった。

海岸線の峠道をひたすら走り伊東市に入るともうすっかり日が暮れていた。赤沢温泉の民宿街とは対照的な煌びやかな(照明が眩しく周りの風景から浮いて見える)サンハトヤの前を通り、18時過ぎに往路で寄った上多賀のファミリーマートに到着。

【走行データ】
上多賀到着時刻:18時04分、 走行距離:99.8(計230.1)km、平均スピード:15.7km




12. 上多賀〜厚木区間〔自転車という乗り物〕

『暗くなっちゃったけど何処かで泊まる?それとも厚木まで一気に走っちゃう?』
「泊まるのも楽しそうだけど、一気に走るのもそれはそれで楽しそうだなぁ(笑)」

膝に軽い痛みはあるが景色を見ながらのんびりペースで走る分には(歩くのと同じで)疲れが溜まらずどこまでも走れそうな感じ。赤沢温泉では疲れ果てた表情をしていたテルも「あのシシ汁で元気が出たよ」ととても元気そう。普通のサイクリングなら迷わずこの先の湯河原温泉辺りでもう1泊しただろうが、僕らにとって思い入れのある伊豆旅行だけにとことん走り、39歳の今を記憶に深く刻み込むのが良さそうに思えてくる。

『今度伊豆に来る時はもう一気に走る気力や体力が無くなってるかもしれないから走れるだけ走っとこうか?』

とテルに尋ねると、彼も同感のようで、「いよいよ夜のピクニック(=夜のサイクリング)のはじまりだね」とコメントが返ってきた。

電車や車で来た時よりも明らかに綺麗に見える熱海の100万ドルの夜景を横目に学生時代を過ごした厚木を目指す。熱海ビーチラインと真鶴有料道路は往路同様自転車通行不可のため山側の峠を走らねばならない。今日の日を記憶に強く焼き付けるかのように疲労の溜まった筋肉をさらに酷使してこの峠を越え、20時頃小田原市内、お堀端通り沿いのお好み焼き屋「鉄板ダイニング入船」で夕食。開店セールで半額のシーフード玉のお好み焼(340円)とたい焼(25円)を食べながら、自転車サークルの次は読書サークルを作ろうという話で1時間ほど盛り上がる。

店を後にすると、「じゃあ俺小田原駅から輪行で帰るから!」と冗談を言い自転車を漕ぎ出すテルが本当に小田原駅に行くんじゃないかと不安を感じつつ彼を追って走りだす。

真鶴駅
鉄板ダイニング入船
本厚木駅

交通量が減った国道1号線、暗闇に牛糞の匂いが立ち込める秦野市街、単調過ぎて様々な記憶が脳裏をよぎる小田厚厚木道路側道、見慣れた厚木市街を通り、日付が変わる頃ゴール地点である本厚木駅に到着。
高校生の時に3日かかった行程を2日で走り切るという(もうすぐ40歳になる僕らがまだまだやれることを証明するかのような)最高の形で21年前のルートをたどる旅は終わりを告げた。

【走行データ】
本厚木駅 到着時刻:0時16分、 走行距離:164.0(計294.8)km、平均スピード:16.0km




13. 厚木〜町田市の自宅 区間〔1人と2人〕

 「せっかくだから母校に寄ろうよ」というテルの誘いで母校に寄った後、大和駅近くのラーメン屋「半蔵」で夜食を食べ、固い握手を交わしてテルと別れる。

ココから自宅までは約20キロ、もう膝の痛みや余力を気にする必要はなく一息で走り切ってしまおうと境川サイクリングロードを快調に飛ばすが、しばらく走ると河川敷改修工事でまさかの通行止。疲れで判断力が鈍りうまい迂回路を見つけられぬうちに集中が途切れてしまう。そしてこれまで興奮や楽しさの影に隠れていた疲れがどっと押し寄せ、歩くようなスピードにペースダウン。

2人の時は全く気付かなかったが、1人で暗闇を走っていると楽しみや苦しみを共有しながら一緒に走ってくれる人がいるありがたさに気付く。共に走る仲間がいるということは、安心感や充実感を与えてくれるだけでなく、1人では到底不可能な困難を乗り越える力を与えてくれていたようだ。
今回の300キロを超える長い行程は、共に走る仲間がいたからこそ走り切れたとテルに感謝しつつ、最後の力を振り絞り夜明け前に無事自宅に到着。

校門前
大和駅
通行止


蛇足:今回も21年前同様1万円以下の低予算で伊豆を満喫することができた。これは、「僕とテルのこの旅行に懸ける只ならぬ強い思い」が言葉や行動の節々ににじみ出て、色々な出来事を呼び込んでいたためではないだろうか。
旅行にはある程度の予算は必要だが、充実感や楽しさの度合いは、かける費用よりもむしろ、旅行への意気込みやその旅に対する思い入れ、事前調査や流した汗の方が重要だと再確認できる旅であった。

【走行データ】
自宅到着時刻:4時12分、 走行距離:195(計325.3)km、平均スピード:15.8km

〔伊豆半島サイクリング編 完 〕

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