9. 伊豆半島サイクリング編
初のお泊まりサイクリング、その行き先は、、、 1. 旅行まで
この小説には高校の伝統行事「歩行祭」を舞台に青春の1ページが描かれている。
本の始めから終わりまで全校生徒が一昼夜かけて80キロをひたすら歩くシーンが続き、大きな事件は何も起こらない。 しかし、ただ歩く中での何気ない会話や、それにより内面に湧き上がり伝染する感情、卒業を前に出来上がる仲間との連帯感やそんな仲間と目標を達成する高揚感、好きな異性への強すぎる意識や小さな反応への一喜一憂など、高校時代特有の感受性が見事に描かれ、悩み苦しみ紆余曲折しながらも充実した日々を送っていたこの時代の意味や価値を考えさせられた。 そして、「歩行祭」と似たテルとの共通体験、高校を休んで夜通し自転車を漕ぎ続けた「ママチャリ伊豆旅行」を思い出し「21年ぶりに自転車で同じコースを旅したらどうだろう?」と考えるようになった。
「実は、、、明後日嫁さんが仕事になったので最終日は昼までに家に帰らなきゃならなくなったんだよ。」
自分も事情は似たようなもので、2泊3日の日程を空ける難しさを痛感していたので、『30代後半にもなると高校生のように自由に時間空かないわな。』と返し、先のことは今晩考えようと伊豆に向けて出発! 境川、湯河原吉浜海岸バス停で21年前と同じ構図で写真を撮り吉浜海岸を散策、熱海のお宮の松周辺を観光の後、今回の旅行最大の難所「山伏峠」の上り口である上多賀のファミリーマートで休憩。
【走行データ】
『それにしても、この坂どこまで続くんだろう?』 平日(金曜日)の昼間にこの峠を超える人や車はほとんどおらず、この辺り一帯は僕らの貸切状態。スピーカーから流す21年前の歌からパワーをもらいつつ伊豆スカイラインのガードをくぐるとようやく長い上り坂は終わる。
膝を冷やさぬようユニクロのヒートテックタイツを履いて坂を下るとのどかな田園風景が広がった。田舎道の脇に停めたリヤカーの上で弁当を食べるまるで絵に描いたような老夫婦に『老後はこういう所でのんびり暮らせたらいいなぁ』なんて老後の理想を思い描きながら走るうちに修善寺に到着。 【走行データ】 4. 修善寺〜湯ヶ島温泉区間 〔21年の年月 その2〕 修善寺では21年前の写真を片手に「修善寺と書かれたヤグラ」を探す。このヤグラにはちょっとした思い入れがあるのだ。 21年前にこのヤグラの前で写真を撮ったのは深夜1時、その後勘を頼りに天城峠を目指し、そろそろ湯ヶ島温泉だろうと見回した時、再びこのヤグラが目に飛び込んできた。 『ど、どうしてここが修善寺なんだー!!!』 映画「猿の惑星」の主人公が自由の女神を見つけた時のようなこの悪夢は、「修善寺の怪奇」として僕らの記憶に刻み込まれた。今回の旅では21年越しのこの謎を解明しようと、まずはこのヤグラ探しをはじめた。 修善寺駅前で写真片手に聞き込み調査開始。路線バスの運転手の証言「確か温泉街の入り口にこのヤグラがあったんじゃないかなぁ。」を頼りに温泉街へ向かう。なかなか温泉街に辿り着かず、道端で地図を見ながら確認していると、さっきの運転手がわざわざバスのスピードを落としながら僕らの自転車の脇を通り、ジェスチャーで「もっと先!」と教えてくれる。都会では考えられない親切な対応に田舎の温かさを感じつつつ先に進むと見おぼえのあるヤグラを発見。 「あったよ!!!でもこんな墓所にあったんだっけ?」
近くのガソリンスタンドの老夫婦の話によると、かつてはこのヤグラは2本セットで別の場所にあり、台風で1本が倒壊、その後有料道路建設のため残りの1本のみこの場所に移されて今に至るらしい。 『なるほど、このヤグラにも21年分の歴史があるんだね。』 ヤグラの歴史に(人生の主要な分岐点のほとんどを越えてきた(流され続けてきた))自分の歴史を重ね合わせていると、やぐら横にある観光マップを眺めていたテルがつぶやいた。 「まっち、分かった!21年前はこの外周路を走ったんだよ!!!」 その観光マップには、修善寺温泉入口を基点に温泉街の外周をぐるっと1周する道が描かれていた。 5. 湯ヶ島温泉〔田舎の現状 その1〕 今でこそ伊豆の至る所に24時間営業のコンビニがあるが、21年前のこの辺り(伊豆半島内陸部)にはほとんど無く、夕食にありつけずに極度の空腹状態でこの道(国道414号線)を南下した。湯ヶ島温泉手前で空腹と早朝の凍える寒さに力尽き、風をしのげる「空どぶ」の中で仮眠したのも今となってはいい思い出だ。 今回の旅でぜひあの時の「空どぶ」をこの目で確かめたかったが残念ながら見つけられなかった。しかしながら仮眠後に夕食兼朝食を食べたセブンイレブンは見つけられ、(21年前命拾いした感謝の気持ちもあり)昼飯の弁当を買う。
遅めの昼食の後、気分新たに国道414号線(下田街道)を走り出す。予約した河津にある素泊まり宿「ゲストハウス桜峰荘」に暗くなる前に到着するために、この辺りはサラリと通り過ぎるつもりでいたが、文学中年のテルが湯ヶ島温泉入口の交差点で停車。川端康成の「伊豆の踊り子」や井上靖の「しろばんば」発祥の地として有名なこの温泉街をぜひ観光したいそうで温泉街への道を折れる。 川端康成が定宿としていた「湯本館」、木陰からおぬい婆さんが飛び出してきそうなしろばんばの舞台となった「公衆浴場」をのんびり散策し、狩野川のほとりに腰を下ろす。
掃除の行き届いた田舎道には民宿やホテルが軒を連ねているが、住民や観光客が全くいない。子供の頃見たドラえもんに、ひみつ道具「独裁スイッチ」でのび太が町中の人を消してしまうシーンがあったがまさにそんな感じ(笑)。 『こんな寂しい所にひと月もいたら退屈すぎて頭がおかしくなっちゃうかも?』 数時間前に修善寺で思い描いた「田舎でののんびり老後プラン」を早速否定。ゆっくりとした時間を欲する一方で変化や刺激を求めている自分に苦笑、でもこれが若者でも年寄りでもない39才の今の本音なんだろう。 6. 湯ヶ島温泉〜河津(焼肉屋とみ)区間〔もういい大人だから〕 「チョロチョロチョロチョロ」と路肩のわさび田を流れる清水の心地良い響きに耳を傾けながら天城峠の坂を上る。天城越え(石川さゆり)で歌われる「浄連の滝」、しろばんばの母屋である「井上靖の生家」観光に時間がかかり、旧道(天城隧道)入口の分岐に着いた時にはすっかり日が暮れていた。
『旧道どうする?』 とテルに尋ねると、(出発前に『今回こそは(21年前は気付かずに素通りしてしまった)旧道にある天城隧道(重要文化財)をぜひ走りたい』と伝えてあったので) 「どうせ天城隋道行きたいんでしょ。俺は自転車押して歩くかもしれないけど行くなら早く行こうぜ!」 と旧道を選んでくれる。さすが長い付き合いだけのことはあり、僕のこと良く分かってらっしゃる。 『やっぱこの道は21年後の次の機会に取っておこうよ!』 大人になった僕の対応にテルは時の流れをしみじみと感じているようだった。
旧道をあきらめ新道に戻り、天城トンネル、ループ橋を超え河津町に出ると19時を回っていた。桜峰荘に「踊り子温泉会館に寄りたいのですが、21時頃のチェックインでも大丈夫ですか?」と電話を入れると、「踊り子温泉会館なら半額券があるので会館駐車場まで持って行きますよ。」と素泊まり2500円の安宿らしからぬ優しい対応。桜峰荘のホームページ(桜峰荘開業に至るまでの記録や釣りやサイクリングを楽しむ様子)に共感し、「ぜひこの宿に泊まりたい!」と予約を入れた僕らの判断に間違いは無かったようだ。 7. 河津 焼肉屋とみ〜河津温泉会館区間〔一期一会〕 庶民価格のお店「焼肉屋とみ」の座敷に座ると、隣のテーブルの地元のお兄さん達3人が話し掛けてきた。「君達どこから来たの?」 『厚木です』と応えると、「すげ〜」と歓声。友好的に質問攻撃を仕掛けてくるお兄さん達に、高校時代にママチャリで旅したルートを回っている今回のいきさつを話すと、丁度僕らと同い年の39才のお兄さんが、「40を目の前にして色々やりたくなる気持ち良く分かるよ」と共感してくれ打ち解ける。 「よっちゃん、隣のテーブルにカルビ2皿ねっ!」 遠慮するも、「明日も一杯走るんだからいっぱい栄養つけなきゃ。」とどうしても奢らせてくれと言うお兄さん。せっかくなので有難く頂くことにした。 おそらく今後このお兄さん達と再会する可能性はほとんど無いだろう。しかしそんな僕らをまるで家族や友人をもてなすかのように温かく接してくれる彼らの優しさは、効率を追求するばかりの都会でのドライな暮らしで失いつつあるものを呼び起こしてくれるようだった。
「俺もう腹一杯で食えないからこの肉後全部食べてよ。」 しかしながらお兄さん達の優しさの詰まったこの肉を残す訳にはいかない。全身から大汗を噴き出しつつ口に運ぶが、後半は吐き気に襲われてしまう。残りの1枚をどうしても口に入れられずに苦しんでいるとテルが最後の1枚を食べてくれ何とか完食、いやぁ、マジで辛かった(笑)。 疾風のように温泉会館まで自転車を飛ばし、電光石火の勢いで「ホタルの光」が流れる温泉に浸かる。ゆっくり温泉に入るのは21年後(?)の次の機会に取っておこう。 8. 河津 焼肉屋とみ〜河津 桜峰荘区間〔生の話〕 「いやー、今日はホント盛りだくさんだったねぇ。」 温泉会館を後にし、暗い夜道を桜峰荘に向かう。場所が分からず道端で地図を見ていると、先程のオーナーたけしさんが原付で迎えに来てくれた。「桜峰荘すぐそこですよ。」 『お前俺襲ったりしないよな(笑)』 等冗談を交わすうちにすぐ眠くなり就寝。長く楽しい1日が終わった。
【走行データ】 桜峰荘 到着時刻:21時30分、 走行距離:130.3km、平均スピード:16.9km
9. 河津 桜峰荘〜天城隧道〜下田区間〔伊豆満喫〕 朝5時半、隣のテルがゴソゴソとうるさくて目が覚める。「俺どんなに疲れてても会社に行くこの時間になると目が覚めちゃうんだよ。」さすが模範銀行員は違うな。 10月下旬の伊豆の朝は思いのほか寒く布団の中で1時間程雑談してからようやく出発の準備に取り掛かる。 『ところで今日はどうしようか?』 ママチャリで走ったルートをそのままトレースすれば今日中に厚木まで帰れそうだが、できることなら21年前+αの旅にしようと伊今回の豆旅行に只ならぬ思い入れのある2人の意見が一致。「昨日走れなかった天城隋道を走るルート」と「伊豆半島の本当の先端である石廊崎を目指すルート」のどちらかを走ろうと地図とにらめっこ。丁度そこにオーナーたけしさんが朝のアマゴ釣りから帰ってきたので両ルートの行程を尋ねてみる。 「もし天城隋道に行くなら旧道入口まで僕の車で送りますよ。」 願ってもないお話に天城隋道ルートに決め、たけしさんの軽自動車に自転車2台を詰み込みいざ出発!1人1000円の良心価格で昨晩自転車で下った約15キロの峠道を車で上ってもらい、昨晩と同じ場所で記念撮影をして早朝の全く人のいない林道を走り出す。
『このトンネルを(踊り子を追いかけるロリコン学生とかおぬい婆さんに連れられた耕作とか)歴史上の多くの人々が夢と希望を抱いて通ったんだね』 ここぞとばかりに「石川さゆりの天城超え」を流してトンネルに入ると石川さゆりの歌声が日本最長の石造りトンネル内に反響して響き渡る。 昔は演歌を毛嫌いしていたがやはり今回の旅にはこの曲が最も合っていると実感。曲の終わりとトンネルの終わりを合わせるつもりで走るが曲の方が余ってしまった。
21年前はそのまま河津まで坂を下り海岸側から下田を目指したが、今回は伊豆の踊り子が通った下田街道で山側から下田を目指す。車で来ると何となくヨソヨソしく感じる伊豆の深い山並みが、ひたすら汗を流しながら自力で走って来るととても身近に感じる。昼前に到着した下田駅舎は21年前とは全く変わってしまっていた。
10. 下田〜赤沢温泉区間〔昔の自分と今の自分〕 南国リゾートの雰囲気漂う下田を後にして海岸沿いの国道135号線を北上、伊豆最大の観光地「白浜海岸」まで走り休憩。 『21年前ココで写真撮った時は、まさかまた一緒に自転車でココに来るなんて想像もできなかったな。』 「しかもこんな年食ってから。」 『正直文系に進むテルとは高3になると同時に縁が切れると思っていたよ(笑)』 「俺にはさらに21年後の60歳の僕らがここで海を見ている絵が目に浮かぶよ。」 『いや、21年前に今日のことが想像できなかったように、21年後にはきっと今は想像もできない事態になっているんじゃないかな。』 「例えばまっちの娘とうちの息子が「おやじ達が走ったコースを走ろう」って一緒に自転車でここまで走って来てるとか、、、(笑)」 『そうそう、そんな感じ(爆笑)』
白浜を越えると、上っては下り下っては上るシーサイドのワインディングロードが続く。 右手に広がる真っ青な海や路肩の狭いトンネルに21年前の記憶や感覚を呼び起こす。『そうだよ、この海岸線の帰り道が辛かったんだよ。』 坂の辛さを紛らわそうと、かつて何を考え何を悩みながらこの坂を上ったかを1つづつ思い返す。友達のこと、進路の事、家庭のこと、、、。
11. 赤沢温泉〜上多賀区間〔田舎の現状 その2〕 国道135号線を反れ赤沢温泉民宿街前の広場に自転車を停めると、僕らの到着に合わせるかのようにおみこしを引く100人程の子供達がやって来た。どうやら今日はこの温泉街の秋祭りのようだ。 「ここで休憩!お菓子貰ってね。」 引率する親達の合図で隊列を成していた子供達が散らばり僕らを取り囲むように遊びはじめる。こんな海や山に囲まれた温泉町で少年時代を送れるこの子達は何て幸せなんだろう。 防波堤を背もたれにして具沢山のシシ汁を『確かにこれ旨い!』と食べつつ、21年前に撮影した数枚の写真と少し寂れた目の前の様子を比べていると、昨日の焼肉屋で聞いたようなテルの言葉。 「この汁捨てにくい雰囲気だからまっち飲まない?」
ココに来たからには21年前に泊まった松登苑の前で写真を撮ろうと、暇そうなおばさんを見つけシャッターを頼む。立ち位置やポーズにこだわる僕らに不思議そうな視線を注ぐおばさんに、『21年ぶりの自転車旅行なんですよ。できればこの写真と同じように撮って頂けますか?』と昔の写真を見せると「あっ、そういうことね」と納得した様子。写真を横から覗き込む爺さんの「最近はすっかり景気が悪くなってこの電飾の看板は止めちゃたんだよな。」と言う独り言のようなつぶやきが印象的だった。(今回の旅行に持ち歩いた21年前の写真は、道中のコミュニケーションツールとして予想外に役立った。昔の写真は見る者に「21年ぶりの自転車旅行」という僕らの旅行背景を一瞬で理解・共感させる効果があるようで、土地の人との心の触れ合いに一役買ってくれた。)
温泉街を後にして数百m程走ると、「日帰り温泉」と書かれた看板を掲げた立派な温泉施設が目に留まり、先程の爺さんの「すっかり景気が悪くなった」とのつぶやきを思い返し妙に納得。直面する不景気や旅行様式の変化に悩み苦しみつつも、人の繋がりや伝統を守り楽しもうとする小さな田舎町の現実を垣間見れた気がする赤沢温泉であった。
12. 上多賀〜厚木区間〔自転車という乗り物〕 『暗くなっちゃったけど何処かで泊まる?それとも厚木まで一気に走っちゃう?』 膝に軽い痛みはあるが景色を見ながらのんびりペースで走る分には(歩くのと同じで)疲れが溜まらずどこまでも走れそうな感じ。赤沢温泉では疲れ果てた表情をしていたテルも「あのシシ汁で元気が出たよ」ととても元気そう。普通のサイクリングなら迷わずこの先の湯河原温泉辺りでもう1泊しただろうが、僕らにとって思い入れのある伊豆旅行だけにとことん走り、39歳の今を記憶に深く刻み込むのが良さそうに思えてくる。 『今度伊豆に来る時はもう一気に走る気力や体力が無くなってるかもしれないから走れるだけ走っとこうか?』 とテルに尋ねると、彼も同感のようで、「いよいよ夜のピクニック(=夜のサイクリング)のはじまりだね」とコメントが返ってきた。 店を後にすると、「じゃあ俺小田原駅から輪行で帰るから!」と冗談を言い自転車を漕ぎ出すテルが本当に小田原駅に行くんじゃないかと不安を感じつつ彼を追って走りだす。
交通量が減った国道1号線、暗闇に牛糞の匂いが立ち込める秦野市街、単調過ぎて様々な記憶が脳裏をよぎる小田厚厚木道路側道、見慣れた厚木市街を通り、日付が変わる頃ゴール地点である本厚木駅に到着。 高校生の時に3日かかった行程を2日で走り切るという(もうすぐ40歳になる僕らがまだまだやれることを証明するかのような)最高の形で21年前のルートをたどる旅は終わりを告げた。 【走行データ】 本厚木駅 到着時刻:0時16分、 走行距離:164.0(計294.8)km、平均スピード:16.0km 13. 厚木〜町田市の自宅 区間〔1人と2人〕 「せっかくだから母校に寄ろうよ」というテルの誘いで母校に寄った後、大和駅近くのラーメン屋「半蔵」で夜食を食べ、固い握手を交わしてテルと別れる。 ココから自宅までは約20キロ、もう膝の痛みや余力を気にする必要はなく一息で走り切ってしまおうと境川サイクリングロードを快調に飛ばすが、しばらく走ると河川敷改修工事でまさかの通行止。疲れで判断力が鈍りうまい迂回路を見つけられぬうちに集中が途切れてしまう。そしてこれまで興奮や楽しさの影に隠れていた疲れがどっと押し寄せ、歩くようなスピードにペースダウン。 2人の時は全く気付かなかったが、1人で暗闇を走っていると楽しみや苦しみを共有しながら一緒に走ってくれる人がいるありがたさに気付く。共に走る仲間がいるということは、安心感や充実感を与えてくれるだけでなく、1人では到底不可能な困難を乗り越える力を与えてくれていたようだ。
〔伊豆半島サイクリング編 完 〕 |