自転車ライフの全てはここから始まった 、、、
■ エピソード1、ママチャリ購入
中学を卒業する頃、ロードマンと呼ばれるスポーツタイプの自転車が大流行した。当時行動を共にしていた4人(カンノ、ムライ、オザキ、セコ)のうち3人がロードマンタイプの自転車を買った。
僕は中学時代はほとんど自転車に乗らなかったため、小学生の時に買った6段ギヤが自慢の黒い22インチに乗り続けていた。仲間と自転車で出掛ける時は皆に遅れないよう注意しながら懸命にペダルを回すことが多かった。
高校に進学し、さすがにこの子供用自転車での通学は厳しいということで、入学祝いに自転車を買ってもらえることになった。近所の杉山サイクルへ行くと、店のおやじが「このカタログに載ってる自転車なら、どこよりも安くするよ」と、ブリヂストンとミヤタの2冊のカタログをくれた。
家でカタログを熟読しながらどの自転車にしようか考える。 レイダックやカリフォルニアというロードマンタイプに自然と目が行くが、通学にはオーバースペックの高価なこれらの自転車を両親にねだるのは気が引けた(雷のような父親にロードマンを買ってくれと言う勇気がどうしても持てなかった)。
友人ムライのロードマンが丁度その頃盗難に遭ったことで、ロードマンを断念しママチャリを買う決心がついた。
納車の日、注文したママチャリを見てもうれしいという気持ちは全く無かった。
『僕はこいつで頑張らなきゃいけないんだ!』
そんな気持ちでママチャリのペダルを回し始めた。
「自分がロードマンを買えなかった記憶」は、(まるで女の子に振られた記憶のように)心の奥底に挫折の記憶として居座り続けた。自分で稼げるようになり、様々なタイプのバイクを買ってみたり、公道が走れないモトクロッサーにまで手を出してみたりしたのは、この挫折の記憶のせいかもしれない。
■ エピソード2、自転車通学(A高の坂)
高校への自転車通学路には「A高の坂」と呼ばれる急な坂道があった。
その坂を上った丘にはA高校という進学校があり、その高校に入れなかった自分は毎日その高校を横目にはるばる市外のE高校まで通っていた。 朝の通学時間帯にA高の坂を上るのはほとんどが学ランを来たA高の生徒で、市外のE高まで通うブレザーの生徒は稀だった。 そんなアウェー感たっぷりのA高の坂で、自転車通学バトルを繰り広げるのが日々の日課であった。
A高生には学業では完敗している。そんな自分がここで敗北することは、自分が全てにおいて彼らよりも能力が低いことを証明してしまうようで、A高生、特に 自分が手にすることができなかったロードマンに乗るA高生には負けたくないと思った。
普段E高への愛着などこれっぽっちも無い自分だが、この時ばかりはE高の制服をE高生代表のユニフォームのように感じ、自分が負けることは、 E高生全員の無能さを証明してしまうことのように感じ、熱い闘志を燃やした。
今日も坂に向かう通学路でA高生のロードマンに抜かれてスイッチが入る。
『この白いドロップハンドルと、頭を低くして走る姿勢には見覚えがある。 確か奴は数日前にこの坂で俺を追い抜いた大物だ。あの時は油断していたが今日こそは仕留めてやるぜ!」
目立たぬようにA高生の少し後を走り、坂のたもとで思いっきり助走して、3段ギアの『速』で坂道の2/3までを一気に駆け上がる。 今日のA高生はこちらにノーマークのようで、いまいちスピードに乗れていない。今日はいけるぞ!
「自転車の性能の違いが戦力の決定的な差ではないことを教えてやる!』
と何処かで聞いたような台詞を呟きながら、スピードを維持したままここしかないという絶妙なタイミングで3段ギアの『中』に繋ぎA高生を一気にパスする。
A高生の横顔が慌てるのに胸のときめきを感じながら、A高生側の顔の表情は極力変化させずに余裕を気取りつつ、(反対側の表情のみを崩して激しく呼吸をして)、苦しそうなA校生の息遣いを背中で聞きながら全身全霊をかけて残りの力を振り絞り坂を上り切る。
『見たかA高生!E高生(ママチャリ)だって、やるときはやるんだぜ!』
制服の稲穂色のネクタイを仮面ライダーの白いスカーフのように颯爽と風になびかせながら、今日もこうつぶやく。
『E高のプライドは俺が守ったぜ。』
■ エピソード3、自転車通学(もうひとつの自転車の機能)
登校時は時間に余裕がなくA高の丘を越える坂道を選んだが、下校時は坂を避け回り道をした。家までは何の変哲もない田んぼの中を20分以上ただひたすら走らねばならなかったが、家にも学校にも縛られないこの自由なひとときでが嫌いではなかった。
前傾のきついロードマンでは見れない星空を眺めつつのんびりママチャリを漕いでいると、思考が活発化して脳裏に色々なことが浮かんでくる。
家族のこと、友人のこと、進路のこと、異性のこと、、、。
こうして自転車を漕ぎながらだと、家では行き詰まるようなことでも自然と前向きに考えが進展し、アイデアや打開策を思いつく。
僕にとって自転車とは『移動するための道具』であると同時に『体力をイマジネーションに変換するための道具』でもあり、悩み多き思春期を乗り越えるのに不可欠な道具であった。
(僕が勝手に考える)体力がイマジネーションへ変換されるイメージはこうだ。
1、自転車のペダルを回すことで、体力(エネルギー)が消費される。
2、体内のエネルギーが不足し、体内に空間が空く。
3、この空間をなんとか埋めようとする力が生じる。
4、適度な運動で活性化した脳がこの空間を埋めようと
数々のイマジネーションを吐き出す。
こうして消費した体力の分だけイマジネーションが膨らみ夢が見れるという訳だ。
下校時間は『人生の作戦タイム』であり、自転車の車輪は『想像の翼』であった。
■ エピソード4、早朝の自転車旅行(高校1年)
高1最後の授業が終わった放課後のこと、ぼんやりと4階の教室からの景色を眺めていると、大人びた優等生タイプのクラスメート、ウエノ氏(仮名)が 話し掛けてきた。
『ここからの素晴らしい景色が観れるのも今日で最後ですね。』
春の香りが漂うどこまでも続く田んぼを眺めながら時間を忘れてこの1年の話に花を咲かせる。 クラスメートの関係も明日までということで、普段はあまり話さない進路、夢、人生等の深い話へと進んでいった。
『広くアンテナを張り、少しでも興味が湧いたら躊躇せずにその分野に足を踏み入れるようにしていれば、自然とやりたいことが見えてくるよ。』
将来やりたいことを見つけられずに悶々とした日々を送っていた僕に(将来の目標、志望校まで決まっている)ウエノ氏は、こんな言葉をがかけてくれた。
悩んでいるだけじゃ何も始まらない。とにかく走り出すことが必要で、走っていれば必ずゴールは近づくという趣旨のことを、上記の言葉や 彼の好きな浜田省吾の歌詞で力説してくれた。
彼のお陰で将来への迷いは薄れ、来年度こそは自分のやりたい事が見つけられそうな気がした。
「もうとっくに下校時刻過ぎてるぞ!」
見回りの教師の言葉で逃げるように教室を後にする。校舎裏の自転車置場に向かいながら『「Sand castle」(浜田省吾のバラードアルバム) を海を眺めながら聞いたら最高だろう』と話すうちに「明日海を見てから登校しよう」という話が持ち上がる。興味を持つ気持ちに躊躇はしないと語り合ったばかりの僕らの決断に時間はかからなかった。
翌朝、厚木の自宅を出発し海を目指す。 出発早々ハイペースで飛ばすウエノ氏のロードマンに遅れないよう必死で後を追いかける。
能力の低い自分が他人に負けない事を見つけて世の中に出て行くことが、 ママチャリでロードマンを追いかける今のこの状況とダブって思えた。
ママチャリの僕を気にせずに、全く後を振り返らずに走り続けるウエノ氏の背中が、「今のお前には、全力で走ることが必要なんだ!」と語りかけているような気がした。
茅ヶ崎の海に出た所でウォークマンのカセットを「Sand castle」に入れ替え、ビーチサイドのサイクリングロードを東へ走り江ノ島を目指す。
江ノ島まで走り切りたかったが、修了式に遅刻しそうなので止む無く進路を高校に向け、途中のコンビニで急いで制服に着替えて終了式に出席する。こうして高校1年は終わりを告げた。
ママチャリ伊豆旅行記はこちらから
高校最後の文化祭や体育祭が終わり、残るイベントは大学受験のみとなり、勉強ばかりの苦しい日々が続いていた。
決められない進路や、捗らない勉強、思い通りにいかない恋愛等、溜まりに溜まった心のモヤモヤを吐き出して頭をすっきりさせた方が勉強の能率も上がるはずだと、気分転換に正月海まで初日の出を観に行こうと友人達を誘ってみる。
受験直前ということでなかなか賛同者が見つからない中、夏まで部活優先の高校生活を送ってきた(僕同様今年の受験を諦めがちな)アベチャン(仮名)が快く誘いに乗ってくれ、受験直前早朝サイクリングが決行された。
早朝、逃げるように家を後にし、受験や卒業を直前に控えて無限に湧き上がる気持ちを整理するようにママチャリのペダルを回して海を目指す。
早朝の澄んだ空気の中で久々に流す汗は心地良く、それはまるで清々しい風の粒子が皮膚を通り抜け、心の奥の汚れを洗い流してくれているようだった。
走る程に受験の弊害でできた心のねじれがほどけ、自転車に乗り始めた少年時代の純粋な自分に戻っていくようだった。
日の出前に湘南海岸に到着し、まさに「受験神頼み状態」の2人で砂浜から御来光を拝む。人生の大きな交差点を目前に控え、貴重な時間を割いてママチャリでここまで来たことは深く心に刻まれた。
この広大な海に昇る朝日を共に眺めたアベチャンとの仲は単なるクラスメートから人生の友へと、嫌いだったママチャリは受験戦争を共にくぐり抜けてきた愛着の湧くマシンへと変化していた。
少なくともあと1年はこんなママチャリとの付き合いが続くと思っていたが、 自転車ライフは高校卒業と同時にあっけなく終わりを告げた。
意外にもこの年の受験で大学進学が決まり、その後すぐにバイクの免許を取り、通学用に父親から譲り受けたお下がりのバイクでの新しい生活が始まった。
あの初日の出サイクリングから3ヶ月も経たないうちにバイクで同じ場所へ行き、あの時とは全く違う気持ちで海を眺めていた。
バイクに乗った瞬間から自転車は過去の乗り物となり、その後17年間、僕の人生のシナリオに自転車の出る幕はなかった。
このように高校時代と自転車に乗っていた時期はぴったりと一致するため、自転車と高校時代は切っても切れない繋がりを持ち、僕の記憶に留まったのだろう。
■ 申込書作成
だいぶ脱線してしまったが、ママチャリレースに話を戻そう。
高校の同窓生にレース参戦を宣言したのはいいが、申込締切までもうほとんど時間がない。参加表明してくれた同窓生の署名や捺印、生年月日を急いで集め、申込書を大会事務局に送付する段になりチーム名を決めていないことに気付く。
「相談して決める時間はもうない。さて、どうしよう?」
同窓生のひとりが高校時代「海老高のガンジー」という校名入りのあだ名で呼ばれていたことを思い出し「海老高のガンジーとその仲間達」というチーム名に決め、申込書に記そうとした時、その「海老高のガンジー」からの電話が鳴った。
『まっちゴメン、ママチャリ行けなくなった。』
「えっ、家族の了解も取れてるから絶対参加するって言ってたじゃん。」
『そうだったんだけど急にテニスのダブルスの試合に出て欲しいって頼まれちゃってさ、こっちは相手がいる話で断れないんだよ。』
「、、、、。」
電話を切ってからふと考える。
「相手がいるのはこっちだって同じだよ、、、。」
かつてのガンジーのように清く正しかった彼を懐かしむ気持ちといたずら心から、 「海老高のガンジーはただの悪人」というチーム名を申込書に記し、申込手続きは無事完了した。
蛇足:この「◯◯のガンジー」というフレーズは、高校卒業以来何度も使わせてもらっている。「君は◯◯町のガンジーだよ」とか、「おまえは◯◯家のガンジーだよ」等と何度も使ううちに、僕の周りはガンジーだらけとなった(笑)。
「寒冷地の冷たい雨に、子供達は耐えられるだろうか?」
皆の家族に嫌な思いをさせ、せっかく盛り上がってきた自転車レースに対する気持ちを潰してしまうより、今回は見送り今後のチャンスに懸ける方が得策と考え、 バーベキューと家族の参加を泣く泣く中止することにした。
雨が激しくともボルボ、ワッカ、アベチャン、テルは来てくれるとのことで、話のネタに1周走ってあとは温泉にでも入るつもりで富士スピードウェイに向かうことにした。
『1周走ったら温泉行くんだっけ?』
かつて同じ校舎で机を並べていた頃は言葉なんて無くても通じ合えたが、会わなくなって過ぎた時間はあまりに長く、友人のこんな発言が本心なのか冗談なのかすら分からない。卒業してからの時間を埋めるかの如く会話を重ねるうちに、ようやくお互いの考え方や今のキャラクターが分かってくる。
『どうやら本当に温泉気分なのはテルと僕だけのようだぞ(涙)。』
スタート15分前のアナウンスが流れ、慌てて準備を開始。第1ライダーのボルボがスタートラインに並び雨の中、7時間のレースは開始された。
500台のマシンがスタートを切る様子は圧巻で、しばらく後姿を見送っていると、予想より早くトップ集団、そしてボルボが戻ってきた。
慌てて第2ライダーのワッカを探すが見つからず、代わりに急遽自分がコースイン。
一周4.5km高低差30mのコースや自分の体力がどれ程なのかの見当がつかず、まずは無難にマイペースで1周を走り、ワッカにバトンを繋ぐ(詳細省略)。
次の周回からペースを上げていくつもりだったが、退化し切った足での17年ぶりのペダリングが膝へ負担をかけそうで、様子を見ながらまたマイペース走行。
周回を終えクリスタルルームに戻ると、チームの仲間が天井からぶら下がるモニターの前に集合している。モニターには僕のだらしない順位変動と走行タイムが克明に表示されているではないか。
『何これ?サボッてるのバレバレじゃん(汗)!』
この表示が仲間のやる気に火を点けたようで、 この時200番台だった順位が徐々に上がり始める。 ワッカが順位を上げると「負けてらんねぇ!」とボルボが順位を上げる。 するとアベチャンが「次は本気でいくよ!」とさらに順位を上げ、 テルと僕にもやる気が伝染してとにかく順位を下げないように全力疾走!
頑張りに応じて順位が上がるのがうれしくて、100位以内に目標を定め、5人の力を結集して立ち向かう。
スタートから2時間が経過、
「皆でこの日本一の1400mのストレートを端から端まで走り抜けてみたくない?」
とボルボが発案。ストレートを駆け抜けるにはピットロードに入らないことが必要で、それは即ち2周連続で走ることを意味する。
『全然走り抜けてみたくない!』
とすでに疲れ気味のテルと僕が意見するものの、イケイケ上昇ムードの中、軟弱な僕らの意見が受け入られる筈はなく全員が2周づつ走行。
この連続走行は、ライダー交代にかかる時間短縮のメリットもあり、スタートから4時間経過後に早くも目標の100位以内に到達。その後アベチャンが9分台(この周回の全ライダー中2位のバカ速タイム)を叩き出し、一気に79番へ! モニターの9分台のタイムを見せつけられた僕等は歓声を上げる。
「アベチャンすげぇ!」
「こうなったらトップ1割(50位以内)も夢じゃないね。」
「もう狙うしかないでしょ。」
アベチャンの頑張りが皆の心に響き 負けず嫌いのボルボとワッカも9分台を狙い、テルと僕は毎回最後の1周のつもりで全力疾走。
10人以上での参加チームが多い中、5人という人数はかなり少なく、走り終えてもすぐに次の順番が回ってくる。朝飯も昼飯も食べに行く時間が取れぬままレースは最終局面に突入し、終了間際に遂に49位に食い込み、モニター前で大興奮。
「俺達すげえ!」
アベチャンがラストランに入り、このままいくと次の僕の走行中にチェッカーが振られそうだ。完全にグロッキー状態の僕は、
『(50位以内を守り切るために)ファイナルラップはボルボかワッカが走った方がいいと思う』
と提案。すると、僕らの中で最も順位を気にしていそうなボルボからの意外な返事。
「最後は計画立ててきたまっちが走れよ。50位逃したとしてもそれが俺達全員が力を会わせた結果だし、ここまで来れただけで充分だよ。」
彼の言葉に底をついていたはずの力が沸き上がり、アベチャンからの最後のバトンを受ける。後半の上り坂がキツイのは百も承知だが、今飛ばさないでいつ飛ばせるんだとばかりに、コカコーラ、100Rと前半からスピードを上げる。ヘアピンを超え300Rに差し掛かる辺りでチェッカーが振られたことを放送で知り、気合を再投入しコース後半の畳み掛ける上りに突入。
ネッツコーナーを上っていると後からやけに激しい呼吸音「ハァハァハァ」が聞こえてくる。 このライダーが50位のライダーに思え、彼に抜かれたら皆の頑張りを50位以内に繋げなくなると思い、普段はあまり出さない闘争心をむき出しにして「抜かせない!」とばかりに彼のコースを塞ぐように走る。
完全に棒になった足を気力で無理矢理動かし持ちこたえるうちに、勝負は最後のパナソニックコーナーに。 いつの間にか自分の呼吸音も彼と同じになり、「ハァハァハァ」と、大きな音を立てている。周りにも順位を下げたくないライダーがたくさんいるようで、 いつのまにかにできたこの集団全体から「ハァハァハァ」と呼吸の合唱が鳴り響く。
ようやくメインストリートが見え始めたと思うと彼がラストスパートをかける。
『ヤバイ、置いていかれる!』
必死に食らいつくが徐々に差は開き、彼には完全に離されてしまう。 しかし前方の別集団が見えてくる。
『この集団をかわせれば、、、』
必死に追いかけていると、思いもしない所で 「まっち頑張れ!」との大きな声援が耳に届く(後で聞いたら別チームで参戦のバンザイダートsyougoさんだった。ありがとう)。力は残っていないが何かに導かれるようにペダルを高速(のつもり)で回し続け 、前集団と一緒にゴールラインになだれ込みレース終了。
気付けば雨は激しくなっている。 雨と涙とよだれで顔をぐちゃぐちゃにして大声援のメインスタンド前をウイニングラン。
「皆が参加を表明してくれた事」、「ママチャリが見つからなくて右往左往した事」、「準備の時間が取れない僕に見かねてゆっちがバーベキューの準備を全てしてくれた事」、「なっちが特訓してた事」、「雨のレースが確実になり、正直エントリーしたことを後悔してた事」、、、今までのことが浮かんでは消え、込み上げてくる熱い感情が体内に満ち溢れる。
18番ピット前でチームの皆がとお互いの検討を讃え合う。
共に戦った仲間の笑顔は高校時代のものに戻っていた。
<大会公式データ>
参加 491チーム / 出走 455チーム(約8000名)
ゼッケン400『海老高のガンジーはただの悪人』順位45位、周回数35周回 走行距離159.7km
【 2. ロードレーサー購入まで に続く 】